京都遠征(仮題)
※2022/6/24起稿分を再掲
今年に入ってアウェイの遠征にも本格的に出向くようになって、今回の大阪――というより京都、が早くも6つ目の目的地になるらしい。京都は中学の修学旅行と高校の卒業旅行、そして大学のときの自転車旅行(このときは文字通り、自転車だけを使って東京から京都まで走り切った)以外に行った記憶はなく、おそらく今回が4回目だ。
他の誰にも確認したことがないので実際のところはわからないけれど、京都というのはそこに住んだことのない(特に関東で生まれ育ってきた)人にとっては少なからず特別な場所だろうと思う。寺社仏閣と古い建物が立ち並ぶ町並み。絶妙な塩梅で和洋折衷を体現するカフェや娯楽施設。どこまでもゆったりとした時間が流れ、それでいてそこに住む人々の生活に根付いている鴨川。街の中心に鎮座するグレー調の京都駅。現代的な意味合いにおいて「京都っぽい」という形容詞は定型化されていて、それは「京都以外」の人々がこの街に向ける眼差しを推し量るには充分だ。
さて、今回の僕の旅の目的は、逆説的ではあるが「いかにも旅らしく振る舞わないこと」だった。これはこれまでの5回のアウェイ遠征を経験してきて自分の中に浮かび上がってきたテーマの一つだ。京都という世界有数の観光都市で、"あえて"特別なことをしないことで、むしろ京都という街の良さを知れるのではないかと考えた。もちろん、そこに至るには評論家・宇野常寛の「観光しない京都2022」というエッセイの存在があったことは否定できない。いや、むしろこの僕の二日間の行動記録(実質的には丸一日くらいになるだろうか)を辿っていくと、あまりに例のエッセイとの結びつきが強すぎて恥ずかしいくらいなのだけれど、ともかくこれはずっと前から僕自身が考えてきたことであるという点はことさらに強調しておきたい。
今日も相棒を連れて
家から新横浜駅までのんびりと愛車(僕が愛車とか相棒とか、そういった言葉を使うときはいつも自転車のことだ)のペダルを漕ぐ。目的地のタクシー乗り場に着くと、しかるべき順番で部品を一つ一つ分解し、パズルのように組み替えて、輪行袋(多くの人は聞き慣れないと思うけれど、そういうものがある)で包む。時間にして二十分くらいか。うまく畳めると、腰くらいの高さで収まるようになっている。ここまで来ると今度は肩紐を担いで新幹線の社内に持って入る訳なのだが、この一連の流れに関してはもう手慣れたものだ。
新横浜から京都まではたったの二駅だが、とちゅうに名古屋を超えていくわけだから注意が必要だ。新幹線の通路部分、つまり号車と号車の連結部分に大型の荷物を置く場合は、その旨を車掌、添乗員、警備員、のうちいずれかに申告しなければいけないのだ。目的は二つあって、一つは途中駅での乗り降りの邪魔にならないことの確認だ。新幹線は長距離を高速で快適に移動するための乗り物だけれど、大型の荷物を大量に載せることは想定していないため、いつも乗り口のところに自転車(もとい、自転車だった鉄の塊)を配置することになる。必要に応じて荷物を移動させなければいけないかもしれない。そしてもう一つの目的(というよりこっちが真の目的になるだろう)が「不審物ではないこと」の証明だ。いや、「その荷物の存在により何かしらの不都合が起きたときの責任の所在を明らかにしておくための自己申告」と言うべきか。こうして書いてみるとあまりいい気はしないが、仕方ないといえば仕方ない。
つまるところ、僕は添乗員に対してこう告げることになる。
「すみません、(指で指しながら)あそこに大きめの荷物、あ、自転車なんですけど、置かせてもらってるんですけど、名古屋って乗り口どっちですかね...? 京都で降りるんですが。」
はたして、今回は新横浜と名古屋で乗車口が反対だった。添乗員が行ったのを確認して、進行方向に向かって左側の通路に置いてあった例のモノを右側に移動させようと席を離れると、二号車の最後列の座席に座っていた30代後半くらいの大柄な男性が「こっちの席の後ろ、空いてるから荷物置くのに使いなよ」とニッコリ。おそらく僕と添乗員との会話を聞いて声をかけてくれたのだろう。こういうのはありがたい。一人旅の道中で出会う他者との他愛ない会話は、人をこれ以上なく優しい気持ちにさせるものだ。おじさんは昼間からビールとシウマイ弁当でよろしくやっていた。昼過ぎからキリンの500ml缶とはなんとも大胆だ。僕の方はアサヒの350mlと鶏めし弁当。アイス界でその硬度と攻撃性能においてあずきバーと双璧を成す「スジャータスーパープレミアムアイスクリーム」は、帰りの楽しみに取っておくことにした。
はじめての吹田、望郷の神戸、そして京都
当初は京都駅のコインロッカーに荷物を格納して、改札を降りないまま身軽な状態で大阪に向かう予定だった。でもロッカーの奥行きが少し足りず、結局のところ駅の構内に荷物を残しておける場所は無いらしかった。それならばと機転を効かせ、先にホテルのチェックインを済ませ、近くの駐輪場に自転車を置いていくことにする。はじめて予約した系列のカプセルホテルだった(僕は一人で旅行をするときは決まってカプセルホテルに泊まるのだが、そのことについては別の場所で書こうと思う)ため、館内の設備の使い方にすこし戸惑った。iPodを常に携帯して、セキュリティロックの解除や部屋の照明のON/OFF、レンタルグッズのリクエスト、はたまたベッドの傾斜の調整までこれ一台で全て済ませてしまうようだ。
宿は鴨川に程近い四条河原町に確保した。京都駅に戻るのにはバスが最短だ。とはいえ土曜の昼間の京都市街は車で溢れかえっていて、自転車で15分の距離を体感では30分くらいかけてターミナル駅まで戻ってくることになった。バスの中ではしゃいでいた修学旅行中であろう中学生の会話の続きをなんとなく想像しながら、JR京都線で茨木駅に向かう。
電車を降り、そのあと駅からの直通バスと少しの徒歩でたどり着いたガンバ大阪のホームスタジアムの佇まいは、高速道路とモノレールが印象的な空間にあって退廃的なイメージを抱かせた。
一応のスタグルということで(失礼!)ホットドッグとポテトのセットを600円で手に入れ、スタジアムの中へ入る。
「......!!」
さすがに2015年開業のサッカー専用スタジアムとあって、あらゆるものがサッカー観戦に特化した箱という印象だ。中段スタンド部分のコンコースは売店フロアになっており、その広々した感じはシアトルのセーフコ・フィールドを、そして屋根が高く採光部が少ないことによる建物全体のうす暗さはミラノのサン・シーロを思わせた。蒼と黒が基調になっているので、ここではジュゼッペ・メアッツァと言うべきか。断っておくが、僕はイタリア行ったことは一度も無い。
ほどなくして試合が始まった。戦前の予想通り、ガンバ大阪は4-4-2基調のマンツーマンでマリノスの前進を阻害してきた。はじめに全員が人に付く形から、もともとのマーク相手を背中で消すようにしてGKの高丘陽平まで圧力をかけていく。前半7分、その狙い通りの形からホームチームに先制点。パトリックの落としをダイレクトでゴールに沈めたMFダワンは、この日のガンバにおいて地味ではあるが効果的なプレーを随所で披露していた。ピッチの中央に判断を間違えない選手がいるとチーム全体が安定する。そして、こういったプレースタイルの選手の凄みは現地に足を運んでみて初めて実感できるというものだ。直近の日本代表戦で抜群の存在感を示したブラジル代表のフレッジと、どことなく姿が重なる。
翻ってマリノス。この手の失点は良くも悪くも慣れているとはいえ、ガンバが同じことを続けてくる以上、何かしらの解決策を見出さなければいけない。上述したガンバのボール非保持時の振る舞いのため、この日はコンタクトプレーが非常に多いゲームとなった。笛が吹かれてプレーが切れる度、しきりに集まって話し合うマリノスの選手たち。変化が起き始めたのは前半15分か20分辺りだろうか、次第に開かれていったのは、ミドルゾーンに降りてくる西村拓真とレオ・セアラへのパスルートだった。
縦のオーバーロードとも呼ぶべきか、4人のバックスと2人のボランチが低い位置まで相手選手を引き連れて、マリノスの3トップ&ガンバの4バックの一団を引き離す。ライン間に生まれたスペースを活用する能力に長けた西村とレオに対して、クォン・ギョンウォンと三浦弦太は苦戦を強いられることになる。
ピッチ中央エリアでの降りる動きとワンタッチ・ツータッチのコンビネーションプレーに活路を見出したマリノスだが、前半のうちに得点まで至ることはできなかった。モチモチとボールを触りながら独力でフィニッシュプレーまで繋げることができるエウベルの攻撃への関与が限定的だったことも原因の一つだ。片野坂知宏が仕組んだ左サイド(マリノスから見た右サイド)への誘導策と、序盤の得点で自信を得たガンバのグループとしてのエネルギーが、前半のマリノスを上回った。
しかしサッカーは90分で勝負を決するゲームだ。この文章の読者のうち、ほとんどの人は試合の結果を知っているだろうから、これはもしやすると結果論として受け取られかねない。ただし、大抵の勝者にはそれに値する構造的優位とそれを活かす個別の戦力を持ち合わせているものだ。後半に入っても、西村とレオの優位は変わらず。次第に持ち味であるテンポの良いパスワークが炸裂する機会も増え、敵陣でのプレーを増やしていくマリノス。
同点ゴールは言わずもがな、渡辺皓太の関与が素晴らしかった。攻撃の始まりとなるボール奪取から、水沼宏太が右に開いて空けたハーフレーン深い位置へのランニング、こぼれ球への反応、ゴールに結びついた決定的なパス。彼の特徴は連続性だ。レーダーは常に周辺の味方と相手の立ち位置、またそれによって生じるスペースをスキャンしつづける。ともするとそのハイテンポな志向性は周囲の味方との関係性において微細なズレを生み出しかねないが、試合のボルテージが上がってきたときの彼の実効性をその身で示したゲームとなった。
また、ごく個人的には、マルコス・ジュニオールの登場がひとつのトピックとなった。2019年シーズンの入団からプレースタイルを拡張してきたマルコスだが、やはり本質的に彼は集団の王になる器だ。ピッチ上で1秒先の未来を生きる彼のこの日のプレーぶりは、短い時間ではあったが強烈な印象を残した。主戦場とするポジションは異なるが、スペース探知、連続的な組織プレーへの関与という似た特長を持つ西村と渡辺に対して、ボディコーディネーション能力の高さに裏打ちされた、半径3m以内の周辺スペースの圧倒的支配者であるマルコス。試合の趨勢が決した終盤のゲーム展開にあって、その明確な対比は観る者を飽きさせない興味深い現象だった。
体のキレとトリッキーなボールタッチで相手を抜きにかかる山見大登、パトリックとの対空戦でほぼ全勝した角田涼太朗、獲物を見つけたコモドドラゴンの如く相手選手に襲いかかる岩田智輝など、見どころ満載の90分+アディショナル・タイムを堪能したところでホイッスル。最終スコアは2-1。逆転ゴールを決めてマリノスのリーグ前半戦首位ターンに貢献した水沼宏太のガッツポーズに呼応してしまい、バックスタンド上段のガンバファンに白い目で見られたのは言うまでもない。
こう言ってはなんだが、アウェイゲームを見に来たファンは粗雑に扱われることが多い。あの屋根裏のような2階席に押し込められたマリノスファンが一同に階段を降りてくるのを見て、今日は勝ててよかったと他人事のように思った。通り過ぎていく一団から知り合いを探してみようと試みたけれど、なにせ夜9時の吹田は暗すぎた。観念して帰路につく。
徒歩でモノレールの駅に向かい、そこからは何回か乗り換えて阪急線だ。そういえば、僕は小さい頃、親の仕事の関係で神戸に住んでいた。休みの日には最寄りの駅から阪急神戸線に乗って、三宮エリアや須磨海浜水族園、甲子園球場(御影で阪神線に乗り換える)なんかにもよく連れて行ってもらっていた。そんな思い出が蘇るマルーンレッドの車両が、南茨木駅のプラットフォームに入ってくる。若草色のシートに腰掛けると電車はすぐに発車して、夜の街を北に進む。金色の「G」を全面にあしらったシャツを着た集団に囲まれながら、僕はすぐに眠りについた。
走る、読む、書く。
朝7時半、鴨川の空は曇っていた。この日は一日を通して太陽が出ないことは、前日にベッドの中で天気予報を見て確認済みだ。さて、ここは意味と無意味、そして日常と非日常が交差する川。芝生の上でただ寝転んでいる人や熱心に太極拳をする人、犬を連れながら与太話をする人たちの脇を時速10kmで走り抜ける。ペースはいつも通りだ。息が上がらない程度に、でも全身の筋肉と骨と神経にしっかりと負荷がかかるように一歩ずつ進んでいく。脳内で通り過ぎるいつもの多摩川の景色と、目前の鴨川のイメージが交差する。
(日記はここで途切れている)