マルコス・ジュニオールのこと
私がマリノスに在籍する選手のネーム付きユニフォームを購入することはまあ珍しく、それは2試合の期間限定で着用されるものというなら尚更だ。だからこれは、自分にとって"スペシャル"な一枚になる。そう思っていた。言い換えれば、その時点で予感はあったということだ。
この夏もまだ盛りのうちに横浜を去ってしまった彼のことについて、いまの時点で私が記憶していることを少しだけここに記しておく。そのすべてが好きだったことを、これからもずっとずっと忘れないでいるために。
頭のてっぺんから手足の先まで、小さな体のうちのあらゆる細胞が意のままに操られるさま。躯体、慣性、重力、ボールの行き先、そして1秒後の未来。ピッチに降り立った彼の目にはいつも、あらゆるものがクリアに見えていた。彼の足元にボールが入った刹那、瞬く間に紡ぎ出されるのは半径1.5mの小宇宙。合気道にも似た身体操作で魅せるアーティストのプレイ――そう、彼のそれはまさに'play'、遊びのようだった――は、すべての瞬間がフォトジェニックに映った。
ただ走る姿も画になった。一歩、また一歩とピッチを駆けるたびに風に靡くのは背番号10。稀代のテクニシャンが主戦場としたのは、相手守備の急所となりうるエリアだった。そういったある種の「典型」としての要素を多分に身に纏いながら、しかしその存在の比類の無さたるや。マルコス・ジュニオールはファンタジスタか? そんな問いと向き合いながら夜を明かすのも、悪くはない。
いやはや。何よりも、その左胸に宿した蒼い炎について語らなければならないだろう。彼は情動の人でもあった。卓越した体術と同じくらい、それは彼を彼たらしめた。人は何のために走るのか。蹴るのか。いかなる状況でも、一挙手一投足がその意味を示さんとしていた。彼を衝き動かしていたものは一体なんだったのだろうか。いまとなっては知る由もないが、ひとつ確かなことは、マリノスにおけるマルコス・ジュニオールはすべてを兼ね備えた最高のフットボーラーであったということだ。
このように私が言わずとも、皆が彼のことを記憶し、語り継ぐことになるだろう。どこまでも澄んだ眼、きれいに刈りそろえられた丸い頭、冬場の試合で身に着ける黒いグローブ、全部全部全部。
さようならマルコス、君はいつまでも僕らのもの。