意外と快適ですよ、
長年ぼんやりと考えていた、「ミニマリスト」に対するモヤッとした感情が言語化出来そうなので、ここに書き落としてみる。当人だと思われる人は読まないほうが良いかもしれない。
世の中でミニマリストと呼ばれている人たち、もしくは自身でそれを名乗る人たちには、大きく分けて2種類あるような気がしている。
まず一つは、文字通り、所有するモノの数が少ない人。
こういう感じで、
とにかく、
生活スペースに、
余白が、
多くて、
民放TVの夕方4時から始まるニュース番組で定期的に特集されてそうな感じ。大体、服は白かネイビー。背の高いものが一切置いていないワンルームの賃貸を住処にしていて、なんとなく自己陶酔的な雰囲気がある。「この生活様式を取り入れてから、本当に大事なものが見つかった」みたいなことをよく言っているイメージ。仮にラディカル・ミニマリストとでも呼ぼうか。
で、私はその人たちをなにかしらの媒体を通して見かけるたびに思うのだ。本当にミニマルなら、TVの取材は受けないんじゃないの?とか。どうせなら、別にそのジャケットも要らなくない?とか。あとは、髪型は坊主じゃないの?とか。要は、「ミニマルを名乗る以上ちゃんとミニマルであれよ!嘘つくなよ!」って言いたくなる。
とにかくなにかこちらのブーイング精神をくすぐるものがある。そしてそれはおそらく、人間の生活には複雑さやどうしようも無さというものが常につきまとっているのだということを、僕が心の底から理解しているからだろう。湧いても湧いても降ってくる雑務から開放されるのは到底無理だ。何もしなくても腹は減る。飯を食えば皿が汚れる。そうなれば洗って乾かして仕舞わなければならない。食事を外で買ってくるにしてもゴミは貯まる。それをゴミ箱に捨て、二日後の朝にまとめて収集場所にもっていく。外食?そればかりではお金がかさむ。それはミニマルだろうか。
そういう「面倒で」「意味の無い」ような営みからなんとかして抜け出そうと藻掻いていながらも、外面はサラッとした顔をして部屋の地べたに座ってインタビューを受けている彼女ら、彼らに対して、僕はやっぱり滑稽な印象を受けてしまうのだった。
なんか疲れてしまった。後編を書く気がまた湧いてきたら、今度はもう一種の「ミニマリスト」について書いてみたい。