大学お笑いサークルと大学クイズサークル
18日に放送された『100カメ』(NHK)で密着されたのは、部員数300人を抱える早稲田大学のお笑いサークル「お笑い工房LUDO」。ひょっこりはん、ハナコ・岡部、Gパンパンダ、にゃんこスター・アンゴラ村長、ラパルフェなど数多くのプロの芸人を輩出している名門サークルです。
大学お笑いサークル前史~草創期
そんな大学の、いわゆる「お笑いサークル」が生まれたのは、90年代後半ではないかといわれています(『お笑い実力刃』の「大学お笑い」特集でも96年頃と解説されていました)。
それまで「お笑い」のサークルといえば、「落語研究会」など古典芸能をベースにしたサークルがほとんどだったようです(あるいは90年代前半に登場した「ジョビジョバ」のように演劇サークルから派生したもの)。
そんな中で多摩美術大学で小林賢太郎が、活動停止していた落語研究会を「オチケン」として復活させたのが1992年頃。そこで片桐仁とラーメンズを結成します。
それから程なくして、大学生のお笑いにいち早く注目した田辺エージェンシーによって「冗談リーグ」などが開催され、ラーメンズやエレキコミックがプロデビューしていきます(田辺エージェンシーから独立し設立されたトゥインクル・コーポレーション所属に)。
このあたりまでが、「お笑いサークル」“前史”といえるでしょう。
90年代半ば、早稲田大学に「WAGE」が誕生します。さらに「WAGE」に馴染めなかった人たちを中心に、いまや老舗となった「お笑い工房LUDO」が設立されます(僕は便宜上、古典芸能ベースのお笑い系サークルを、その名称から「縦文字系」、近年生まれた最初から漫才・コントをするためのお笑いサークルを「横文字系」と勝手に呼んでいます)。
そうした中で、アミューズ主催の「ギャグ大学」がスタートし、「WAGE」(かもめんたる、小島よしおら)がプロデビュー。
にわかに盛り上がりを見せ始めると、2000年代に入ると次々と各大学に“横文字系”お笑いサークルが設立されていきます。
これは、WAGEらのプロデビューの影響もあるとは思いますが、おそらく最大の要因は『M-1グランプリ』が始まったことでしょう。
「お笑いブーム」も到来していたこの頃、学生芸人は『M-1』に出場することが最大の目標だったようです。1回戦を突破すれば、大きなステータスになりました。
西の旋風
「西」のサークルが旋風を起こしたのです。
大学クイズサークル草創期
実はこうした流れは、クイズサークル草創期に酷似しています。
大学のクイズサークルは、80年頃から各所で相次いで発足さました。
一般的に最古といわれているのは、のちにフジテレビに入社し『FNS1億2000万人のクイズ王決定戦』の総合演出となる森英昭らが80年に設立した中央大学クイズ研といわれていますが、それ以前にもあったという資料もあり定かではありません。
いずれにせよ、80年以降、増えていったのは間違いありません。
それに大きな影響を与えたのが、流行していた視聴者参加型のクイズ番組で、特に77年から始まった『アメリカ横断ウルトラクイズ』の存在でした。『M-1』に出ることが目標だったお笑いサークル同様、『ウルトラクイズ』に出ることを目標にした若者たちが集結していったのです。
やがて各地にある大学クイズサークルを統括する「学生クイズ連盟」が発足します。その連盟主催で始まったのが「マン・オブ・ザ・イヤー」という名の学生クイズ王を決める大会でした。
お笑いの「大学芸会」がそうであったように、「マン・オブ・ザ・イヤー」(通称「マンオブ」)も当初は関東の大学に限られていました(ちなみにお笑いもクイズも関東をリードしていたのは早稲田大でした)。
それを知って憤ったのが、立命館大学のクイズサークル「RUQS」に所属していた長戸勇人でした。
果たして、立命館と名古屋大勢は、関東勢を圧倒。名古屋大の仲野が優勝した他、上位を席巻してしまいました。
お笑いでの同志社大同様に、まさに「西の旋風」を巻き起こしたのです。
『東大王』ブームの原点
お笑いサークルも創成期は「大学生のお笑いなんて」などと小馬鹿にされていたと聞きます。クイズサークルもそうでした。「クイズを真剣にやるなんてバカげている」などと言われていました。
けれどいまや、大学お笑いは、数多くの賞レース王者を輩出し、ひとつの大きな潮流となりました。
クイズサークルも同じです。
ここから数多くの「クイズ王」や「クイズ作家」を輩出し続け、近年の『東大王』ブームや「QuizKnock」活躍の土台となっているのです。
『東大王』で活躍した伊沢拓司、水上颯、鈴木光らはみんな東京大学のクイズサークル「TQC」出身。その「TQC」はまさに80年代前半に生まれました。
当時は決して強いクイズサークルではありませんでした。その「TQC」がほぼ初めて脚光を浴びたのが『第13回アメリカ横断ウルトラクイズ』だったのです。
第12チェックポイントの「チムニーロック」の時点で生き残ったのは6人。
RUQSの長戸と永田、名大クイズ研の秋利に対し、東大TQCが半数の3人を占めていました。
そしてそのうちのひとり、田川憲治が「ボルティモアの4人」として準決勝で史上最大の激闘を繰り広げることになります。
これまで大きな実績のなかった東大クイズ研「TQC」にとって、『東大王』ブームに至るその伝説の始まりこそ『第13回ウルトラ』だったのです。
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