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好きだってことを忘れるくらいの、好き
好きな映画やドラマは、観返すたびに発見があり、心に響くシーンがあり、そして「やっぱり好きだなあ」と感じさせてくれる。
昨日、ドラマ『カルテット』を観返した。
出会えてよかったと思える作品のひとつ。坂本裕二節炸裂。胸がキュンとしたり、ギュッとしたり、ドキッとしたり。
言葉が繊細で、忘れたくない台詞がたくさんある。
今日は、その中のひとつをご紹介。
「ちょっとだけ頑張る時ってあるでしょ?
住所を真っ直ぐ書かなきゃいけない時とか、エスカレーターの下りに乗る時とか、バスを乗り間違えないようにする時とか。」
「あの、卵パックをカゴに入れる時とか。」
「白い服着てナポリタン食べる時。そういうね、時にね、その人がいつも、ちょっと、いるの。いて、エプロンかけてくれるの。そうしたら、ちょっと頑張れる。そういう、好きだってことを忘れるくらいの、好き。変かな?」
「眩しいね。」
このやりとりがかわいくて、儚くて、、。
ちょっとだけ頑張るとき、ちょっとだけ悲しいことがあったとき、あの人がいて守ってくれる。それは紙エプロンみたいにふんわり軽くて、「ちょっとだけ」のためのもの。でも、あると心強いもの。
「好きだってことを忘れるくらいの、好き」
そこには嫉妬や束縛みないな一般的に醜いとされる感情は混じっていなくて。猫を安心して眠らせる温かいお日様のような温度で、淡い感情。
眩しくて、美しい。
カルテットの4人は、友達でも、恋人でも、家族でもない。名もなき関係だからこそ居心地がいい。求め合うことも、理想を押しつけることもない。
人と人との繋がりにおいて、「ずっと」なんて存在しない。けれど、「ずっと」であってほしいと願う。
大切な人の側に、ずっと居れたらいいなと思う。