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「悟りはない」を悟る(哲学)
「覚醒しました」とか、「悟りました」とかと言ってしまった瞬間に悟りは消える。
そういう言ってしまえば、もうそれは悟りではないからです。
一瞬、一瞬、今だけを生きている
ことが、悟りであって、「悟りました」は過去になる。
「ました」は過去の出来事。
「悟り中」が悟りの答えとなる。
一瞬、一瞬に悟りの境地になることが悟り
悟りの境地とは、なりきることだと、希道老師は語っている。
私は30年ほど前に希道老師の道場で坐禅を組み指導を受けた。
考えない。今やっていることになりきる。
希道さんに、「海とは?」の禅問答に 一瞬、思考した途端に頬をバシッと叩いた。
「考えてはならず」なのです。
私は老師と浜辺にいた。
私は気づいたのです。
海とは海になりきること、海に私は入っていった。
老師は「お見事」と笑っていたことを想いだす。
私は悟りの境地とはないと感じる。
「悟った」という想いを手放すことも悟りだからだ。
今、この瞬間を生きることだけが、悟りだと私は感じる。
「悟りなどない」が悟りである。
これまさに
色即是空 空即是色🙏