方丈記がしみる
体調はいかかですか?
精神は晴れやかでございますか?
去年の11月から今年の5月まで、内海聡の精神構造分析法を受けていました。
noteも更新することが出来なくなるぐらいに、自らを振り返る作業に専念した。
自分史を書き、生きぐせを紐解いてました。
まずは、人生62歳迄の歴史を60枚に書きあげました。
これが一番集中したし、達成感があった。
いろんな感情や怒り悲しみ恨み寂しさが湧き62年分疲れた。
内海医師や職員の方と月一回の指導で6か月間、精神構造分析に取り掛かりました。3度書き直し、最後は10枚にまとめ上げた。
最初の書き上げたものに比べて、最後は客観的に俯瞰して人生をみれたことは良かったわ。
私の奥底の深層心理を言葉化出来たこと、これからの人生の意味付けが出来て自信がついた。
私の心の奥底にある心理は、家族や先祖(何代目からはわからない)の信念を受け継いだということです。
決して家族のせいや先祖のせいだと被害者に入るわけではありません。
誰のせいでもなく、私が生きる信念として受け継いだということです。
その信念とは
「幸せになってはいけない」
「不幸であらねばならない」
深層心理で無意識にそのような思いがある。
幸せになってはいけないという本心を知らずに、私は幸せになりたいと願う。
上手くいくわけがありません。
その矛盾がわからないから、幸せになろうとしても
自分で幸せを破壊するという。自虐的な自分がいた。
嫉妬深く、人の幸せよりも
人の不幸をみることが安心感がある。
そんな価値観が私にはあるのです。
家庭環境のせい、成育歴といえばそれまです。
自罰的で罪悪感が強く、自分を信用したり、本当の自信などない人生でした。
しかし、私の価値観は私が築き上げたものなんです。
他者のせいではないこと
受容することでした。
自分の人生は誰の人生でもなく、自分の選び続けた人生てある。
自分の人生は自己責任である。
その事実を受け止めました。
自我の反発があって苦しかったが、終わるとスッキリと爽快感がありました。
今回の精神分析を受けようと思ったわけは、
いつかは死ぬ。
死ぬ前に走馬燈のように
人生を振り返り、最期に人生の意味を知り死ぬ、そんなことを耳にしたことありませんか?
死んであの世に行く前に自分の人生を振り返りっても
遅いなぁ〜と思ったんよ。
生きてる間に振り返り言葉化したいと思ったんよ。
もう一つは、ボケてしまって、記憶も考えることも、忘れて、自分が誰だも忘れる。
そうなってしまう可能性は高いのよ。
自分は認知症にならないといっても、75歳もなれば5人に一人は認知症、85歳になれば、3人に一人が認知症。
人生を振り返りたくても、振り返りことも出来なくなる。
自分の存在が曖昧になってしまう。その前に振り返ったかったんよ。
私は生まれすぐに家庭環境が滅茶苦茶でな。
なんのために生まれきたんだろうと言葉が使えるようになった4歳ぐらいから悩んでいたんよ。
でね、逆に60歳になった頃
死ぬことを意識し始めたころに、八重ちゃんがあの世に行ったやん。
あー
次は私か?とふと思ったんよ。
なんで生まれてきたか、悩んでいるうちに、死がすぐそこにあるという。
なんとも言えない気持ちになった。
死にたくないな〜
なんで?死にたくないの?
怖いから。
なんで怖いの?
自分が無くなるから。
つまり自我の執着がすごいのよ。
生きるってことは他人のためにとか、社会貢献とか、子供の為とかそんな上部なことでなく執着心。
執着してないって言い切れる?
嘘や!自我がある限り執着があるから。
多分やけど自我の執着を棄てると死は怖くないと感じる。
え?
丑婆は自我の執着だらけでっせ。
今回のセッションで腑に落ちた死生観がある。
人は死んだら、この世の道具であった肉体動かなくなる。
精神と魂という見えないものが肉体と私(我)を繋いでた。それが、バラバラになって、肉体は朽ちる。自我は無くなる。
目に見えない魂と精神はバラバラの粒になって(素粒子)あの世?宇宙の源?ブラックホール?生命の元?に還って、やがてまた、バラバラになった。粒が共鳴して新たな生命になる。
で、人間は人間になるとは限らない、バラバラになった素材になるから、何になるかはわからない、生命として新たに誕生する。
私という記憶など一切なく、新しい生命として存在する。
私はこの生命観が一番しっくりくる。
つまり、自分が人であり、自分であるのは、今回が最初で最後なんよ。
そりゃ〜
執着するやーん。
たった一回度の自分やもな〜
ちなみに、変な宗教に入ってないしな。
60歳過ぎて
なんで?なんでや〜と
思って。
腑に落ちただけや。
5月に精神分析のセッションが終わって、
戸隠神社巡りして、それからいつもの穂高の有明山の
渓谷で、ひたすら小川や樹々や川を観て腑に落ちたんよ。
鴨長明が800年前に書いてるわな。
方丈記
流れゆく川の流れは途絶えることがなく、しかも、元の水ではない。川の流れが停滞しているところに浮かぶ水の泡は、片方では消え、片方ではまた浮かび上がり、いつまでもそのままでとどまっている例はない。
生まれは消えて消えては生まれる。
生きるということは、この世の時間の中を流れてゆくこと。
「あーあー 川の流れのよう〜に」って歌あったね。
#宇宙 #方丈記