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二話/ブラッド・ルージュの誓い①【ペンドラゴンの騎士】

一章/裂斧の騎士


「いやだ、いやだ……死にたくない……!」

 曇天。土の上に一人、兵士が残されていた。彼は魔力式銃を抱え、まだ若いその身を震わせている。軍服から見るに英国軍。彼は眼前に見える兵器と敵軍の数々を目の当たりにし、怯えていた。

 このままでは鉛玉の餌食になるのは明白だ。だが体は動かない。勿論、引き金を引く力も無い。

 敵方の銃口がこちらへと向く。ああ、もう駄目だ。と、青年兵が目を瞑った瞬間。

「お待たせだね。任せて」

 一陣の風が、声が。脇を脇を過ぎ去った。

 何が起こったのか、彼には一瞬理解出来なかった。そして過ぎ去った風を目の当たりした瞬間、安堵の涙を零す。

「さ、逃げて」

 儚く、それでも力強い微笑み。それを浮かべた騎士は、まるで烈火の如く敵を凪ぐ。

 美しく鍛えられた肉体に、貼り乱す赤茶のざんばら髪。およそ人には扱えぬ巨大な戦斧を扱い勇ましく戦う姿は、かの英傑女王ブーディカを彷彿とさせる。

 ヘンリー・フレッチャー。またの名を。裂斧のアンリ。

 着古しくたびれたシャツを汚しながら一つ、また一つと血しぶきと共に命を屠る。まさに女傑といった、勇猛な戦いぶりだ。常人離れした彼女の身体能力は、健康祈願によってつけられた男の名によるものではない。敬愛する父から授かった、『獣の血』に由来するものだった。

 獣の血、ビースト・ブラッド。獣の病罹患者の親から子にかけて、稀に受け継がれる特性だ。魔術を扱いながら獣の力を振るう、強力な魔術師だ。アンリの場合、貪食の獣『ベルクグール』の父から強靱な身体と尋常ならざる生命力を授かったのだ。

 だが獣の血は決して有利一辺倒というわけではない。

「うぅ、」

 アンリの動きが止まった。忌まわしい欲が、腹の内からせり上がってきた。思わず、握っていた斧を振り落とす。

「アンリ。おい、アンリぃ」

 側で戦っていた蜥蜴姿の大男が駆け寄ってくる。戦場で威圧を放つ裂斧の戦士でさえも、「ビッグ・ビリー」という二つ名に相応しい巨体と並ぶと、どうしても可憐に見えてしまう。

「うわ、目ん玉血走ってる。おっかねぇや」

「ね、さっきの残った青年兵は……」

「ああ、あいつか。もう逃げたぜ。安全だ」

 広い手が、二、三度軽く頬を叩いた。

「……血を嗅ぎすぎた……っぽい」

 ビリーは周囲を見渡し「そりゃあそうだ」と肩をすくめた。

「無理もねえや。これだけやったんだもんなぁ」

 マグマの胎動の如くアンリの中から湧き上がるそれは、食欲だった。本来人間にはあるはずがない「人間を食べたい」という欲求。彼女は常人離れした能力と共に、それを父から受け継いだ。

 万が一、理性が弾け人肉を口にしてしまえば最後、不治の病を発症する。そしてトートが迎えに来るその時まで、アンリ自身は自らの体を蝕み続けるのだ。幸い、彼女の場合は軽度のもので、暫く血の海から離れれば衝動は収まる。

 背を預ける相棒であるビッグ・ビリーもそのことを熟知していた。かつて戦いの中正気を失い、敵兵の遺体に手を出しかけたとき、何度も彼に助けられている。

「これ以上戦場に居るのは危ない。ここいらはもう他がやるって言ってた。おいら達は後方に戻ろうぜ」

「うん、わかった」

 二人は砂塵の中、駆け足で自陣の広報支援隊のテントへと戻る。足下には、かつての仲間や敵兵の死体。何度も何度も目の当たりにしてきた。目は、耳は、肌は、既にこの光景に慣れはじめている。嫌な話だ。
「覚悟はしてたが、酷いもんだぜ」

 ビッグ・ビリーはアンリを担ぎ走りながら言う。彼には珍しい、辟易とした言葉だ。

「うん」

「アンリも自殺まがいの戦い方をするしよぉ、ほんっと肝が冷えるぜ」

「だってその方が沢山倒せるよ」

「あのなぁ……まぁ、いいや。おいらという相棒がいる限り、アンリを化け物にはさせねえぜ!」

 アンリはビリーの肩の上で口を緩め「嬉しいよ」と嗤った。

 大戦と呼ばれるこの戦争が始まったのは、去年中頃だっただろうか。いつしか始まった小国の小競り合いは世界を巻き込む戦争へと発展した。英国も同盟国への支援として、多くの兵士を戦場へと送り込んだ。

 ペンドラゴン騎士団『前衛騎士団(カタストロフ)』も例外ではない。中でもアンリをはじめとする獣の血保有者、ビリーのような獣の病罹患者は頑強な体を持ち、武装さえ調整すればある程度の魔術や化学兵器にも耐えうることができた。故に、積極的に前戦に出て、敵兵の殲滅を担当している。

 また、前衛騎士の活躍は味方側の兵士の士気を上げることもあったため、怪我や死は避けられている。獣の血による副作用の発現も、ある程度緩むのであれば休息を命じられる。故に一般へ意志とは違い、ある程度自由な時間を与えられていた。

 広い歩幅で数分駆け抜ければ、赤十字を掲げたテントが見えてくる。ビリーは顔なじみの軍医の姿を見つけると、ぶんぶんと手を振った。

「モーリス先生、ジンジャーサイダーを頼むぜぇ」

 名を呼ばれた金髪を小さく束ねた軍医は、アンリ達を見ると呆れたように笑った。

「馬鹿野郎、ここはパブじゃないぜ。可愛いお馬鹿さん。ガソリン入りのラム酒ならあるぞ」

 降ろされたアンリに肩を貸すと、モーリスはニヤつきながらビリーを小突いた。だが彼は嫌そうに舌を出し「うげぇ」と肩を落とすのだった。

「結構結構! アレ嫌なんだよな。臭いし、体に悪いだろ絶対」

「私も嫌だな。この前一度お腹を壊したことがあるんだ」

「あれ飲んだのかよアンリ!」

 アンリもきゅっと眉間に皺を寄せると、モーリスは得意げに言った。

「だが喜べ。さっき配給が届いた。向こうのテントには茶葉があるぜ。取ってきたら淹れてやるよ」

 尻尾をぴんと立てたビリーは「本当か」と目を丸くする。

「勿論だ。欲しかったらさっさとなくなる前に取りにいけよな。ああいうの、順番を誤魔化して余分に取ってく奴がいる」

「ああ、そうだな! モーリス先生とアンリの分もとってきてやるぜ!」
 そういうと、ビリーは小躍りしながら走り去っていった。戦場の兵士らしからぬひょうきんな挙動に、モールスは声を上げて笑う。

「あっははは! ほーんと。彼はいつ見てもゴキゲンだな。見ているだけで面白いや」

「本当に。楽しくなっちゃう」

 アンリは遠ざかる背を見つめ、ゆっくりと体の力を抜いた。平時では鬱陶しいと揶揄されることが多々あるが、ビリーの明るい性格は今や兵たちの数少ない癒しであった。次々に死んでいく仲間の死に顔や地獄のような光景を、彼の元気さは忘れさせてくれる。

「さーて、お前の症状はあれだな。血でも嗅ぎすぎたか」

「正解です」

「お疲れさん。ベッドはないが、ベンチが空いてんだそこでいいか」

 アンリは「勿論」と頷くと、モーリスに担がれたまま、医療用テントの中へと歯こまれていた。彼の行った通り、入口にある途端の粗末なベンチへと座らされると、硬いビスケットを手渡される。缶から取り出し、申し訳程度のペーパーナプキンで包まれたそれを、アンリは奥歯でゴリゴリと噛み跡をつける。

「硬い……」

「そりゃあそうだ。アンリ、お前他に何か欲しいものはあるか」

 アンリは考え込むと、ピンと指を立てて言った。

「じゃあ、冷たい水」

「ははっ、贅沢者め。ようし、待っていろ。心当たりがある」

 モーリスはわざとらしく顔をしかめると、アンリにこのまま中で待つように言った。言われるがまま即席ベンチの上でぼうっと外の隙間を眺めていると、一人の負傷した兵士と目が合った。見たところ十代そこそこだろう。まだ若いのに片足を失い全身を包帯で覆われている。恐らくもう、戦うことはできない。次の帰国船にのって帰還する身だろう。

 彼は短くアンリを見つめると、小さく「騎士様」と呟いた。

 反射的に、と言うべきだろうか。アンリはふらりと立ち上がると彼の元に歩み寄り、膿の混じった包帯の手を優しく包み込んだ。数度、優しくその手を撫でると、柔らかな口調で言う。

「よく生き延びましたね。素晴らしい。大丈夫、大丈夫。もう少しの辛抱だ。赤き竜の王は、貴方を見ていますよ」

 アンリは上着のポケットから、小さな包みを取り出す。こっそりと持ち込んだ好物の砂糖菓子だ。無論、自分用だったが、包装紙の上からそれを噛み砕き、できた粗い粉末を躊躇いなく兵士の口元へと持って行く。

「口を開けて。美味しいから。毒じゃない」

 きっと故郷のおばさんは毒と言うだろうけど。そんな冗談を口走ると、兵士は恐る恐る唇を開く。アンリはその中へと砂糖菓子をそっと一つ落とし込んだ。

「おーい。何隠し持ってんだ、騎士様がよ」

 振り返ると、闇魔術の兵士に作って貰ったらしき氷水入り缶を持つモーリスがにやりと立っていた。アンリは必死に言い訳を考えるも、現場を見られてしまった以上、誤魔化しようがない。

「も、モーリス……」

「十八番の違反物持ち込みだな。何回目だ? どこにそんなモン隠し持ってんだよ」

「ご、ごめんなさい……」

 肩を落とすアンリを目に、モーリスはケラケラと笑った。

「安心しな。告げ口なんてしないよ。しても俺になぁんの利益も無いしな。そこのお前も、一応規則違反だってことは覚えとくんだな」

 包帯の青年兵は頷いた。アンリは礼を言うと受け取った水を、思いっきり飲み干す。冷えた液体が消化器官を這うように流れるのがわかった。熱に晒された思考が徐々に晴れていくこの感覚が心地良い。

「感謝してるぜ、アンリ」

「ん、ん?」

「前衛騎士団のお陰で、ウチの負傷兵は他国に比べて圧倒的に少ない。そこの彼も、お宅の部隊がいなきゃ、怪我だけじゃ済まなかったろう」

 当たり前だよ。とアンリは目を細め、首をかしげる。揺れる髪が目元にかかり、危うげな美しさを醸し出していた。

「死ぬまで戦うのが、私の役目だから。沢山戦って、一人でも多くの人たちに生きて貰うのが私の使命だから。感謝なんて、」

「謙遜するなって」

「今だって戦いたい。早く早く、敵を一人残らず殲滅して、認めて、もらいたいんだ」

「認めてもらう? 誰にだ」

 モーリスが口にしたその時、外から喉を裂くような、悲鳴の如き号令が周囲へと響く。

「おい、逃げろ! 敵手だ!」

「敵手⁈」

 突如聞こえた他の軍医の言葉に、二人は立ち上がる。駆け足でテントの外へ向かうと、小規模であるが、明らかな敵意を持つ集団がそこに居た。彼等は武装し、こちらに向かって銃口を向けている。

「……!」

 アンリの瞳には見えていた。あれは違う。あれは他国のものではない。黒い、黒い……軍服ではないそれは、

「嘘だろ。反則だぞこんなの」

「違う、あれは敵国じゃないよ!」

 苛立ちが垣間見えるモーリスの叫びを背に、アンリは得物を手に取った。大きく一振りし風を薙ぐ威嚇音を鳴らす。彼女の行動を察したモーリスは、慌ててその肩を掴み。

「おい、アンリ。流石のお前でも一人じゃ」

「でも、このままだと何人も死ぬ。そうでしょう。これが皆で逃げて、生き残れる状況だと思う」

「それは」

 向けられた視線は、先ほどのおどやかなものではない。血を求めるような鋭いそれに、モーリスは押し黙る。実際、ここにはアンリを超える戦力はない。彼女の策が最善なのだ。

 うつむき掛けるモーリスの手を振り払い、アンリは地を踏みしめた。

「アンリ、待て、アンリ!」

「任せて。死んででも止める」 

「アンリ!」

 伸ばされた手には目もくれず、アンリは駆けた。手に持つ愛斧を振り上げ、全てを押しつぶす殺意を掲げながら、敵軍へと単身乗り込むのだった。

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