第一話/ガーディアン⑤(最終話)【ペンドラゴンの騎士】
五章/騎士の魂
珍しく晴れた、麗らかな空。胸のすくような風。こんなにも素晴らしい朝の日が、全ての悪夢の始まりだと誰が思うのだろうか。
その日、騎士として着任したばかりのアリスターは、初めての巡回へと向かった。真新しい剣を腰から下げ、麗らかな太陽の下へと歩み出る。
宿舎の外では、気だるげな様子の上官のハリソン・ファラデーが待ち構えていた。彼はアリスターを見つけると、どこか誇らしげに歩み寄った。
「はは、おはようアリスター。似合ってるな、新しい隊服」
にやにやと笑いかける彼に、冗談を言って見せる。
「先輩も。今日は眉間の皺が緩いですね」
「ったり前だ。手塩にかけた後輩の初仕事なんだからよ。期待してるぜ」
広い手が、力強く背を叩いた。う、と呻き声を上げるが、痛みよりうれしさが勝る。
二年間の騎士学校での学びを経て先日、アリスターは念願だった守護騎士として腕章を授かった。そして今日は、騎士として初めて街を歩く日なのだ。
ぎこちなく歩くロンドンの街。いつもと同じ風景の筈なのに、何故だか別の場所のように感じるのは、気のせいだろうか。
「どうだ、剣は重いか」
緊張で強張るアリスターに、ハリソンはそう声を掛けた。
「……はい。思っていたよりもずっと。ですが、とても誇らしいです」
「その重さ、しっかり覚えておけよ。無くしたら困るからな」
ハリソンは満足げに「そうか」と笑うと、煙草を取り出そうとする。が、アリスターはそれを制止した。
「勤務中ですよ」
「分かってる分かってる。仕舞うからそんな顔をしないでくれ。それにしても良い日だ。雲一つ無いとは言えないが、優しい青空が観れる。まるでお前の門出を祝っているかのようだ」
「冗談は止めてください」
アリスターは気恥ずかしくなり顔を背けるも、内心は嬉しかった。憧れであり上官でもある騎士にそう言われるのは、何よりも誇らしい。
数刻の時間が過ぎ、おおかたの場所を回り終わった頃。ハリソンが「一休みしようか」と一息吐いた。その時だった。
「騎士様、騎士様……!」
一人の市民がやってきた。息を切らせ切迫した表情を浮かべている。
「! どうしましたか、何かありましたか」
「切り裂き魔、切り裂き魔が……」
その言葉にはっとする。
真っ先に浮かんだそれは『切り裂き魔ジャック』かつてロンドンを騒がせた殺人鬼だ。自身が生まれる前の話だが、何度も何度も耳にした。
「あいつか……っ!」
ハリソンの表情が変わる。見る者を怯ませる憎しみの表情に、アリスターは息を吞んだ。
こんな顔、見たことが無い。
「行くぞアリスター!」
「は、はい!」
アリスターはハリソンの背を追い、駆けだした。市民の指が示し、向かうは路地裏。悪党が身を隠すにはうってつけの環境だ。
細いビルの隙間、視界に其れが入ったとき、二人の息は止まった。
「……ひ、酷い」
惨状。まさにそう呼ぶに相応しい光景が、そこにあった。血飛沫の広がる地面に四肢を切り落とされた人々の死体。ゆうに五人分はあるだろうか。
せり上がる胃液を抑えつつ。正面を見た。そこには針金のような細い四肢を持った男の姿と、彼に掲げられる少女。返り血だろうか。服も肌もべっとりと血に濡れていた。
その背後には……黒い影?
切り裂き魔、数十年前からロンドンを騒がせる殺人鬼だ。ペンドラゴン騎士団が総力を挙げても尚、尻尾を掴めなかった存在がそこにある。こめかみに、冷や汗が伝うのを感じた。
「しっかりしろ、アリスター! 怯むな!」
空気を裂く、鋭い音で我に返る。ハリソンの掌から、空気の刃が放たれたのだ。それは真っ直ぐと切り裂き魔の方へと飛んでいき。彼の頬をかすめる。
「俺は奴を狙う。市民の方は頼んだ」
「はい……!」
二度、三度と鋭い音波が飛んだ。だがどれも命中するも、致命傷には至らない。
「た、助けて……」
「待っていてください、今……!」
少女の元に手を伸ばした時だった。弾ける赤が、アリスターの視界を覆った。何があったのか。それを理解するのに時間はかからなかった。なぜなら、目の前に四肢を切断された少女の姿があったからだ。彼女は斜塔から落とされる鉄球の如く放られ、地面に叩きつけられる。
「大丈夫ですか……!」
僅かに、まだ息があった。だが、完全に首を切断されており、おびただしい量の血液があふれ出ている。虚ろな目が、助けを請うた。
「きし、さま……」
アリスターは前進の血液が目まぐるしく回るのを感じる。確か、切り裂き魔は切断した人物を、致命傷を負わせながらしばらくの時間、生きながらえさせることができるという。
だが、彼には今彼女を延命する手段は無い。感覚を失ったであろう手を握りしめ、大丈夫だ、大丈夫だと声を掛けることしか出来ない。
「畜生……逃がすか!」
ハリソンは魔書を取り出し、魔術の発現を試みた。淡い光とともに、魔書から無数の糸があふれ出る。それらはひとりでに束となり、大きな縄となって切り裂き魔の方へと向かった。
「無駄だ」
不気味な声がしたかと思うと、その刃の指先によって、縄は細切れになった。
「な……!」
そして、一瞬のうちにハリソンの四肢が切り落とされた。ゆっくりと、そして明確に若騎士の目に映ったそれは、切望を誘うには十分過ぎた。
「ハリソンさん……ハリソンさん!」
アリスターはハリソンの元に駆け寄る。だが、それはハリソン自身によって制止された。
「馬鹿、野郎。俺に構うな……、彼女を、救え」
「でも、俺、どうすれば……」
アリスターは特別な魔術も魔書も持ち合わせていない。自分に出来ることなど、欠片も思いつかなかった。
「……使え。きっとお前の手に馴染む筈だ」
そう顎で指されたのは、先ほど彼が使っていた魔書だった。
「魔書なんて禄に使ったこと……それにまだ俺は、」
「……しっかりしろ、緊急事態だ」
ごぼりと口元から溢れる血液で言葉が濁る。
「お前は、騎士だ。騎士の本懐を、忘れるな……」
俺が許す。行け。
にっと、ハリソンが微笑む。その笑みが、空元気によるものだと直ぐに理解した。アリスターは強く頷き、魔書を抱え上げると、再び少女の元へ向かう。
既に虫の息となった少女の側へ膝を突き、魔書に魔力を注ぐ。
お願いだ。間に合ってくれ、早く、早く……!
アリスターの懇願に答えるように、魔書からはうっすらと発光する七色が浮かびあがる。その儚い命の灯火は、薄暗い路地裏に浮かび上がった。
・・・
「先輩。せーんぱい」
揺蕩うような微睡みの中。ふと、優しげな声で目を覚ます。
あぁ、誰だ。誰の声だ。
アリスターは覚醒し、名残惜しく閉じたがる瞼を上げた。瞬間、差し込む午後の光と共に、一番始めに飛び込んで来たのは、こちらの顔を覗き込んでくる後輩の顔だった。
「起きましたね。ふふっ」
キャロルは悪戯っぽくクスクスと微笑みながら、アリスターをつつく。その手をはねのけ、鈍った体で伸びをした。
「んだよ。折角気持ちよく寝ていたっていうのに」
「私だって悪戯に起こしたわけではありませんよ。団長からお呼び出しです」
「呼び出し?」
アリスターは首を傾げた。自分たちは例の違法魔書売買組織の一件の後、団長の計らいで数日の休暇を貰った。まさかその最中呼び出しとは、緊急事態だろうか。
「さぁ。私もよく解ってません。悪いことではないと思いますよ、多分」
「何故そう言い切れるんだ」
「何ででしょうね。女の勘、です!」
余りに不確かな根拠に、アリスターは呆れて頭を掻く。そして寝転んでいたベンチを下り、ロンドン=ペンドラゴン城へ、守護者たちの塔へと向かう。
そんな考え事をしながら、アリスターは団長の執務室に向かう。扉を開けたそこには、団長ともう一人、若い男の後ろ姿があった。思わず眉を歪める。こんな背格好の男、守護騎士団に居ただろうか。
「アガター卿、エリオット卿。よく来てくれました。折角の休暇中に申し訳ありません」
「大丈夫ですよ、団長。先輩はずっと寝ていただけですから」
「キャロル。いいえ、問題ありません。その、もしかして話というのは……」
団長はゆっくりと頷き、背を向けたままの青年に合図を送った。
「自己紹介します。こちら、このたびアカデミーへの編入が決まりました新たな騎士候補です。どうしても二人に挨拶をしたいと願い出まして」
青年の顔がこちらを向くと。キャロルの表情がぱっと明るくなった。
「あ、もしかして貴方……!」
「はい、休暇中失礼いたします。俺、守護騎士団志望でアカデミーに入りました。名をブルーノ・オファレールと申します!」
はつらつと敬礼をするその姿に、アリスターは自分の頬が緩むのを感じた。
「そうか」
一度足元に目を落とすと、彼は短な賛辞を送った。
「これからよろしくな、ブルーノ」
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