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第二話/無花果の葉は枯れた⑤【呪いの箱庭】

〈10/錆〉


入学してからおおよそ、1年と半年が経過した。6月の末、もうすぐ夏休みにさしかかろうとするこの時、グザヴィエは学院から渡された二枚の紙を握りしめ、頭を抱えていた。

 その表題は『進路希望及び、次年度の授業選択希望票』、『血液詳細検査案内書』。前者は、言うまでも無く、今後の進路とそれに準じた科目を記入するための書類。後者は、魔術師としての適性を生体基準で測定するための指令書。成人し、魔術に関する職に就く者には必ず義務づけられる検査だ。本人に魔術師としての一定以上の適性があり、問題なく仕事ができることを保証する検査なのだが、実のところ獣の病罹罹患者のあぶり出しの役割を持つ。

「ああ、くそ。面倒だな魔術なんて授業で使ってるから確認するまでもねぇよ。俺らはもう何回も受けているし」

「僕は初めてだよ。一体どんなことをするんだ」

「アンプル一つ、注射器で血を吸うだけだよ」

 カウンターで購入した珈琲は既に空。摘まむために持ってきたビスキュイもとうに底をつきた。

 一人くしゃくしゃと頭をかきむしるルノーを横目に、読書を楽しむルノーは言った。勿論、彼の希望票は、とうに書き終えている。

「それに、何で進路なんかわざわざ学校に言わなきゃいけないの」

「学生の未来の可能性を広げる場所が、学校だからね」

 ルノーは紙の隙間からそっとグザヴィエの様子を覗くと、「助けてくれ」哀れっぽい視線をこちらへと向けていた。思わず失笑する。

「何だ。笑っちゃったじゃないか」

「ルノーはどうしたんだ。授業」

「何?ノートは貸さないよ」

「んなこと俺が一度でもあったかよ……いや、たしかに1、2回はあったかも知れないけど、と、とにかく参考にするだけだ!」

 仕方ないな、とルノーは指を折りながら言う。

「素体解剖学、獣病医学、近代装幀史。装幀師志望者向けは大体取ってあるよ。あと経済学」

 ああ、と気の抜けた返事をすると、グザヴィエは聞いたとおりの教科名を書き込んだ。

「装幀師に、なるのか」

 もちろんだよ、ルノーは頷く。

「この学校に入ったからにはね。それに、奨学金を取るには装幀師路線の取得が必須。元々、対人交流が上手な訳じゃないから、一人で作業できる方が気楽だよ……ただ、経営学も通らないといけないのが辛いけど。グザヴィエは?やっぱり装幀師なの」

 好奇心を浮かべた表情が、ずい、と覗き込む。同時に、人造の奥深くがきゅぅうと絞り込まれた。

 グザヴィエは装幀になるつもりは無い。否、なれない。

 自分が呪われた一族の出だと、彼は知っているが、その呪いの正体を知らないだろう。幼馴染み達は知っているし、彼にも打ち明けるべきだとは考えた。大切な友人……存在の一人として、自分の全てを知って欲しいという傲慢な願いも或る。一歩、真実を伝え、もし嫌われたならば?

 グザヴィエは暫く黙り込むと、喉をせり上がる、重い言葉を吐き出した。

「装幀師、にはならない」

「そうなんだ」

 残念そうに、彼は呟いた。

「ちまちました作業、苦手なんだよ。勉強と違って集中力が続かない。それに、」

 つらつらと口先で言い訳しながら、ルノーの顔色を伺う。「たしかに、君らしいかもね」と納得の言葉を述べていても、どんよりと肩を落としている。

「残念だな、君の考える表紙デザイン。僕は好きだったんだ」

「親父の代で装幀師は終わりにして、何か別の仕事を探そうと思っている。代替わりしたら、家にある道具も全部棄てるつもりだ」

 ええ!、とルノーは驚いた顔をした。

「勿体ない。折角いい道具ばかりがそろっているのに」

「ああ。だから、貰ってくれないか」

 家の道具。

 そう言うと、ルノーは目を皿のように円くし、ぽかんと口を開ける。

「道具、なんなら工房ごと使ってくれても構わない。鍵を、渡すから」

「そんな、」

「道具も使ってこそ道具だ。物置に寝かせられたままだと可哀想だろう。それに、卒業したあとも一緒にいられるじゃないか」

 精一杯、伝えたつもりだ。できるだけ傷付けないように、気づかれなくてもいいように。

 恐る恐るルノーの顔を覗き込むと、ぽかんと目を丸くしていた。「やってしまった」と思った次の瞬間、彼は吹き出して笑う。まるで、夏の日差しに舞う小さな蝶のように。

「馬鹿だなあ。学校を出たらハイおしまい、とはならないだろう。君とも、ベルナールたちとも、ずっと仲良しでいるつもりだよ、僕は」

 ね、と無邪気に首を傾げる彼の視線があまりにも眩しくて。思わず目をそらす。

「そうか。そうか……」

「だから、そう寂しがらないで。ずーっと、友達だから」

 グザヴィエは、再び机に突っ伏した。透明な髪で、必死に顔を隠しながら。

・・・

 おかしい。

 彼の、ルノーの行動に違和感を感じ始めたのは夏期休暇明けだった。珍しく、校内でベルナールと二人並んでいるのを見つけた。珍しい組み合わせだ。そう思い声を掛けると、青ざめたルノーが振り返る。

「んだよ。一緒にいるんだったら声かけてくれてもいいじゃねぇか」

「ああ、ごめん。その……」

 ルノーは挙動心に瞳を泳がせ、俯くように目を逸らす。妙に歯切れの悪い言葉に、グザヴィエは眉をひそめた。

「なんだよ、なんで目を逸らすんだ」

 思わず手を伸ばしたが、呆気なくベルナールに遮られる。

「ごめんね、少し彼に用があってご一緒して貰ったんだ。寂しい思いをさせてごめんね」

「は、寂しくねぇし。んなことなら早く言えよ」

 誤解するじゃないか。

 心に生まれた靄を押し戻すように、舌打ちした。ルノーはごめんね、と眉を困らせる。

「じゃ、用事があるから僕らは先に失礼するよ。じゃあね、グザヴィエ」

 ベルナールはルノーを小突き、緒にそそくさとその場を去った。ふん、と鼻を鳴らし、グザヴィエは引き換えず。

 以前も、ユーゴやイヴが「用がある」と言ってルノーをつれて行くことが時折あった。今回もまた、同じようなものだろう。そのうち帰ってくるさ。そうたかを括っていると1週間、2週間、一ヶ月と経過した。ルノーはベルナールと行動をしている。遊びや勉強会に誘おうにも、何かと理由をつけて断られる。その時決まって、彼の介入があるのだ。

 何度か断られたとき、最悪のシナリオが頭をよぎる。

 まさか、二人は、

 不意に握った拳に、爪が食い込む。嘘だ、ベルナールに限ってあるはず無い。何においてもユーゴを最優先にするような男だ。それこそ呪いにでも掛けられない限り、脚を滑らせることがあるはず無い。

 襲う焦燥感は、じわじわとグザヴィエを蝕んだ。日に日に、まるで虫にでも心臓を食らい尽くされるような焦りが迫り、いつしか授業も勉強も手につかなくなってしまった。

 そして1週間ほど経ったカフェテリアにて、ついにあの女に一言物申される。

「アンタどうしたの。ひぃひぃ言っちゃって。馬鹿は風邪引かないはずでしょう」

 向かいの机でペンを握っていたイヴが、首を傾げた。

「どうしたの最近。急に走り出したり、唸ったり忙しない。犬じゃぁあるまいし」

「何でも。なんでもない。本当に」

「本当に何でもないなら、うわごとのようにルノーの名前を呼ぶはずは無いでしょう。話しなさい」

「いや、」

「話しなさい」

 見下ろすような剣幕。今の彼女に何を言っても駄目だろうと言うことは、十数年の経験上理解している。仕方なく、ルノーに避けられていること。彼がベルナールと一緒にいることを話した。

 イヴは、一度は驚くも、早く額に手を当て考え始める。「確かに妙ね」とツ媚薬彼女も、同じ気持ちなのだろう。

「よりにもよって、ユーゴが略奪じみた真似をするとは思えないわ。だってあのベルナールよ?一番あり得ない」

「俺だってそう思ってる。でも1ヶ月近くずっと一緒にいるんだ。理由だってわからないし」

 熱くなる目頭を隠すように頭を抱えた。ふわりと流れる透明な髪を、イヴはぐしゃぐしゃと撫でる。

「俺、何かしたのかよ。思い当たる節なんて何も無い」

 ずるずると机に遺体を打ち付けるグザヴィエを目の当たりにし、イヴは幼子に諭すように口を開いた。

「本人に聞いてみるしか無いんじゃないのうじうじしたって何も始まらない」

「それができていたら今苦労してない」

「ほら、思い立ったが吉日でしょう?行きなさい。今すぐに」

「お、おい。イヴ!」

 イヴはひょいと荷物を奪い取り、抱え込んだ。

「ルノーのところに行ってこなきゃあ、返してあげない」

「チッ」

 反論もできぬまま、グザヴィエはカフェテリアを追い出された。収穫があるまで帰ってくるな、と念を押されて。

「ったく、どうしろって言うんだよ。後悔しても知らないわよ」

 荷物を質に取られた以上、何もせずに帰るわけにも行かない。それに、背中を押してもらえたのだから。

 意を決したグザヴィエは、学校中を巡る。暫くすると、図書館の日陰の端で、じっと分厚い本に目を通しているルノーを見つけた。

 周囲にベルナールの姿も見当たらないため、意を決して脚を踏み入れた。

 集中しているのだろう。ルノーは近づくグザヴィエに気がつく様子はない。彼と目が合ったのは、無言で正面の席へと座った瞬間。突如現れた趺坐ヴィエに狼狽える視線を見せ、ルノーは慌てて本を閉じた。

「待てよ。付き合い悪いな」

「ごめん、」

 グザヴィエの声に、ぴくりと止まった。顔色を伺うと、あからさまに怯えているのがわかる。

「な、なに……?」

「あー……今度、俺の家来ないかって誘いたくて。前に言っていただろう、魔書の道具が沢山あるって。きっとお前の役に立つはずだから」

「いい。要らない。君に悪いし」

 前は嬉しいって要ってくれて嫌じゃないか……!

 会わない視線が苦しい。

「なあ、ルノー。最近、お前おかしくないか。俺何か」

「あれ、グザヴィエ。こんなところで会うとは奇遇だねぇ」

 遮るように、恨めしい影が歩み寄ってくる。案の定、ベルナールだった。いつも通りニコニコと穏やかに笑っているが、今はどうにも胡散臭く見える。

「君も勉強か、感心感心」

「ちっ、お前に用はないんだよ」

 悪態をつくも、ベルナールは余裕の表情を崩さない。

「じゃあ、折角勉強する気になった君の邪魔をする訳にはいかないな。場所を変えようか、ルノー」

「う、うん」

「おい、待てよ」

 鉛筆に手を伸ばしたルノーの手首を掴んだ。怯え跳ねる体が、直に伝わる。

「なあ。今度、勉強会でもしようぜ。ユーゴやイヴも呼んで」

「それは」

「夏前までよくやってたじゃないか。それに、お前らの力をちょうど借りたいと思っていたんだよ。なあ、良いだろ。ベルナール。可愛い弟分の頼みだぜ」
 ベルナールは僅かに困った顔をするも、頷いた。

「仕方ないな。息抜きがてら、いいかもしれない。うちの邸なら週末にでも手配できるよ」

「一応、最終学年ですんでね。少しはやる気になっただけだよ」

 自分でも恐ろしかった。とっさとは言え、ルノーの腕に触れるだなんて。
 でもこれで、彼ともう一度話し合うことができるのなら。

・・・

 やってきた勉強会の日、ラファイエット邸の一室でグザヴィエの話を聞いたイヴは小さくうなづく。

「事情は理解したわ。本当、何を企んでいるのかしらあの2人。杞憂だけには終わりそうにないわ」

「少しの間だけでもいい。二人で話し合う時間が欲しいんだ」

「もちろん、良いわよ。その間、ベルナールの脚を止めていればいいのね?」

 勢いよく腕を叩くイヴ。見かけによらない、相変わらずの怪力だ。

「いいのよ。私だって、あなたがしょんぼりしていると調子狂うもの。姉さんがなんとかしてあげるわ、任せなさい」

 未だかつて、彼女のお節介がこんなにも頼もしく思えたことがあっただろうか。グザヴィエは頭を下げる。

「ありがとうイヴ。恩に着る」

「結果で返しなさい。絶対仲直りしてくるのよ」

 ね、とイヴが笑うと扉が開いた。ユーゴだ。

「やあ、お待たせ。ついつい寝坊してしまってね、ベルナールの迎えが来るまでぐっすりだったよ、あはは!」

「寝坊?あなた最近多いわね。らしくない」

「きっと疲れが溜まっているんだ。今日でリフレッシュできるといいけど」

 彼の背後には、ひらひらと手を振るベルナールと、よそよそしく身を縮めるルノーがいた。

「おはよう、ルノー」

「グザヴィエ……、おはよう」

「ああ、待っていたぜ」

 相変わらずよそよそしい。それどころか、いつも以上に落ち着きがない印象すら感じる。

 今日、絶対に理由を尋ねるんだ。

 グザヴィエは踵を返し、テーブルへと戻る。

・・・

 チャンスは今しかない。

 先ほどトイレに行くといって席を立ったルノーの後を追い、「煙草を吸ってくる」と時間差で部屋を抜け出した。「自分も一緒に」と申し出たベルナールはイヴに任せ、そそくさとトイレの方へと向かった。

 空き部屋の一角に身を火染め、じっと外の様子を見つめる。

 ここで待っていれば彼流行ってくると踏んでいた。暫くすると、ルノーがこちらに歩いてくる。俯き加減に歩く彼は、もう無防備と言って差し支えない。

 今だ。

 ちょうどルノーが部屋の前に来たと同時に、グザヴィエは彼の手首を掴んだ。

「、っ!」

 突然の出来事に、ルノーはなすすべもなく、部屋の中へと引き込まれる。自分よりも一回り小さな体を、力任せに引き寄せたグザヴィエは、息を止め、じっと彼の顔を覗く。壁に貼り付けになったルノーの顔色は、カーテンの締め切った部屋ではよく見えない。ただ、僅かに耳を刺激する細かな呼吸音だけが、彼が恐怖の縁に立たされていることを証拠づけた。瞬間、氷水を被った寒気に襲われる。

「ぐ、グザヴィエ」

 本能的な危険を察知したのだろうノーの顔色は、すっかり青白くなり、心なしか震えている。

「ルノー、違うんだ。お前を傷つけるつもりなんて無い。少し話をしたくて」

 誤解を解かせて欲しいだけだ。

 ふと、彼の白い喉元に隠すような傷が見えた。チョーカーのように、横一列に斬り込むような、まだ生々しさの残る傷。

 知らない。

 こんな傷、知らない。

「なんだ、これ」

 いつ、どこで。

 まさか、ベルナール……?

「ルノー?」

「ごめんなさい」

 絞り出すような嗚咽が、零れた。理解できない。なぜ、声を振るわせる必要があるのか。

「何謝ってんだ……、傷つけられたのはお前だろう。ベルナールか、それともあの集団にやられたのか。何をされた。それとも弱みでも握られたのか、なら、俺が、」

「僕が、僕が悪いんです」

「そんなこと、絶対にない」

「本当、です。だから、ごめんなさい。どうか、どうか」

 何も聞かないで、ください。

 瞬間、胸の奥で、何かが落ちた。

 失望、絶望。そんな生半可な言葉では表してはいけない虚無と喪失が同時にグザヴィエを襲う。

「そうか」

 そうだったのか。

 嫌だったら、言ってくれればよかったんだ。言わないこの男が悪い。いつだって、笑って受け入れるだけで、抵抗の片鱗すら見せてくれなかったじゃないか。あの時も、あの時も、「嫌だ」と一言でも言ってくれれば。素振りの一つさえ見せてくれれば。

 何もしなかったのに。

 嫌われずに済んだのに。

 最悪だ。

「……悪かったよ」

 ゆっくりと、手を離し背を向けた。

「悪かった。部外者が首を突っ込んで」

「違う……」

 違う?

 再沸騰した怒りのまま、グザヴィエはルノーを睨みつける。

「何が、何が違うんだよ!」

 無意識に、その胸ぐらを掴んだ。怯えた瞳が、水の膜に揺れる。

「言ってくれよ、どう違うんだ!教えてくれよ、なあ、なあ!」

 どうして、こうなってしまったんだ。

 特別だと思っていたのは、自分だけだったのか。

「ルノー」

 脳裏に、そう言葉が浮かんだ瞬間、ぷつりと意識が途切れた。


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