第一話/白鳥のワルツ⑤【呪いの箱庭】
〈7/一時の風〉
「えぇと、だからして。〈獣〉の血を引き継ぐ者には、魔術師でありながら〈獣〉と特製を引き継ぐ者が現れる。これは極めて稀な事例であるが……」
教授の言葉を遮るように、終礼が鳴った。生徒たちはそそくさと教材を片付け、各々席を立っていく。ルノーもまた、その一人だった。
足下に差し出された爪先を軽々と飛び越え、教室を出る。心地よい初秋の風を凪ぎながら、彼の言う集合場所を目指した。
カフェテリアの古いシャンデリアの下。そこに白銀色の髪の青年が待ち構えていた。赤褐色の瞳が此方を捉えると、僅かに微笑んだ。
「ルノー」
「グザヴィエ、お待たせ」
手を振り返し、ルノーはグザヴィエの正面へと腰かけた。
「おせえよ。待ちくたびれたぜ」
「これでも軽く走ってきたんだから。席取りご苦労様。ついでに単位も取って欲しいな」
「うるせえ」
けっ、とわざとらしく悪態を吐くグザヴィエにため息を吐く。冗談めかしてたしなめているものの、実際単位は危ないのだ。友人が落単留年姿は見たくない。何か方法を考えなくては。
「あいつらは?」
「たしか、装幀史だったはず。もう暫くかかるよ。話は面白いんだけどね、あの教授」
「面白い? ただ長ったるいだけだろ」
「そんなことないさ。確かに予備知識は必要だけど、文献複数から引用して話してくれるから、比較ができて面白い」
「歴史ってのは一つだろ」
「ああ、見る人の数だけ瞳に映る物は違う。事実は一つでも、物語は無数にあるものさ」
グザヴィエは気だるげに頬杖をつく。興味ないと言わんばかりに目を逸らす仕草が、ふてくされた時の弟のようで自然と目が細まる。
「グザヴィエー?」
「メリットもないのに命令されてもやる気なんかでねぇよ。デメリットしかねぇよ」
「損得勘定を咎める気はないけど、もう少し周りに興味を持つことをすすめるよ。幸い僕たちは恵まれた環境下にいる。折角学びの機会をみすみす逃してしまうのは、それこそ損だ」
だろう?呼びかけるとグザヴィエは、いかにも面倒くさそうに、ルノーの持っていた教本を指さした。
「それ、教えろよ」
「基礎装幀学だよ? 君も持っているだろう」
「開いてない」
「開いて……ない?」
耳を疑うような言葉が聞こえた。反射的に顔を上げる。当のグザヴィエはあっけからんと視線を斜めに向けていた。
「今度追試を受けろって言われてんだ、だから」
「あれ受けなかったのか? 単位取得に必須だって教授は口酸っぱく言っていただろう」
「でも興味が出なかったんだ仕方ない」
「……わかったよ。今日の講義が終わったらさわりだけ教えよう。絶対帰らないでくれよ」
「ああ」
満足げに笑うグザヴィエを見て、思わずため息を吐いた。
まったく、弟が一人増えてしまった。そう言うと、彼はもっと不機嫌になるだろう。そっと自分の胸の内に止めることを決めた。
なんて、平穏な日常なんだ。
ルノーは、並んだティーカップのうち一つを、そっと口元に運ぶ。砂糖漬けにした果実の香りがふわりと漂う。
願わくば、穏やかな日々が続きますように。
いつか潰える祈りであっても、願わずにはいられなかった。
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