第一話/ガーディアン③【ペンドラゴンの騎士】
三章/閉ざされた心
ようやくアリスターが口を開いた。女は艶やかな黒髪をふわりと靡かせ、来訪者へと視線を向ける。
「いらしたのね」
声の印象と違わない、品のある令嬢と思しき所作だ。まさに、人形の様な顔立ちという言葉が相応しい、仮にも武勇の誓いを立てた騎士とは思えぬ可憐な出で立ちだ。
だが、彼女の姿を目にしたキャロルは、「え、」と驚きの声を上げる。拍子抜け、と言った方が相応しいであろうか。
女の虚に見開かれた、菫色の瞳から、ボロボロと涙がこぼれ落ちている。それらは薄闇に浮かび上がる白い頬を伝い、地面にいくつかの染みを落としていた。
「先輩。あの人、泣いて……」
「ああ、そうだ。あいつは『そういう女』なんだ」
アリスターは言った。彼女の名はベティ・ベル。代々レイヴンの騎士を輩出する名門一族・ベル家の令嬢である。
強い共感性と信仰心、そして自覚なき残虐性を持ち合わせる彼女は、尋問の度こうして咽び泣く。それは囚人に対してか、自らか、はたまた神への祈りの一種なのか。今だに理解できるものはいない。結果、彼女につけられたあだ名は『レディ・バンシー』。泣き女、である。
「レディ、代役を連れてきました」
「ええ、そうでしょう。そうでしょう!」
バンシーは胸元で手を組み、アリスターたちに朗らかな笑みを浮かべるとこつこつと小走りに駈け寄った。淑女然とした上品な立ち仕草だが、頬に張り付いた血飛沫のせいで台無しだ。
「アリスター! ああ、アリスター! いつぶりかしら、数週間? 数ヶ月? ふふ、忘れてしまうくらい会っていないわ」
バンシーは生温い血のついた手を、そっとアリスターの頬に寄せる。彼は抵抗の様子を見せないが、眉を寄せた不機嫌な表情を浮かべたままだ。キャロルの小さな悲鳴に、構う者はいない。
「その血は誰のものだ」
「まあ」
「誰のだと聞いているんだ」
低く脅すよう声色で、アリスターは尋ねる。
「ごめんなさい。貴方であっても、仕事については秘密。一つだけ教えることができるとするなら、彼のじゃないってことくらいかしら」
ベティは微笑んだ。何もかも不釣り合いな、少女のような笑みだった。
「それにしてもひどい顔。ええ何にも言わなくていいわ。わかるもの。なんて、嗚呼……なんて」
桃色の唇が、アリスターの耳元に囁く。
なんて、かわいそうなのでしょう。
「止めろ」
瞬間、アリスターの体はバンシーを拒絶した。思考の間もなく、本能的に。力の限り彼女を突き飛ばし、一つ、ため息を吐いた。キャロルは仲裁に入ろうとするも、割り込むにも割り込めない雰囲気に、うろうろと困惑するだけだ。
「ふふっ」
驚きよろめくバンシーは、また屈託なく表情を崩すと、再びアリスターの元へ近づく。
「ごめんなさい。でも誤解しないで。私、あなたが心配なだけ。いつもそうでしょう? ろくに気持ちを整理せず、ただお腹の中にためて大きくするの。破裂してしまいそうで恐ろしいのよ」
「俺を知った気になるな。お前なんかに理解されてたまるか」
「意地を張っても、いいことはないわ?」
正に一触即発。逆鱗を狙い合うような問答にヒヤヒヤしながらも、キャロルは口を開いた。
「あの……」
二人は一斉に声の主の方へと振り向く。すっかり萎縮した子犬のような少女は、恐る恐るながらも問うた。
「先輩とレディ・バンシー……いえ、ベティ・ベル卿はお知り合い、なのですか」
「ああ、それは」
「まあ……!」
アリスターが口を開きかけた瞬間、くるりとレディ・バンシーのすみれ色の瞳がキャロルを捉えた。途端に虚ろを映した瞳がきらりと輝き、細い方を上げ歓喜するのだった。
「まあ、まあまあまあまあ! なんて可愛らしい騎士なの! ねえアリスター。こんなに可愛いらしい子を連れていたなんて、教えてくれてもよかったんじゃないかしら!」
整った顔立ちが、瞬く間に目と鼻の先まで近づく。視界に入る美的情報量の多さにキャロルは言葉を詰まらせ、あ、いや、その、と頬を赤らめるばかりだ。
「相手にするなキャロル。こいつは玩具を見つけると、すぐにこうだ」
「玩具⁈」
「なんて人聞きの悪い。私はただ、愛しいと感じた者に、愛しいと言っているだけに過ぎないの。きっと、殿方には馴染みがない習慣なのでしょう。それにしても、本当に可愛らしい。純真で、無垢で。でも少し危うくて。ねえ、騎士になってどのくらい? そう、まだ少ししか経っていないの。ふふっ、尚のこと可愛いらしいわ」
キャロルはすっかり頬を赤くし、俯き加減で「あの、その」とうわごとのように呟いている。時折、助けを求めるようにアリスターに目配せをするものだから、彼は仕方なく二人を引き剥がした。
「やめろバンシー。俺たちだって時間が無いんだ。さっさと要件について話せ」
バンシーは不気味に微笑みながら、「そうね、」と呟く。
「先日、違法魔書の件で捕まった彼のこと、でしょう。ブルーノ・オファレール……まず彼について分かったことからお話しましょうか」
どこか淡々と、彼女は話し始めた。
彼は、イーストサイドに家族と住む、ごく一般的なワーキング・クラスの青年だった。周囲の人々からの評価は『働き者の好青年』。まだ幼いと言える時期から工場へと就職し、そのまま毎日コツコツと働いている。家族と食事が大好きで、戦前には朝夕とパブにいるのを見かけたという情報が多く寄せられていた。まさに、典型的な労働者といえる青年だろう。また、地道なが語学の勉強を行っているとか。
「ここに来たときから、何度も何度も彼に話しかけているわ。でも、なかなかお話をしてくれないのよ。ずっと、だんまり。悲しいわ。私じゃあ何も話してくれないみたいなの」
「だから俺に、と? なぜだ。全くの門外漢だろ」
「尋問に関してはね。でもね、人というものは、自分と同じような環境で育った者に親近感を抱くというものよ。そして、正反対の人生を歩んできた者のことは理解できないことがあるわ。場合によっては、根拠のない憎悪すら生み出すことも」
「……何が言いたい」
バンシーは『ブルーノ・オファレール』と書かれた書類の束をアリスターに差し出し、口笛で愛鳥を呼んだ。鴉は一鳴きすると、親愛なる主人の方へと翼を開く。
「簡潔に言うと、ここは貴方が適任だということ。きっと、貴方は私の話を聞きたがらないでしょう。そちらに情報は纏めてあるから……ふふっ、ご参考までに」
「俺は尋問の勝手がわからない。それはお前も分かっているよな」
バンシーは静かに頷いた。血濡れの髪がゆらりと揺れる。
「貴方を信じるわ。それに、万が一の事もあるから監視官だっている。緊張しないで頂戴な」
静かに言紡ぐと、バンシーはくるりとキャロルの方を向き直り、小さな手を取った。
「ねぇ、素敵なレディ、今度、アフタヌーンティーのお誘いを送ってもよろしくて?」
「はっ、はひぃ! 勿論、です!」
「キャロルに勝手に触るんじゃねぇ。ビビってんだろ。ったく、抜け目ねぇな……」
素っ頓狂な声を上げるキャロル、そして敵意の視線を向けるアリスターに目を細めるバンシー。彼女は満足げに鴉を撫でると、スカートの裾を摘まみお辞儀をした。
「まあ。まるで宝物を奪われたような顔をなさらないで? 私は物盗りじゃないわ。では、ごきげんよう。また会いましょう」
小さな靴が踵を返し、バンシーは扉の向こうへと消えるのだった。
残された二人は立ちつくし、アリスターは大きな溜息を吐いた。キャロルは、バンシーの余りの異様さと美しさに上がりきった心臓の熱を抑えるのに必死だった。
「す、凄まじいお人でした……泣いたり笑ったり、感情豊かといえばいいのでしょうか。はじめて会う雰囲気の方で」
「あの女の情緒がどこかおかしいのは、少なくともアカデミー時代から変わらない。気にするな」
「あ、アカデミー⁈」
騎士達の間で『アカデミー』と言えば、答えは一つ。『国立ペンドラゴン騎士学校』、ペンドラゴン騎士団のに所属する騎士の大多数が通った、国立育成機関だ。
「さっきの質問、答え忘れていたな。そうだ。俺とあの女は、偶然同じ歳にアカデミーに入学した同期だな。俺も奴も、変に目立っていたからな。見習いバッジを着けていた頃は、不本意だったが何かと縁があった。卒業してからは殆ど顔を合わせていなかったがな」
驚くキャロルをよそに、アリスターは手渡された書類に視線を落とす。一通り確認すると、黙って奥へと続く扉へと手を掛けた。次鳴る部屋へと移動しようとしたその時、サンドラが間に入る。
「アリスター殿。彼は違法魔書による意識汚染の影響をわずかながら受けています。対面での会話は危険です。それに、会話でしたらこちらの部屋から彼に呼びかける事も出来ます」
「意識汚染、ですか……?」
驚くキャロルを他所に、アリスターは分かりきったように頷いた。
「……わかっています。だが俺はあの女から『好きにしろ』と言われています。貴殿も聞いていたでしょう」
サンドラは少し悩んだ様子を見せると、再び貼り付けたような笑みを浮かべる。
「……承知しました。くれぐれもお怪我をなさらぬよう」
「心得ています。行くぞ、キャロル」
「は、はい……!」
僅かな躊躇いを見せながら、キャロルも後に続いた。
部屋の中は、数本の明かりだけで照らされていた。小さな物置大の広さに、床板に固定された椅子が一脚。そこには、つい先ほど新調されたかのような魔術道具で拘束された青年が一人いる。俯き加減に見える表情、そして硬めの黒髪から、ブルーノ・オファレールだと分かる。
「……久しぶりだな。覚えているか、俺のこと」
血走ったブルーノの目が、見開かれた。消して短くない期間、騎士として働いてきたアリスターは一目で理解した。これは、明らかにおかしい。これは間違い無く、精神干渉系魔術を受けた人間の顔だ。
『彼は今、魔書の影響による意識汚染を受けている』
疑っていたわけではないが、書類やサンドラの言葉が、本当だと思い知らされる。
先ほど没収した魔書は、只の紛い物。ではあらかじめ、ブルーノは何らかの遅効性魔術を掛けられていたと考えても良さそうだ。もう何時間もこの状態であると言うことから、かなりの実力者による仕業か。それとも、何らかの魔書による影響か。アリスターに装う出来るのは、それくらいだった。恐らく現在、ブルーノは何らかの投薬治療が行われているはず。慎重に接しなくてはならない。だからこそ、何故、自分たちが選ばれたのか、より一層分からなくなった。
次に、彼の体の観察を始めた。露出された腕には、何かに引っかかれたような跡がくっきりと浮かぶ。少なくとも彼を逮捕した際は、こんなものは無かったはずだ。そして爪に食い込む血肉の後。自傷というにはあまりにも量が多い。
「成る程な……」
アリスターは全てに納得がいった。
「せ、先輩……?」
心配そうなキャロルの仕草をよそに、アリスターはしゃがみ、反抗的な視線を目を合わす。浅黒いブルーノの肌には、小さな血飛沫がついていた。
「どうやら、散々な目に遭ったようだな。そんなもの着けられちゃ、ろくに喋れないだろう」
ブルーノの後頭部にある、マスクの留め金を外す。敵意をむき出しにした牙が現れた。
「貴様……!」
「しっかり喋れるようだな。安心した」
「何しに……来た! 放せ、放せ……!」
あの平凡な第一印象からは程遠い怒号を吐き出し、ブルーノはアリスターに殴りかかろうとする。だが最新鋭の拘束具の前では、精々身をよじるのみ。無力に終わった。
「先輩……」
彼の威嚇に動じる事なく、アリスターは真っ直ぐブルーノの瞳を見据えた。
「お前を害するつもりはない。情報の搾取も行うつもりはない。ただ、俺の話に少しばかり耳を傾けて欲しいだけだ」
「五月蠅い、五月蠅い……! どうせお前も俺を見下しているんだろう。愚かで、哀れな貧民だと……!」
それでも尚、ブルーノは暴れている。アリスターはその様子を無視し、背もたれのない粗末な椅子に腰かけた。キャロルも同じように続く。
「うぅん、なかなか手強そうですけど」
椅子を近づけてきたキャロルが、ブルーノに聞こえない大きさの声で呟いた。アリスターは「ああ」とだけ言うと、自身の顎元に手を当て、静かに思考し始めた。
これから、彼の症状をある程度解く必要がある。今まで任務の中で、同じような状態になっている民間人を何度か目撃したことがある。意識汚染は所謂、認識・感覚器官に干渉する魔術の一種だ。この系統の魔術は魔力を消費して、感覚神経などを狂わせる性質がある。物質的に例えるのであれば、本来右を向いていたレバーを魔術の力で左に固定しているようなもの。
干渉に干渉を重ねては被術者の感覚が根本からおかしくなり、治癒不可能な領域に到達する可能性がある。故に、干渉そのものを緩める投薬や対話での治療を試みるしかないのだ。レバーを掴む何らかを排除し、元の状態に戻す。実にシンプル。だがそれはそれとして、被術者の相手など禄にした事がない。アリスターは再び頭を抱えた。
「……キャロル。彼の投薬データは」
キャロルは資料に目を落とし、症状の効果を読み上げる。
「えっと、最終投薬時間は、三時間前。丁度、朝食の頃合いですね。症状の進行も緩やか落ちついて来ているようですが、時折発作的に悪化することもあるとか」
「そうか……」
アリスターは俯き、考えた。
何故、彼女は自分に尋問を託したのか。レディ・バンシーは不気味だが、無闇やたらに人に仕事を押しつけるような奴では無いことを、アリスターは知っている。ならば、彼女の知る自分に関する知識を逆算し、一つ一つ、言葉を選んでいった。
「ブルーノ・オファレール。自己紹介からいこう。俺はアリスター・アガターだ、適当に呼べ。こっちのフワフワした奴はキャロル・エリオット。一応、俺の部下という立場になっている」
「ど、どうも……」
「……興味無い。消えろ……俺をここから出せ!」
「うぅ、聞く耳持ってくれなさそうですけど」
「キャロル、静かに」
アリスターはキャロルを窘め、再びブルーノの方へと向き直った。今度は寄り自然体に、どこか懐かしさを感じる『都会』では苦い顔をされるような、古くさい口調で。
「まあまあ、そうカッカするな。お前だって、公務員といえど得体の知れない男に話を聞かせようだなんて、そんな気は起きないだろう。なぁ、兄弟」
兄弟。その言葉にブルーノは僅かに顔を上げる。髪の隙間から垣間見えた瞳は、こちらに興味をちらつかせていた。
「偶然だな。どうやら俺とお前は、同じイースト・エンドの出身らしい。何だ。驚いた顔をしているな。まぁ、ワーキング・クラス出身の騎士は珍しいからな。俺も、両手で数えられる程しか知らない。俺の実家は例の肉屋の通り、と言えば分かるか。あの近くにあるバブ」
「……ビート・ハーツ」
「ああ、それだ。父親が生きていた頃、よく通っていたパブだ。姉が一時期そこで働いていたことがあった。俺と同じ髪色のアニーって名前のウエイトレス。やけに声のでかい……わかるか?」
「知っている……よく笑う、人だった」
ブルーノもまた、思い当たる節があるようで、強張っていた表情が、僅かにだが緩み始める。
「まさか、こんな場所で姉を知る人物と出会えるとは思わなかった。良ければ暫く思い出話でもしよう」
「……構わ、ない」
先ほどまで一触即発と言わんばかりのブルーノの雰囲気は僅かにではあるものの、緩んでいった。少なくとも部屋中に充満していた殺意はなりを潜め、ただ会話する二人の男の姿だけがキャロルの目に映っていた。彼女はほっと胸をなで下ろし、繰り広げられる穏やか名問答を見つめることにした。
会話の最中、アリスターは思いついた。恐らく、バンシーは考えたのだ。ブルーノ・オファレールはまさに、典型的なワーキング・クラス。故に、アッパー・クラスで或る彼女に対して、その立場故の解離感から心を開こうとしなかったのだ。
普通なら、時間を掛けて治療を行ってから事情聴取をするのだが、今回彼を逮捕したのは偶然にもアリスターだった。囚人は日々増え続けている。一秒でも早く、監獄が空くに越したことはない。故に、多少の不安要素はあれど、高い即効性が見込める、同じワーキングクラス出身の彼を抜擢したのだった。
「あいつ、よく喋るだろう。まるで口から足が生えて歩いて居るようなものだ。ブルーノ、お前にも姉はいるか」
「……俺は姉はいないが、妹や弟がいる。五人もいて、みんなまだ小さいんだ……」
「そりゃあ凄いな。親御さん大変だろう」
「ああ……でも母さんは死んじまったし、父さんは足が悪いから。俺が働かなきゃ食っていけない、だから……ゲホ、ゴホッ……」
急に喋りすぎたのか。アリスターは咽せるブルーノの背をさする。
「無理をするな。お前はまだ体調が万全じゃ無いんだろう。きっとお宅の親御さんなら、子どもが無理をする姿は堪えるはずだ。ここは監獄だが、医療設備はしっかりしている。十分に体を休めることだな」
「はい……アリスター、さん」
一瞬ブルーノの表情から穏やかさが取り戻される。其れと同時に、扉の向こうからサンドラの呼びかけが振ってきた。
「アガター卿、エリオット卿。お時間です」
「……ぁあ、もうそんな時間か」
囚人、及び面会者の管理のため、ロンドン塔では面会に制限時間が設けられている。人員に余裕がない現在は、通常よりも時間管理が徹底されているとか。
「ブルーノ・オファレール……いや、ブルーノ。また直ぐに会いに来る。どうかその時まで……君が心穏やかに過ごせると願おう」
「どうも……」
じゃあな、とアリスターは手を振り、キャロルと共に部屋を後にした。扉を閉じた瞬間、今までの全てを見守っていたサンドラが、口を開く。
「驚きました。彼が誰かと真面に話をしているだなんて。いつもベル卿が尋問に当たる際は、会話すら成立した事が内というのに」
「恐らく其れが、彼女の言う『適任』という奴なのです。嗚呼見えて計算高い女です。全てを見積もった上での私、と言うことだったのでしょう」
「成る程、そうなのですね」
納得しているのか、していないのか。よく分からない平坦な声でサンドラは返事をする。そして役目を終えたアリスターたちは、ロンドン塔を後にするのだった。
帰路の最中、キャロルは揶揄うような口調でアリスターの小脇を軽くつつく。
「ビックリしちゃいました。先輩、ちゃんと団長以外の人と話しできるんですね」
「俺のこと何だと思ってんだ」
「ぶきっちょの仏頂面の、非社交的な先輩です」
「お、お前」
キャロルの言葉に、アリスターは眉間を押さえた。正直彼女の言うどれも、正直思い当たる節があるのだ。治そうとしても治せない、クセのようなものであるから、余計に困る。
「でもかっこよかったですよ。なんて言うんでしょう。一瞬で心をがっちり! って掴むような言葉遣いで。ああいうの、どこかで教わったりでもしたんですか?」
「まあ、犯罪当事者との会話にいては昔、調査騎士団に世話になったことがあってな。その時対話について少し教わったことが或る。だがその程度だ。所詮、素人に毛が生えただけに過ぎない」
「そうはいっても、しっかりお話できていたじゃないですか!」
キャロルはツンツンと肘でアリスターの脇腹にじゃれつくと、僅かに哀愁を含んだような声で言った。
「良くなると良いですね、ブルーノさん」
幼い、あどけない横顔が微笑んだ。
「ああ。俺もそう思う」
アリスターの言葉の後だった。鴉が一羽、声高に鳴く。
まるで、何かを知らせるように。何かの始まりを示すように。
・・・
翌日以降も、二人は何度もロンドン塔に通い続けた。ブルーノと面会を繰り返し、他愛ない会話ばかりを続けていく。当初混濁していた彼の意識も、一週間が過ぎることにははっきりとし始め、キャロルとも会話を楽しめるようになってきている。その回復様は医療騎士団も驚くほどだったとか。
ある日、アリスターたちが部屋へやって来ると彼の拘束着は外されて追い、最低限の手錠と鉄格子だけの状態へと変わっていた。ロンドン塔の中でも特に軽い収監様式へと変化していたのだ。それほど、彼の容態は安定しているという事だろう。
アリスターはまるで自分の事の様に安堵し、通例通りの挨拶の後、不器用に口元を緩めた。
「なんだ。数日見ない間に顔色が良くなったんじゃないか」
はい、とブルーノははにかんだ。アリスターの言うとおり、蒼白だった頬の色は僅かながら桃色へと戻り、先週までの暴力的な様子はなりを潜めていた。目に見えて解放へ向かっている事が分かるその姿に、キャロルもニコニコと喜びを隠せない様子だ。
「ね、すっかり頬も桃色になって。私も安心です」
「おかげさまで。キャロルさんの話も元気の源になっているみたいで」
「あ! キャロル『ちゃん』って呼んでって要ってますよね。ほら、『キャロルちゃん』って」
「きゃ、キャロルちゃん……? ですか」
「そうそう! 敬語もナシにして……」
満足げに頷くキャロルを遮り、アリスターが話を切り出した。
「お前らも随分仲が良くなったな……なぁ、ブルーノ」
普段とは違う、深みを帯びたその声に、ブルーノは唇を噛みしめる。
「……そろそろ、聞かせて貰ってもいいか。お前についての話を」
「俺について……」
「お前は何故、運び屋をしたのか。何故あんな稼業に手を出したのか。これは俺自身が請け負った仕事として聞くことだ。お前には黙秘権がある。其れを踏まえて、教えて欲しい」
アリスターの言葉に、ブルーノは暫しの沈黙を欲したが、ある瞬間体に力を込め、絞り出すようにして呟いた。
「……金が、金が必要だった」
「金?」
「はい……家族が、父が病気で。このままだと死んでしまうから。治すのには金が要る」
ブルーノは昼間の靴磨きに加え、早朝の新聞配り、夕暮れ時の煙突掃除屋など、様々な仕事を掛け持ちしていた。来る日も来る日も働き、それでも生活に余裕など出来ることはなかった。
「家族といる時間は、この上なく幸せなんだ。だけど、いつしか辛くなって、もうこれ以上は駄目だってなって。苦しくて、苦しくて」
そんなある日、彼の元に一人の男が現れたという。フードを目深に被った彼は、ブルーノに提案をした。
「ほんの少し、俺たちの手伝いをして欲しい。そうすれば、食うに困らない金を渡そうって、奴は言った」
初めはこの男の言葉を信じることができなかったブルーノだが、直後、父が病に罹ったことにより、その誘いに乗らざるをえなくなった。
男が言ったとおり、それは簡単な仕事だった。手渡された手紙や荷物を、指定の場所に届けるだけ。軽く回りを警戒しながら、何の変哲も無い建物に『お使い』に行くだけ。
いつからだろうか。ブルーノは自分が運ぶその荷物の中身が、何らかの法に触れるものだと薄々感じ始めていた。それは法に触れる薬か、それとも犯罪の証拠品か。何かは分からない。だが、自分が何らかの犯罪に加担しているという自覚だけはあった。
「それでも俺は、弱かった……従うしか出来なかった」
自分の行為の罪の重さを知りながら引き返すことができず、何度も手を染め続けた。そしてあるとき別の街に父を受け入れてくれる病院が見つかり、このロンドンを発つ資金が貯まるまで必死に罪悪感に耐えた。
そして資金が目標まで達すると、ブルーノは組織に申し出た。もう、脚を洗わせて欲しいと。そして迎えた最後の仕事、輸送の最中――。
「あとは、知っての通りです」
全ての話を聞き遂げると、「そうか、」とアリスターは呟く。何処か無機質さを監視させながらも、悲しみを帯びた、短い一言だった。
「ありがとう、ブルーノ。お前が心を開いてくれたこと、本当に嬉しい。誇らしいさ」
「アリスターさん……」
「だが、俺たち騎士団が惜しい方法は、他にも山ほど或る。組織の目的、本拠地、幹部、その他企ごと。だが、一端の運び手であるお前が知る情報は、氷山の一角にも及ばないだろう。そこでだ。たったひとつだけ、俺は尋ねよう」
途端にブルーノの視線は逸れる。恐らく、彼の中で蠢く罪過の念が暴れ始めたのだろう。僅かに空気の動く音と同時に、アリスターは彼の顎をつかみ、無理矢理に視線を合わせた。
「ずっと、一人で抱え込んできたのか」
「……!」
ブルーノの視線が震えた。涙で潤む瞳は、それでもアリスターを見つめる。
「な、何が」
「ずっと一人で。誰にも言わず。やってきたのか。一人の腕で、その罪を負ってきたのか」
「…………」
黙り込むブルーノに構わず、アリスターは言葉を重ねた。
「俺はお前のような奴をよく知っている。自分だけで事を抱えようとして、結局失敗して痛い目に遭う。本当に愚かだ」
怒気すら感じるその言葉は、目の前の青年に浴びせるようでありながら、どこか別の人物を示唆するような他者感を帯びている。ポカンと口を開けるブルーノだったが、突如、肩にアリスターの両手が乗り、身をびくつかせる。
「もう頑張らなくていいぞ。俺たちがいる」
アリスターは言った。その言葉は、今までの何よりも柔らかく、温かみがあった。
「お前には、この方法しか残されていなかった。わかるぜ、世界ってもんは最悪だからな。それでもお前は、十分に頑張ったさ。もうその身を削り、与えようとするな。お前が家族大事にしているのはわかる。だがな、等の家族のため自らの肉を削ぐような真似をしているとバレたら、彼らはどう思う。間違いなく、その行為を誉めることはないだろう。むしろ、悲しむ。お前は家族を悲しませるのか」
「違う……! 俺は」
金属製拘束具が刷り合わさり、音を立てる。無機質なそれは、いつの間にか張り詰めた牢獄の中、静かに響いた。
「守ろうとしているのだろう? 我が身同然の家族に、辛い思いをさせまいと」
灰褐色の瞳が、僅かに緩んだ。
「ブルーノ・オファレール。ここからは所謂『司法取引』ってやつだ」
「司法取引……」
「ああ、騎士団に情報提供及び捜査協力を重なうことで、刑の減刑やある程度の報酬を与えることになる」
ブルーノが息を呑んだ。
「ブルーノ、捜査協力を頼みたい。勿論相応の報酬を用意すると上は言っている。そう、お前の家族の安全と引き換えにだ」
「俺の家族? 大丈夫だ、家族には手を出さないって約束のはずで」
「悪いが俺は、その約束が守られるとは思えない。奴らの制裁が早い。もたもたしているとお前は家族を失う羽目になるかもしれない」
「う、嘘だ……そんな……」
「だがしかし。もし、お前が奴らに協力してくれるなら、家族ごと騎士団の庇護下に入ることになる。この紋章に誓おう。お前の家族の身の安全、命に変えてでも守ると」
なあ、ブルーノ。
身を震わすようなアリスターの声に、空気が息を呑む。
「騎士団ってのは大きな明かりだ。ロンドン。ひいては英国を照らす巨大な洋灯だ。だが、者が多ければ多いほど、どうしても影が出ちまう。砂のように、指先からこぼれ落ちて救えない。だから、お前の力を貸して欲しい。騎士団に比べて、お前の明かりは小さいかも知れないが、俺たちには照らせない影に光を差し伸べることができる。俺を、そしてお前自身の力を問うか信じて欲しい」
真摯な視線が、ブルーノを射貫いた。
「信じる……」
僅かに時間を要したが、ブルーノは胃を決したようにゆっくりと頷いた。
「分かった。分かりました。俺で良ければ、協力させてください」
「感謝する。お前に、竜の籠があらんことを。キャロル!」
なを呼ばれた少女騎士は「はい!」と飛び跳ねながら向き直り、木漏れ日のようなその笑顔をブルーノへと向けた。
「勿論、このキャロル・エリオットも捜査にお供いたしますよっ! へへへっ、私は頼りないかもしれませんが、先輩なら大丈夫です。泥船に乗ったつもりでドーンと構えてください、ブルーノさん!」
「馬鹿、大船だ」
屈託なく、と笑うキャロルのお陰でその場がゆるりと和んだ。思わず口元を緩ませたブルーノは、アリスターへと伝えた。
「……あなたを信じる。信じます」
「感謝する。キャロル、拘束具の鍵寄越せ」
「了解です! ええと、確かこれでしたよね」
「え、え、」
さも当たり前かのように段取りよく拘束具を解いていくアリスターとこキャロルを交互に見やり、ブルーノは目を丸くしていた。
「い、いんですか……勝手に解いても」
「馬鹿言え。ちゃんと許可はとってる。これからお前は期間限定で俺の部下だ。しっかりやって貰うぞ。ああ、そうだまずは手続きからだな。さっさと済ませて家族のところまで騎士を派遣させるぞ」
アリスターは新品のコートをブルーノに放り投げる。
「さて。一時的ではあるが、俺の部下になるんだ。怠慢はそこそこに、しっかり働いてくれよな」
「は、はい!」
そこそこの怠慢は許されるのか、と心の中で疑問符を浮かべながら、ブルーノはコートに袖を通す。
まだ硬い新品の布地の気恥ずかしさを振り払い、眼前に灯る光に導かれ一歩、歩き出すのだった。
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