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第三話/青年ソドム④【呪いの箱庭】

〈17/血と呪い〉

 コツコツと、音が鳴る。ルノー、そしてグザヴィエが席を離れてから暫く経過した。もう二人とも帰ってきてもおかしくない時間帯であるのに。

 イヴはほっと胸をなで下ろす。恐らく、二人は時間を取れたに違いない。お膳立ては済ませた、後は当人たちで話し合ってくれれば、と考える。

 だが、ベルナールを見ると冷や汗を滑らせながら、挙動不審に周囲を見渡している。先ほどから鳴るコツコツという謎の音も、彼に貧乏揺すりによるものだ。

「みっともないわよベルナール。さっきから落ち着きが無いわね」

「二人、遅くないか。もう帰ってきても言い頃合いだと思うんだけど……」

 焦る声色のベルナールを、ユーゴはヘラヘラと宥めた。

「途中で落ち合ってお喋りでもしているんじゃないか?」

 瞬間、ベルナールの顔は血の気が引き、吹き出すような麩や汗に濡れた。

「僕、二人のところに行ってくる、」

「駄目!」

 歩き出したセザールの袖を、イヴが掴む。二人の目が合った。互いに信じられない、と言いたげに青ざめ口をポカリと開けている。

「な、何で止めるんだイヴ!」

「だって、二人が話しているのよ? 邪魔するわけには」

「そう言う状況じゃない……!」

「!」

 ベルナールが乱暴とも言える力でイヴの腕を振り払ったとき、机の上に置いてある書類が床に落ちた。

「あーあ、何をしているんだ二人とも……ん?」

 書類を拾い上げたユーゴが眉を顰める。彼が覗き込んでいたのは、前学期末、学院に提出した『血液詳細検査』の書類だった。つい先日彼等の元に検査結果が返却されていた。そういえば、先ほどルノーが開封しているのを見ていた気がする。部屋を出る、ほんの少し前……

「こら、人のを見るのは非常識よ、戻しなさいユーゴ」

「なあ。これ」

 ユーゴが指さしたのは、検査項目の家の一つ『獣の病の有無』。彼、ルノーの結果は『半陽』と示されていた。

「何……どういうこと」

「見せてくれユーゴ」

 両者は結果表をひったくると、詳細に目を通した。

[獣の病『計測不能』による、微量の精神興奮・感情助長・効能促進の作用あり。状況観察が必要]

「獣の血……?」

 それは、ルノーの体に獣の血が流れていることを示す結果だった。

 獣の病の罹患者の子は、稀に魔術師でありながら獣の病の能力を手に入れる現象が起きる。それが獣の血だ。強靱な身体能力や治癒力、突出した感覚機能はさることながら、『獣の呪い』を振りまく力すら受け継ぐことがある。

「まずい」

「ちょっと、ベルナール!」

 そう言って、ベルナールは部屋を飛び出す。その後を、二人も追った。

・・・

「嘘! そんな、そんなこ聞いていないわよ」

 ルノーが傷を負った日の出来事を耳にしたイヴは、そう声を荒げた。前を行くベルナールは、苦虫を噛むように顔を歪める。

「なんで言ってくれなかったのよ!」

「だって、ルノーが獣の血を引いているだなんて、思うわけ無いじゃ無いか!」

 普段、穏やかな表情を浮かべるベルナールの顔が、焦りと怒りに満ちている。ただそれだけで、この状況がいかに帰還かを物語っていた。

 ラファイエット家の使用人総動員で屋敷中を探すが、なかなか彼等の姿が見つからない。20分ほど経ったところで、執事が鍵のかかった部屋を見つけたと言った。それを耳にしたいイヴはユーゴたちの合間をぬうように駆け抜け、拳で力強くドアを叩いた。

「ルノー、いるんでしょう。開けて頂戴、ルノー!」

「グザヴィエ! 今なら間に合う、間に合うから……!」

 返事はない。ベルナール達がグザヴィエを読んでも同様だ。しびれを切らしたイヴは、執事やベルナールを押しのけ、ドアの前へと向かう。

「ちょっと黙って」

 イヴは壁にピタリと耳を寄せ、行きを潜める。扉の向こうの音を僅かたりとも聞き逃がさないように。

 聞こえた。何かを啜るような、微かで規則的な水音。時折混じる、微かな嗚咽。

「……!」

 背筋を撫でられるような、本能的な嫌悪感だ。この扉の向こうでは、決して行われては行けない「何か」が繰り広げられている。そう直感した。

 蒼白するドアノブを握り強く回す。だが開かない。内側から鍵がかかっているようだった。

「い、イヴ?」

「早く、早く開けなきゃ」

 青く焦燥に濡れた友人の顔に、ベルナールとユーゴは硬直する。

「まさか……」

「とにかく早く開けなきゃ。この部屋の鍵は?」

 執事は「今すぐお持ちします」と踵を返そうとするが、それよりも早く、イヴの拳が繰り出された。魔術を纏った一撃をドアへと叩きつける。ただの木の板が彼女の魔力に耐えられるはずもなく、一瞬として木くずと化した。

 けたたましい破裂音と舞い散る埃。霞んでいた視界が徐々に晴れゆくと、部屋の中の様子も見えてくる。

「おい……」

「ルノー……?」

 返事の代わりに飛び込んで来たのは、地獄のような光景だった。

 絨毯の上に四肢を投げ出したルノーの上に、グザヴィエが覆い被さる。彼の手にはナイフが握られ、それは丁寧に丁寧に薄い腹を裂き内臓を引きずり出す。恍惚の混ざる濁った瞳は、垂れ下がる腸を愛おしそうに眺め甘く歯を立てていた。

 さながら悪夢のような光景だ。おおよそ、合って鳴らない光景に、せり上がる胃液を堪え、イヴは叫ぶ。

「グザヴィエ!」

 血に濡れた髪が、ゆらりと起き上がる。獣の如くぎらりと光った眼孔は、イヴたちを捕らえた。瞳以上に赤い光沢を帯びた唇から、敵意の犬歯が覗く。

「……俺の邪魔をするな」

 俺のだ。俺の、ものだ。

 イヴは強く目を見開く。左目が一瞬、黄金色を纏う。瞬間グザヴィエの体は、何者かに弾き飛ばされたように宙に浮き、窓へと叩きつけられた。イヴの目的を察してユーゴとベルナールは駆け、グザヴィエを取り押さえる。

「離せ、離せ……!」

「落ち着くんだグザヴィエ、これは君の意志じゃないだろう!くど、どうして……」

「耐えてくれユーゴ、今は早く、治療を」

 イヴはルノーの元へ跪く。喉から腹部にかけ、一直線に切り裂かれている。肉の間から覗く赤い骨や、零れる内臓。呼吸が保たれているのが不思議だ。

「い……ヴ、」

 血の滴る唇が、僅かに動く。

「駄目、話しちゃだめ。大丈夫、大丈夫よ。直ぐにお医者様を呼ぶから。だからお願い、死なないで」

 イヴは傷口の治療を試みる。彼女の扱う逆行の魔術は、人間の体に使うのは危険だ。被術者の発動器官や粒子臓に異常をきたす恐れがある。

 だが今は背に腹は替えられない。イヴは腹をくくり、傷口に触れる。一ミリの誤差すら緩さに様、慎重に、慎重に。

「……うそ、なんで」

 閉じない。

 いくら魔力を注ぎ込もうとも、その傷は塞がることはない。それどころか、流れる血液は徐々にその量を増していくばかりだ。

 なぜ。

「あ……」

 ぼんやりと、ルノーの瞼が上がる。

「ルノー、だめ。動いちゃ」

 血まみれの手が伸ばされる。その指の指す先は、グザヴィエだ。淀んだ瞳孔が視線を交わらせる。

 瞬間、周囲に閃光が走った。ルノーの爪の先から刺されたそれは、グザヴィエの額へと直撃する。

「う、」

 グザヴィエの体は血だまりの中に倒れ込み意識を失った。静寂に支配された部屋の中、穏やかな寝息と、荒い呼吸、二つの息づかいだけが聞こえる。
 張り詰めていたイヴの緊張は解け、崩れるようにうなだれる。

 終わった?

 再び魔力をかざすと、流血は止まり、零れ出た内臓も、音を立てて戻って行く。それでも切り取られた部分、失われた部分は戻ってこなかった。

 一抹の安堵感だけが、彼女を救う。それはユーゴとベルナールも同じようで、情けないため息とともに床にへたり込んだ。

「……なんだったんだ」

「ベルナール」

 諫められたベルナールは、口を噤んだ。

「ベルナール、ベッドとお医者様の手配を。ベユーゴ、貴方は新しい服を持ってきて」

「わかった……」

 二人は頷くと、部屋を出ていく。

 残されたイヴは、惨状の中で一人治療を試みる。再び、丁寧に魔力を集中させ、傷口の時間を逆行させる。魔術道具によって斬りつけられた裂け目はイヴの魔術を拒否する。せいぜい、傷が開くのを止める程度のことしかできない。それでも、イヴは続けた。少しでも、友の命が長らえるなら。

 光を失った虚ろな瞳が、宙に揺れる。

 ごめんなさい。

「ごめんなさい、ルノー」

 私がもっと、危機感を持っていれば。ベルナール達に信用されていれば。貴方Tについて素人してれば。あの時、グザヴィエの背を押さなければ。
 貴方が苦しむはずがなかったのに。

 そう呟いた言葉がルノーに届かないのは、彼女が一番、理解していた。


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