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第四話/獅子の心臓④【ペンドラゴンの騎士】

四章/獣として生きる道


「はい。傷の手当ては終わり。シャワーは少し沁みると思うけど、数日のうちによくなると思うわ」

 医療魔術師のジェニファー(ジェニー)・レッドメインが、包帯の端をリボン形に結びつけ、微笑んだ。

「ああ、あと体の魔力が抜けるまで少し怠いかもね。でも擦り傷共々少し経てば良くなっていくから、しっかり養生すること」

 頑張ったわね、とジェニーは優しくリュザールの頭を撫でるのであった。

 あの後、直ぐにアサドが駆けつけ、二人は無事に保護された。リュザールは多少の擦り傷を作った程度で終わったが、ダニエルは違った。背中と脚部を負傷し、緊急処置室に運び込まれるのを見たきりだ。先ほどまで背後はバタバタと動く医療騎士たちが行き交っていたのを見た。それ程、重篤な怪我だったのだろう。

 あのローブの集団を覚えている。彼等は間違いなく、あの屋敷で見た盗賊達だった。自分を攫おうと武器を向けてきた、盗賊たちだった。理由は何であれ、狙いは自分。あの時、あの場所に自分さえいなければ。そう考え、リュザールは目元に影を落とした。

 彼の心象に落ちた暗闇を察したのだろう。医療騎士は暖かな声で元気よ、と微笑んだ。

「ダニエルの怪我、酷くはあるけど命に別状なし。幸い傷は多くても深くはなかったの。リハビリは必要だけど、暫くすれば動けるようになるはず。ああ見えて彼は生まれつき丈夫な方なの」

「そうなんですか」

「ええ、唯一の取り柄だって彼は言ってた。獣の血とかそう言うのじゃなくて、一族揃っての体質らしいわ」

 ほっと一息吐くリュザールに、彼女は病室の方向を指差しこっそりと言った。

「会いに行ってみる?」

 悪戯っぽい彼女の彼女の顔に釘付けになったリュザールは、無意識にも頷く。そして彼が移されたという病室へと向かった。

「私は外で待っているから。いってらっしゃい」

 見送られ、一人部屋の中に入ったリュザールを待ち受けていたのは、包帯と管に包まれたダニエルの姿だった。実に痛々しい姿だが、安定した呼吸は彼の容体が彼女の言う通りだと言うことを示していた。

 眠っているのだろうか。睡眠を邪魔してはいけないと後ずさるリュザールだが、ダニエルは直ぐにに気づき、目を細める。

「きてくれたんだね」

 掠れる、弱々しい声に涙腺が僅かに緩むが必死に涙を食い止め、小さく口を開く。

「ごめんなさい」

「……? リュザール?」

「僕が、僕がいたからダニエルが」

 その言葉を耳にしたダニエルは、一瞬悲しそうに眉を下げるが、すぐに「おかしなことを言うね」とツヤのある回を撫でる。

「気にしてない。君が連れ去られなくてよかった」

 ただ穏やかな休日を過ごしていたリュザール自身に罪はない。ダニエルはそう言い聞かせた。

「悪いのはあいつらさ。せっかくのお休みを邪魔しやがって。でも今頃、暗部騎士にしっかり絞られているだろうからね。復讐なんてこと考えるんじゃないぞ? ろくな目に合わないさ」

 戯けたように言うダニエルに、きつく閉じられた口元が僅かに緩んだ。それを目に、彼もまた穏やかに微笑むのだった。

「手当、してもらったようだね。治療は痛くなかったか」

 リュザール頷き、「近くへおいで」という言葉のまま恐る恐るベッドへとと寄る。毛布の外に放り出された手を、優しく握った。

「……ダニエル」

「気負いするな。騎士の本懐を遂げたまでだ」

 ゆっくり、ゆっくりと彼は言う。

「アサドの方へは行ったか。彼奴もお前を心配為ているはずだ。早く」

「さっき、行きました」

 リュザールは、冷えた手を握る。

「なので、もう少し。ここにいます」

 彼から発せられた言葉に、ダニエルは目を丸くした。だがすぐに細まる。

「そうか。じゃあ、お言葉甘えようかな。でもここには何もないからな、そうだ、アサドの昔の話でもしようか。ロンドンのアカデミーにいた頃の話。あいつが恥ずかしがって言わないことまで教えてやろう」

「は、恥ずかしいこと⁉」

「ああ、たとえば一年生だった頃。二人で一種に授業をさぼってな……」

 ダニエルの口から、聞いたことの無いアサドの話がぽんぽんと飛び出してくる。そのどれもが新鮮なもので、リュザールは暫し彼の話を聞き入っていた。

 こそこそと、いたずらでも企てるように話す二人。彼らの様子をドアの向こうで見守る医療騎士が、柔らかく微笑んだ。

「随分仲良くなったじゃない。作戦成功ってわけね。そうでしょ、アサド」

 少し離れた廊下の角に向け、ジェニーは言い放つ。すると、ひょっこりと顔を出した。

「おやや、バレていましたか」

「気配ダダ漏れよ。いつも言ってる獣の本能ってのはどうしたのよ」

「へへへ」

 ヘラヘラと笑いながら、アサドはジェニーの隣にやって来る。

「散々な休日。だったわね」

 その言葉に、アサドは僅かに視線を落とし口を開く。

「残党がここまで大々的な仕掛けをしてくるとは思わなかった。全くの想定外だ取り逃がした分があったとはいえ、あそこまでリュザールに執着しているなんて」

「貴方が始末しておけばこうはならなかったんじゃ無いの?」

「有益な殺傷より有益な生け捕り、でしょう。それに、あの時彼を助けることを最優先にしたの、間違っているとでも言いたいのですか」

 そうじゃないわ。とジェニファーは巻き毛の先を弄る。

「本当。一緒にいたのがダニエルじゃなかったらどうなっていたことやら」

「彼だって、一歩手前だった」

 じっと親友を見つめる暁のような瞳は、静かでそして燃えるような怒りの炎を宿っていた。いいや、怒りと呼ぶには少々上品がすぎるだろうか。彼が穏やかな性質を持つことも、品性ある人物であることも知っている。だが、その支線からは何かやらかしかねないと言う不安が襲ってくる。

「らしくない顔」

「あはは、そうですか。気をつけなきゃ。スマイルスマイル」

 口の端に人差し指を当て、にこりと愛想よく微笑むアサドに思わずため息をつく。

「全く。でも、二人は仲良くなったことだし。これで貴方も安心でしょう」

 はい。そう短く返事が帰る。

「安心して征く準備ができました」

 もう一度にこりと笑うアサド。その笑顔の裏に隠された寂寞に、ジェニーはただ目を背けることしかできなかった。

・・・

 その日以降、リュザールの教育係は様々な騎士が担当することになった。ダニエルの容態が良くなるまで、という期間付きだが、普段話す機会のない騎士達と喋る機会として、リュザールは楽しんでいた。

 この日習っていたのは歴史。担当してくれたのは、装幀騎士のトレイシーという騎士だった。彼女はダニエルやアサドより一年後騎士団に入ってきたようで、勉強そっちのけでいろいろな話を聞かせてくれた。二人が決して話さない、真実の中の真実の話はリュザールの興味をここぞとばかりに引くのだった。

「あの二人はねぇ、気がついたらいつも一緒だったんだ。アサドはあの時からもう迷子癖がついていて、直ぐに城の中で迷子になっていたし、それを血相変えて探すのが出に得るの役目だったの。毎回怒られていて『またやってる』って笑ったものよ」

「昔からそうだったんだ」

「ええ。ダニエルもなんだかんだでお節介を焼いていてね。本人は気づいて居ないだろうけど、満更でもなさそうだったわよ。大好きなのね」

 お互い、お互いがいなきゃだめなタチだったの。

 トレイシーは微笑ましげに笑うと、リュザールは尋ねる。

「僕にも、そんな人できるかな」

「そんな人?」

「アサドにとってのダニエル、みたいな」

「さあ。未来のことなんて誰にも分からないけど。そうね、もし貴方がより多くに人と交流する機会を望むのなら、きっと、自ずと見つかるんじゃないかしら。運命っていうのはそういうものよ」

 運命。

 思わず、口に出していた。魅惑的で、幻想的で。無意識に羨望を向けてしまうその言葉。まるで英雄の冒険譚のような言葉に、リュザールは一瞬、夢見心地に揺蕩った。

 その瞬間鳩時計が鳴った。時刻は十五時。丁度ティータイムの頃合いだ。

「あちゃあ、もう終わっちゃったか。ページ全然進んでいないや。ま、次でも次やればいいか、次」

 パタパタと厨房の奥から、騎士が一人やってきた。彼の名はクレイグ・アリソン、医療騎士の一人でダニエルの補佐をしている若者だ。手にはなにやら、いい匂いのする紙袋を携えているえている。「わぁ」と思わず口にするとふわりと、甘い香りがしてきた。

「勉強お疲れ様、リュザール。お菓子あるけど持ってく? ここで食べてく?」

「とりあえず、貰う」

「了解了解。焼きたてだから気をつけるんだよ」

 そう言って小さな紙袋を受け取った。見ると、中にはまだ温かいスコーンとジャム瓶が入っている。リュザールは甘いジャムの誘惑に、目を輝かせる。

「わぁ、クレイグさんのスコーン! いいな、私にも一つくださいな」

 袋の中身を覗き込むトレーシーは、口をとがらせ強請る。

「少し待ってろって、向こうにあるから。というか自分で取りに行けばいいさ」

 それだけ言いの残すと、クレイグは立ち去った。その背を、不満そうに見つめるトレイシーにリュザールは一つ、スコーンを渡す。

「トレイシーさん、僕の一つ食べる?」

「本当! 何て優しい子。じゃあ、遠慮なく一つ」

 そう言ってもくもくと食べだすトレイシー。甘味を味わう幸せそうな横顔を見つめながらぼそりと言った。

「聞きたいことがあるんですが」

「ん? 質問かな。よし、トレイシーさん何でも答えるよ」

 ポン、と胸元を叩き自慢げに反るトレイシーに、「じゃぁ、」とリュザールは、かねてからの疑問を口にした。

「あの、魔書ってなんですか」

「んえ」

 トレイシーは素っ頓狂な声を上、くねりと首を傾げる。そして、何か思いついたかのように「あらま、」と声を上げた。

「ダニエルに教わっていなかったの? まったく、リュザールの物覚えが良いからって座学ばっかり教えてちゃ駄目じゃない」

 折角だし、教えてあげましょう。

 トレイシーは自らの腰にぶら下げていた、大きめの手帳におようなものを手に取った。随分と装飾がされた手帳だとみていると、背表紙がぼんやりと光を帯びる。

「わっ」

 思わず後ずさると、彼女の掌の上に、小さな雪の影が現れた。妖精。そう表現すべき悪戯なそれは、フワフワと周囲を飛び回り、雪の粉を散らしながら飛び回る。

「可愛いでしょう。私が作ったんだ」

「でもトレイシーさん、地属性じゃないの」

「そう、私の属性は地。でも魔書って言うのはね、僕達のような魔術師が使う魔術道具のことをいうんだ。基本は一属性の魔術師か仕えないだけど、魔書を使うことでもっと沢山の種類の魔術が使える様になる。ブレのある魔力の威力だって、安定させることができる」

 なるほど、とリュザールはコクコクと頷く。

「それは、貴重なものですか?」

「まぁ、それなりに。一般的には、ちょっとした贅沢品かな」

「じゃあ。その、僕は魔書になるんですか。なり得るんですか」

「……」

 トレイシーたちは困ったように笑うと、ゆっくりと口を開いた。

「……黙っていてもなぁ。うーん。いずれ、知ることになるものだから。うん、最初に一応聞こうかな。どこで知ったの」

 攫われそうになったあの時、とリュザールは口にした。あの時は切迫のあまり攫い人たちの思考を読みそこなってたのだ。

「獣の病、そう貴方やアサドみたいな魔術の使えない人たちの体は、魔書になることができるの。うちみたいな国は本人の自由意志が尊重されるけど、他の国は違うのよね。まるで家畜のように育てて殺して、素体にする。貴方はそういった集団に追われていたの。でも、大丈夫よ。私達は貴方を無理矢理殺して魔書にしない」

 知っている。分かっている。

 彼等は優しい。彼等は善良だ。少々驚くことはあれど、異端である自分、異邦人である自分を一度たりとも邪険に扱ったことは無かった。それどころか、まるで家族のように受け入れてくれた。その行動と言葉に、一切の嘘は無い。

 リュザールは識っているのだ。

「……僕も、いつか」

「そうなるかも知れないし、ならないかもしれない。決断すべき時が来れば、リュザール自身が決められるよ。でも、貴方はまだ考えなくてもいい。沢山時間があるから」

「そう……。ですか」

 彼女の言葉に、余り納得は行かなかった。これ以上、望んだ答えは帰って来ることは無いだろう。リュザール本人もまた、正面からそれを尋ねる事は無かった。そして、諦めてその場を後にすると話す。

「おや、ここで食べていかないの」

「アサドと、ダニエルと食べます」

「そうか、じゃ明日ね」

 トレイシーの笑顔に見送られ、リュザールは廊下の先へと小走りに進むのだった。共に待つであろう、二人の兄のため。

・・・

 数日後。リュザールは考えた。

 この先自分を待ち受ける「素体」という定め、またそれを回避することができるという現実。自由だ。自分は自由に生きることが出来る。だが、彼の持つ自由という言葉の不定型さは、絶望にも値した。

 全ての知識、全ての思考は詠むことはできる。だが、彼はその意味を理解出来るほどの精神をまだ持ち合わせて居なかった。ただ、毎日口の中に押し込まれる様々な思想理念を精一杯噛み砕いても飲み込めるのはほんの僅か。

 こうした一種の拷問は、多感な少年には耐えがたいものとなる。故に頭が一杯になると、リュザールは思考整理の為にとアサドの部屋で過ごす事を決めているのだ。

 もう就寝時間がとっくに過ぎた真夜中。ジェニーの監視の目をかいくぐり、リュザールは寮になている階の端の扉をノックする。すると間もなく一人の青年が顔を出した。

「リュザール。どうしたんだ急に」

 ぱちくりと不思議そうに見下ろす黄金の瞳の色に、リュザールは安堵した。

「少し疲れて。今日は、一人じゃ眠れそうにないんだ」

「へへへ、了解了解。少しかたづけるから待っていて」

 俯き加減にそう言うと、アサドは快く迎え入れてくれた。

 初めの数日は彼の部屋で寝泊まりをしていたが、自室を与えられてから二ヶ月は、週に一度程の頻度で訪れている。アサドの部屋はこの英国ではない、異国情緒を感じさせる調度品が目立っている。彼は母国であるエジプトやその周辺地域の工芸品だと言った。曰く、こちらに来る前に、親代わりとなった人物から随分と譲り受けたらしい。

 気に入ったら好きな者を一つ持っていって良いよ。そう来る度に彼は言うが、毎度断っている。見る度に、どこか心地よさとせわしなさを感じるのは自分に流れる血のせいだろうか。

「はい。リュザール専用の毛布。くるまって」

 言われるがまま、差し出されたブランケットを羽織った。普段アサドから香る乳香の香りに包まれる。リュザールはこの香りが好きだった。この香りを嗅げば、いつだってあの清々しい暁のことを思い出せる。

「もう十二時を回っている。僕のベッド使う?」

「まだいいや」

 リュザールはソファのクッションを抱きしめた。アサドは「悪い子だね」と嬉しそうに、厨房から持ち込んだであろう果実を頬張っている。俯いていると、アサドはリュザールの隣に腰かけ言った。

「なんだ。今日は随分甘えん坊だな。赤ん坊にでも戻ったのか」

「うぅん、そうかも知れない。戻ってもいいかも」

 リュザルは僅かに空いたアサドの腕の隙間に入り込み。乳香の香りが染みついた部屋着に、頭をこすりつける。何も言わず、優しく髪を撫でられた。
「いいぞ、今日は朝まで付き合ってやる。何する? カードゲームも本もあるよ」

「あれがいい。アレキサンドリアの話。養母さんに怒られたところまで聞いた」

「ほんと、人の話を聞くのが好きだな君は。よぉし任せろ。日が昇るまでたっぷり話してやろう!」

 こうして、アサドの千夜一夜物語の一節が始まった。

 彼の出生は本人にもよく解っていないらしい.物心ついた時にはリュザールと同じように檻の中であり、自分を買おうとする人々の見世物になる日々だった。だがある日、美しい白い装束を着た女性が目の前に現れる。彼女は、ビブリオ=アレキサンドリアというアフリカ拠点の組織に属する者であった。彼女はアサド、そして彼と同じように檻の中に閉じ込められていた少年少女たちをまとめて救い出し、エジプトまで連れて帰ったのだという。

 そのビブリオ=アレキサンドリアはアサドのような〈獣の病〉罹患者を集め、戦力として教育するという計画を立てていた。それ以前は発見されたらまた檻の中に閉じ込められ、素体として相応しい大きさになるまで飼育していたのだと女性から聞いた。

「なんか、嫌な場所だね。こことは違う」

「でも、僕の周りにはいい人たちばかりだったよ。みんなよくしてくれた。そういう考えを持つ人ばかりだったというのもあるけど」

 様々な教育を受け、アサドが成長した頃。英国のペンドラゴン十三騎士団との友好関係の強化として、こちら側から数名アカデミーへ留学させることが決まったらしい。勿論アサドは真っ先に手を上げた。

「夢にまで見た外国だからね。それからは皆の話すとおり。ダニエルたちと出会いテンビーに来て、君と出会ったのさ」

 アサドは広い掌で、リュザールの頭を撫でる。

「アサド」

「なんだなんだ」

「ここでの生活は楽しい?」

「勿論だ。向こうに帰りたく無くなるくらい」

「本当?」

「本当さ」

 その言葉に嘘偽りは無い。

「ねえアサド」

「はいはい」

 再び名を呼ぶと、彼は優しげに目を細める。

「アサドも魔書になるの」

 ぴたりと、彼の動きが止まった。そして暫く間を置いて、口を開く。

 迷っている。その言葉を自分に伝えるか。彼は優しい。とても、とても。

 僅かな時を熟考し、アサドは「うん」と頷いた。

「……ああ、そのつもりだよ」

 アサドは笑った。普段のはつらつとした笑みではない。どこか切なげな、憂いを帯びたものだった。

「僕たちは、獣の病を持っていると言うことは、リュザールもわかっているね。魔術のかわりに力を持つ。例え死んでも、大切な人のそばに居れるという特別な力だ」

 特別な。

 アサドは頷いた。

「人は生き、そして死んでいく。死んだら、魂は天国に向かうけど、体はこの世界に残されたままだ。魔術師はその身を地に還す。だけど、僕たちは魔書として生まれ変わり、魔術師の力となることができるんだ」

「なんで、アサドは魔書になりたいの」

「そうだなぁ。一つ目は、死んでも魔書として力として、大切な人や騎士団の助けになっるから。それが僕の本望から。あともう一つは‥‥心配だから」

 一体何が心配なのか。首を傾げるリュザールに、アサドは笑った。

「ははは。今のは忘れて欲しいな。うんうん、聞かなかったことに」

 くしゃくしゃと、髪を撫でる。広い手が、いつも以上に温かかった。

 そうか、やはり心配なんだな。『彼』が。当たり前。薄々勘づいていたことだが、彼の一番は、紛れもなく。

「リュザール。君は、君の征きたい道を選ぶんだ。君は可能性の塊だ。何にでもなれる。市民にも、騎士にも、魔書にも、そしてこの大地にも。まだまだ先は長い。ゆっくり心と向き合って、沢山の人と出会って。それから決めても遅くない」

 きっと、彼の言うこともいつか分かるはずだ。徐々に忍び寄る眠気に身を任せ、瞼を閉じた。

「おや、寝るのかい坊や」

「うん。おやすみ……アサド」

 心地よい乳香の香りに包まれ、アサドは瞼の帳を落とす。星夜に響く違法の子守歌に見守られながら、静かに、静かに。

 それから数日後、アサドは大戦の前線へと旅立った。

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