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第一話/ガーディアン①【ペンドラゴンの騎士】


一章/ロンドンの守護騎士


 守護騎士(ガーディアン)。其れは英国の〈守護〉を使命とする騎士団が一つである。

 ここは英国の中心、シティ・オブ・ロンドン。

 大英帝国繁栄の中心となったこの地には、様々な区域が存在する。このイースト・エンド地区もその一つだ。

 そしてここは雑然としたビル群の屋上。本来、煙突掃除屋程度しか訪れないこの場所に、一人の女が佇んでいた。

 いいや、まだ少女と言って差し支えない。あどけない顔立ちと、無造作に整えられた短めの巻き毛。軽く閉じられた瞼の向こうには、人懐こい瞳が隠れていることは想像に容易い。

 一見小柄な、ごく普通の娘に見える彼女だが、その身には、上品な赤の制服を纏っている。英国民なら、その姿を見れば理解することだろう。

 〈ペンドラゴンの騎士〉である、と。

「あー、テステス。聞こえますかー?」

 桜色の唇が、小さく開いた。鈴の音を転がすような、ほんのり甘く無垢な声が響く。

「こちらはキャロル。ターゲットを視認しましたよー。彼は東へ直進中。かなぁり入り組んだ路地に入っていきましたけど、大丈夫ですかねぇ」

 自らをキャロルと名乗った少女は、こめかみに指を添え言った。彼女の近くには誰もいない。一見独り言に見えるからだろうか、離れた場所で仕事する煙突掃除夫が、不思議そうに首を傾げている。

「先輩? せぇんぱい。聞いてますー?」

『聞こえている。聞こえてるから。続きを寄越してくれ』

 彼女の蝸牛を男の声が震わせる。淡白な物言いの、無骨な印象を与える声だ。その声を聞いたキャロルは、にこりと花のような笑顔を綻ばす。

「はぁいはいっ。ええと、先輩とターゲットの距離は南に五〇ヤードですねー。平坦かつ開けた場所なら、数十秒で追いつく距離ではありますが……残念ながらここはロンドンの街です。地の利があっても、最悪ビル群に捲かれて仕舞うでしょう」

 わざとらしく肩をすくめると、僅かに笑いの含まれた言葉が返ってくる。

『そうだな。でも、俺にはお前がいる。なぁ後輩』

「ええ、ええ!」

 キャロルは声を弾ませながら、黒い革手袋を着けた手を胸の高さまで上げ、指をバラバラに動かし関節を解し姿勢を整えた。

「こっちの手指の準備体操はできていますよ。先輩は?」

『無論』

 小さな口元がニヤリと微笑んだ。

「さ、ティータイムまでに片付けましょ。特製スコーンが私達を待っています!」

 細い指先から伸びる透明な糸が光を淡く七色に輝いた。そして、その先にいる『先輩』の元へ、キャロルは意識を集中させていくのだった。

・・・

 薄く霧纏う埃の街、寂れたビル街。そこを、一人の青年が紙袋を抱え、必死に走っていた。

 薄い靴底の音、粗く乱れた呼吸、風を切る轟音。聴覚に心を急かされながら、ただひたすらに走る。

 足の速さには自信があった。加えて、生まれてからずっと馴染みあるこの土地だ。少なくとも、あの男以上には理解している。そう言い聞かせるように胸を叩き、少年は自らを鼓舞した。

 大丈夫だ、大丈夫。きっと逃げ切れるはず。

 ブルーノは幾つもの角を曲がり、影深い裏路地の中へと入り込む。乱雑になる呼吸を整えるように深呼吸した。パサついた黒髪の隙間から、汗が一粒、滑り落ちる。ボロ着同然のシャツの襟を解き、肌に空気を流し込んだ。砂埃にまみれた腕の中に抱かれた紙袋は無事だ。

「はぁ、はぁ……ぁあ……」

 どのくらい走ったかなんて、考える余裕はなかった。

 薄汚れた煉瓦の壁に身を預け、組織から渡された紙切れを除く。C一一五。落ち合う場所を示すメモだ。四桁の単語を頭の中で反芻し、記憶する。そして、このメモを手渡した男の顔を思い浮かべた。

「足を洗いたいだと。何を言っているんだお前は」

 自分に『運び屋』という職業を与えた、裏社会組織の首領。盗みや密売を生業とする彼等が、ブルーノの雇い主であった。先日、首領に脚抜けを申し立てた時は、それはそれは酷いものだった。奴らは、落とし前と言わんばかりに暴力を振るってきたのだ。だが、ブルーノの揺るがない意思を察した首領は、品のない笑みと共に最後に仕事を押しつけた。

「いいだろう、気が変わった。お前には随分と働いて貰ったからな……この仕事を完璧にこなしたと言うのなら、許してやってもいいだろう」

「ほ、本当ですか……!」

「ああ、只ちょっとばかし特殊な仕事でな。奥で専門家に説明を受けてもらう。こっちへ来い」

 通されたアジトの奥。そこに居たのはローブを目深に被った女とも男とも判断のつかない人物だった。首領に言い渡された最後の仕事は、そのローブの人物の持つ『違法魔書』の輸送だった。

 違法魔書。それは、数年前街中で起きた〈魔書暴発事件〉を発端に、英国内で社会問題として扱われる無認可製品である。通常、魔書は装幀騎士によって装幀され、正規の店舗を通じ民間へと渡る。だが、その値段は一冊で何ヶ月分の食費がまかなえるほど。とてもではないが、ブルーノのような労働者階級の人間に手が届く品では無かった。

 一方、近年台頭した違法魔書は、庶民にも手に撮りやすい安価な値段で、実際に使用することもできる。だが、正規の手順を踏んで作られなかった故に性能は非常に不安定多くの場合、暴発し、使用者は周囲もろとも制御できなくなった魔術に巻き込まれ命を落とすのが大半だ。

 今朝、その違法魔書とやらを受け取った瞬間、その重さに背筋に冷や汗が流れた。だが首領にどんと背を押され、笑いかけた膝が正される。

「最後の大仕事だ。頑張れよ」

「は、はい……」

 その後、皆に見送られブルーノはアジトを飛び出した。そして暗記した地図を元に、お世辞にも綺麗とは言えない街の中を歩く。喧騒の街の中で、只一人。ひたすらに足早で進んだ。

 だが、何故だろうか。

 何者かの視線を感じる。

 背中に刺さるような、誰かの視線が。

「…………」

 ブルーノは息を吞み、進む脚を更に速めた。早くこの仕事を終わらせ、脚抜けしたい。安全な我が家に帰りたい。そう、これはいつもの通りモノを届けるだけ。今までに何度か、請け負った仕事だ。何も起こることはない。いずれ無事に終わるはず。

 自分自身に言い聞かせ、歩いた。歩き、歩き、歩き。歩いた。そして気がつけば目的の場所まであと少しと迫っていた。

 いける――!

 そう、確信した瞬間だった。

「あのぅ。少しよろしいですか」

 ポン、と肩を一つ叩かれた。同時に心臓が縮み上がる。背に冷や汗が伝い、体が石のように固まった。

 かくかくと足後を振り返ると、そこに立って居たのは背の高い茶髪の男と、二回り以上背の低い少女だった。彼女は十四、五歳くらいだろうか。試験に合格すれば何歳からでも騎士になれると聞いたが、いくら何でも若すぎる。その無邪気そうな瞳と相まって、幼いという印象すら与える。

「どうも。巡回の者でーす」

「突然すみません。最近、この周辺で違法魔書が出回っている情報がありまして。少し拝見してもよろしいでしょうか」

 男が指さしたのは、ブルーノの抱える紙袋。息を吞んだ。丁度そこには、例の違法魔書が入っているのだ。見つかれば、只じゃ済まないだろう。

「い、いい、今、急いで……」

「見たら直ぐにお返ししますからね。って、あ」

 瞬間、ブルーノは無意識に走り出してしまった。

「逃げちゃいましたよ先輩!」

「追うぞキャロル、上から頼んだ!」

「はぁいっ!」

 そんなやり取りを尻目に、ブルーノは歩き慣れた狭い路地裏へと入り込む。幸い、先ほどの騎士の気配は感じない。ほっと一息、胸を撫で下ろす。たが、いつ追いつかれるか分かったものではない。一刻でも早く仕事を終えなくては。

 そんなやりとりがあったのは、つい十数分前のこと。

 今日で全てが終わる。

 これが終われば、家族の元へ帰れる。平和な日常が、俺を待っている。
 ブルーノは自分自身に言い聞かせる。視線を下げたまま、再び足を踏み出した。その、瞬間だった。

「…………!」

 不意に視界が暗くなる。狭い壁の隙間に、僅かながら差し込んでいた光が遮られたのだ。雲だろうか? いいや、ロンドンはいつだって暗雲に覆われている。それとも鳥か。違う、鳥の影がこんなに大きな訳がない。考えられる可能性を、ブルーノは思考する。だが、どう考えても最悪の唯一のみが浮かび上がる。

「う、嘘だろ……」

 無意識にも息を吞む。頭上に、迫る気配を感じた。

 そして顔を上げる間も無く、骨まで響く振動と共に背後に何かが落ちた。落ちた、というには些か丁寧すぎるかもしれない。それは、的確にこの場と自らの身体状況を判断し、砂埃と轟音を纏いながら、最適な着地を成功させたのだ。

「やっと見つけたぞ」

 振り返る。その姿を目にしたブルーノの呼吸は止まった。十数ヤード先に、先ほどの騎士がいた。自分より頭一つ大きな男がそこにいたのだ。うなじでまとめた硬い茶髪に、睨みつけるような視線。本来剣を携える場所には、一冊の魔書が下がっている。

 そして、腕に帯びた赤き竜の紋章。英国への忠誠と守護を示す、竜の紋章。

「ペンドラゴン騎士団……!」

「ああ、そうだな。まあ、この格好を見れば誰でもわかるだろうが」

 男は唇を引き攣らせ、微笑むように見せかけた。勿論、目は笑っていない。脳は無意識に身を引いた。

「なに、身構えるな。俺は騎士だ。無理矢理それを奪うような野蛮な行為は好かない。手荒な真似はしない。ただ、少し話をしたいだけだ」

 かつかつと革靴を鳴らし、男は近づく。

「なぜ逃げた。なぜ袋の中を見せない。たった数分、すぐに終わることだろう」

 なぜ、なぜ。

 騎士の男は、感情の読めない表情のまま、ざくざくと砂利を踏み締め距離を詰める。そして、腕の中のそれを「よこせ」と言わんばかりに手を差し出したのだ。

 ここで易々と得物を手渡してしまうほど、ブルーノの意思は弱くなかった。冷めた瞳を睨みつけ、今度は自分の意志で一歩、右足を引く。そして、踵を返した。

「……そうか。それがお前の答えか。そうか」

 男はふっと真顔へと戻り、言った。

「ロンドン塔で後悔しろ」

「……ち、畜生! あと少し、あと少しなのに……!」

 ブルーノは今一度紙袋を抱え、狭い路地裏を縫うようにしてすり抜ける。
 一度逃げ切った相手じゃないか。きっと、今回も逃げ切れるはず。乱れる心脈を正すように、ひたすら脳裏で反芻した。

 だが、その希望は一瞬で潰えることになる。

「……!、嘘だろ」

 巻き上がった砂埃とともに、目の前に先ほどの騎士の男が現れた。ブルーノは混乱する。つい数秒前まで後ろにいたはずだ。たかが数秒で回り込めるはずがない。

「鴉に肉を啄まれるのは痛いぞ。ここは大人しく……」

「くそ、あと少しなんだよ……!」

「……あと少し?」

 手のひらを地へと向け、ブルーノは地面に向けて魔力を押し出す。すると瞬く間に煉瓦の道が隆起し、二人の間を遮る壁を作り上げた。砦のごとき障壁は高さは三フィートというところ。行く手を遮るには十分だ。と、ブルーノは再び方向転換を図る。

「その程度で防げるとでも」

 男は短く重く、ため息をついた。

「舐められたものだな」

 騎士の男は嘲るように笑うと、跳んだ。いや、飛んだ。無駄なく筋肉を纏ったその肉体は、軽い屈伸程度の予備動作のみで、空高く飛び上がったのだ。まるでサーカスのフライヤーのように、華麗に舞った。直後そのまま、造られた隔離の上に着地する。

 ブルーノは驚きのあまり、息を忘れる。ポカンと口を開けたまま、こちらを見下ろす無表情な男を見上げた。

 飛行魔術か? 身体強化魔術か? それとも……〈獣の病〉か?

 混乱した思考では、答えを出すことすらままならない。

 ふと彼の腰に下がる一冊の本に目が入った。ビル群の間を吹き抜ける風に身を任せ揺れるそれは、僅かな魔力を放っている。

「……魔書」

 なるほど、納得がいった。彼の文字通り飛び抜けた身体能力の源は、これだったのだ。ならば、分が悪い。たとえ、この騎士の能力がブルーノを下回っていたとしても、魔書で上乗せされれば敵うはずがない。

「なんだよ……何だよ!」

 考えるよりも先に、体が動いた。薄い靴底越しに刺さる小石など気にならない程無我夢中で走る。走る、走る。何をすべきか、なんて考える余裕もなかった。ただひたすらこの足を動かし、少しでも遠くへ行きたかった。

 騎士は呆れた顔で一つ、指を鳴らす、細い糸が一本、ブルーノの元に伸びていった。

『ほうら、早く止まって。私たちだって、貴方を傷つけたくないんですよぉ』

「は、」

 不意に、女の声が聞こえた。聞き覚えのある、甘く無垢な声。

 慌てて周囲を見渡してみるが、見える限り人らしき存在は確認できない。ただの幻聴か、幻聴が聞こえるほどに焦っているのか。そう思っていたところに再びあの声がする。

『うーん、聞こえてるはずなんだけどな……おーい』

 脳に響いたという表現の方が誓いかもしれない。明るい、それでいて少し寂しそうな声が呼びかけるのだ。もちろん、自分の想像の類ではない。明らかに外から何らかの手段で干渉しているように思える。

『ねえ、お兄さん。聞こえているんでしょー?』

「だ、黙れ!」

『おわっ⁉︎』

 ブルーノは立ち止まり、爪を立てるように頭を抱えた。

『手荒なことはしたくないんですよー。お願いします。ね?』

「うるさい、うるさいうるさい!」

 おもむろに、彼は大事に抱えた紙袋の口を開く。中には、一冊の本、魔書が収められていた。ただ革の貼られただけの薄いベージュの表紙。あの騎士が持つそれとは比べ物にならない程簡素なそれを右手に携え、指先に魔力を集中させた。

 瞬間、今まで碌に変わることのなかった男の表情が豹変した。鉄仮面が一気に青ざめ、体にひりつく危機感に手を伸ばしている。

「やめろ馬鹿! そいつを使うな!」

 背後にこだまする制止を振り払うように、ブルーノは叫んだ。

 今この時を変えてやる。その意思を胸に、強く魔力を放出した。

「う、ああ、ああああああ!」

 脈拍が早まる、体温が上がる。身体中の血液が目まぐるしく回り、ありったけの魔力が魔書に吸収されていく。

 これが、魔書を使う感覚。

 生まれて初めての高揚に、ブルーノの脳は熱くなった。言語化し難い無敵感に、心が道ゆくのを感じる。

 これで、自分は強くなれる。

 確信し、魔書の発動を試みたその瞬間。

 腕が止まった。

 動かない。まるで、全身を縛られたかのように、身動きひとつできない。恐る恐る顔を上げると、自分の四肢に七色に輝く透明な物質が巻き付いている。

「糸……?」

 ブルーノは一刻も早く透明な檻から抜け出そうと身をよじる。だが、引きちぎろうにも、力を入れれば入れるほど糸は体に食い込み身動きが取れなくなっていく。

「な、何だ……何だこれ!」

 焦るブルーノとは裏腹に、どこか安堵した声が頭上から聞こえてくうるさい。

「観念しろ。アリアドネーの糸はそう簡単に切ることはできない」
 空高くから騎士の男が降り、着地した。ため息を吐き手袋の埃を払う姿が癪に障る。

「間に合ったか……」

 男は指を自らのこめかみに当て、つぶやく。

「キャロル、対象を確保。ああ、怪我はない。お前なぁ、俺以外に蝸牛に干渉するアレやめとけ、普通に混乱するからな。ああ、ああ。わかった。待っている」

 話し終えると、男はブルーノのもつ魔書をひったくった。

「違法魔書と知っていての運び屋。『英国魔書管理条項』第一〇九条・魔書密造密売、第六〇条・共同正犯のどっちにも触れている。世が世だからな、それなりの罰が下る」

「…………わかっている、わかって…………」

 既にブルーノは抵抗を諦めていた。完全に捉えられた今、彼の目から光は失せていた。

「潔いいな。嫌いじゃないぞ」

「クソ、クソ……!」

 あと、もう少しだったのに……!

 ブルーノがそう吐き捨てるのを見届けると、男は紙煙草に火をつけ、細い紫煙を吐き出した。

 悔しさとともに感じる舌にしみる塩と徹の味を舐め、ブルーノは一人の犯罪者としてロンドン塔に送られることとなった。

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