第二話/無花果の葉は枯れた③【呪いの箱庭】
〈7/情動〉
埃と黴の匂いに包まれる、廃校舎の一室。若き命溢れる華々しい外界から隔絶されたその空間に二人はいた。
ふたり。そう、たった二人きり。
肩に感じる僅かな重みに、心が満たされる。
つい先ほど、学院の不良集団に目をつけられ、暴行を受けていたルノーを助け出した。随分とひどくされたようで、全身は痣だらけ。目を背けたくなるほどの傷を負ってしまっていた。
もし、廊下での会話の直後、後を追うことを決めていなければ。追跡中姿を見失ったとき、諦めて引き返していれば。ルノーはどんな目に遭ったのだろうか。考えるだけで、奴らを殴りたくなる。
グザヴィエは、寝ついたルノーを見下ろす。泥だらけのシャツのまま、安心しきった子猫のように身を委ねる彼を視界に入れる。それだけで胸はざわつき、心臓は倍速で鼓動する。
ゆっくりと横目に、ルノーの顔を覗き込んだ。
白い粘土細工のような肌。ややざらついており、強く握って仕舞えば途端に指が沈む。花とは違った、柔らかく脆い存在。ただ僅か。ほんの僅かだが、薄く骨張った彼の首に指を沈めたい。そんな破壊衝動さえ生む。
美しいものを壊したくなる、浅ましく、ふしだらな情感。
倒錯した、反道徳的な感情だと自覚はある。それでも、胸の内から湧き上がるそれは潰えることはなく、今もなお激しく溢れ出す。
ああ、駄目だ。だめだ。
服の隙間から見える痛々しい打撲痕に顔を顰めた。あの場所にいた全員の顔は覚えている。あとはどうすべきか、グザヴィエはよく理解していた。
二度と、傷付けさせるものか。
悲しませてたまるものか。
半開きになった唇の端。僅かに残る血の跡に手を伸ばし、親指が触れた。
短く、息を吸う。
「グザヴィエ?」
触れられた違和感に目を覚ましたのだろう。緩やかに、瞳に光が差した。決壊した罪悪感にたまらず、目をそらす。
「ああ、起こしたか。顔が汚れていて、その、拭こうとしたんだ。すまない、まだ寝ていて良い」
いいの?
眠たげにルノーは呟くと、返事を待たずして再び眠りへと落ちてしまった。再び規則正しく鼓動を始める鼓動を感じ、グザヴィエはため息を吐く。
隣の青年のそれとは正反対に乱れる心臓。思わず掴み捨てたいとさえ思った。
この状態で、後一体どれくらい待てば良いのだろうか。つい、眠っていいと言って仕舞った自分を恨む。
「……」
泥と石鹸の香りが入り交じった髪が触れる。栄養が足りないのだろう。ややかさつき、およそ潤いらしきものは見当たらない。お世辞にも美しいとは言えないそれに、グザヴィエはふつふつと熱くこみ上げる愛しさを吐き出す。
「ルノー」
起こさないよう、小さな声で囁いた。返事がないことに安堵し、続ける。
「お前はどうして、壊して仕舞いたいほどに」
美しい。
我ながら、酔狂な言葉だと自覚していた。つい先ほどまで、心ない暴行に晒されてた青年に、およそ抱くはずのない感情である。罪だ。
だが、言わずにはいられなかった。言わなければ、自分が壊れてしまいそうだった。
この身に流れる血の性か。それとも彼自身の本性が生み出した狂言なのか。
どうせなら、自分のものであるほうがよかった。
ゆっくりと、頭を眠るルノーの方に寄せる。直に聞こえる息遣いに胸を高鳴らせ、グザヴィエは願った。
どうか、この時間が永遠に続くように、と。
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