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第二話/無花果の葉は枯れた④【呪いの箱庭】

〈9/祈り〉


「ねえ、グザヴィエ」

 カフェ照りの喧騒の中でも、イヴの芯ある声は良く通る。なんだ、と正面の席に座る彼女の顔を見やると、不満たっぷりの視線を向けてきていた。

 何事か、と思ったが彼女は恐らく、グザヴィエが勉強せず小説ばかり読んでいるのが気に食わないのだろう。流行の恋愛小説を読むなら、教本の項目一つ覚えなさい。きっとそう言うに違いない。グザヴィエは鼻で笑い、からかい混じりに返事する。

「はいはい、どうなさいましたかお嬢様」

「進展したの?」

「!?」

 唐突な思わず口に含んでいた珈琲を吹き出した。丁度隣にいたベルナールも、呼んでいた教本から顔を逸らし、肩をふるわせる。

 グザヴィエは器官に入った液体を吐き出そうと、何度も何度も咳き込む。生理的に出る涙を拭い、文句を言った。

「お前、何なんだよ。何だよ、お前ぇ」

「聞いただけよ。で、進展したの」

「だ、誰とだよ」

 へっ、と嘲り余裕ぶってみるも、一瞬にして崩れ去る。

「ルノー」

「はっ、あっ!?」

「ンふっ、」

 堪えきれなくなったベルナールが、ついに吹き出した。

「好きでしょ彼のこと」

 さも当たり前のことのように放垂れるイヴの言葉を、静かに、と口元に指をあて押さえ促す。

「声がでかいって!黙れ!くそ、なんでだよ」

「もしかして、バレていないとでも思ったの?あーら、お馬鹿さん。アンタのこと何年見てると思う?ベルナールもユーゴも気づいてるわよ。ね」

「う、うん」

 申し訳なさげに頷くベルナールに、思わず「嘘だろう」思わず頭を抱えた。隠そうと考えていたつもりは毛頭ない。相談しようと思っていた思惑も殆どない。築かれていた上に、見守られていたという羞恥が、柄にもなくグザヴィエを真っ赤に染めたのだ。

「あらぁ、可愛い」

「可愛いって言うな、黙れ」

 反論するも、今のイヴには逆効果だった。先ほどよりももっと、ニタニタと笑い机の上に握られたグザヴィエの拳をペンで小突く。対し、ベルナールは何処か安堵の表情を浮かべていた。

「よかった、自覚はあるみたいだ」

「これで無自覚だったら、どうしようかと思っていたわ」

「何なんだ。本当。何なんだ、お前らは……」

「あら、茶化しているわけじゃないんだから。肩の力抜いて、ほうら」

 心にも無いことを言うイヴから目をそらし、席を立とうとした時だった。
「全く早く囲ってしまえばいいじゃない。ねぇ」

 思わず、は?と素っ頓狂な声を上げた。ベルナールも、呆れ混じりに笑っている。

 この女のいう『囲う』とは、詰まるところ妾の類いとして迎え入れろという意味だ。好事家揃いで知られる、ザントライユ家の当主息女らしい発想である。イヴは幼馴染みの動揺を他所に続けた。

「うちの父様も兄様も家に色々呼んでいるし。住まわせていたりする。今時別に珍しくないことでしょう?」

 さも当然の様に言うが、つまりはそう。そういうことだ。

「あのなぁ、お前の家と一緒にするんじゃねぇよ。特例なの、お宅は」

「まったく、貴方は貴族の端くれでしょう。権力を使いなさい権力を。既成事実は強いわよ」

「お前みたいな奴がいるからこの国は共和制なんだ。生まれが100年遅くて命拾いしたな」

 たしかに。それはそうね。

 けらけらと笑うイヴは気にも留めない。

「で、囲うの?」

「しねぇよ。意志を無視するようなこと」

「でももし、彼がそれを望んだら?ふふ」

 ルノーが自ら自分の元へ?いや、駄目だ。違う。

「もし貴方が誘って、彼が承諾したら?そそれに囲うって、別に性的な目的が主なわけがないのよ。気に入った才能を、少しでも長く残すためのパトロンだってそうじゃない」

「あり得ない、そんなこと」

「本当に?」

 イヴの一言で、突如思考が揺らぎ始めた。

 もしも、一緒に暮らせるとなったら。家に帰れば彼がいて、他愛ない会話をしたりして、それで。そこまで想像したところで、思考が真っ暗になった。

「違う、違うんだ。俺の気持ちはそんな性欲塗れの下品な物じゃない」

「あら、」

 本当に自分は、彼を大切にしたいのか。なら、彼に抱いたあの気持ちは。
 思わず、前のめりに頭を抱え込む。

「俺は人として、彼と接したいだけだ。貴族とか平民とか関係無い。立場なんて、利用したくない」

「そう。でも、他の奴に取られるのは嫌でしょ。きっと卒業したら近所の小娘たちに引っ張りだこよ」

 これだけは、彼女に同意しなくもないと思えた。彼は愛嬌がある。それに頭もいいし、生来装幀師になるならば、稼ぎだって確実だ。間違いなく、放っておかれない。いいや、既につばをつけようと企む奴もいるかも知れない。

「いやだ……」

「そう、じゃあ囲いなさい」

「だから囲わねぇよ」

 もういい、とグザヴィエは荷物をまとめ、カフェテリアを後にした。

「あーあ、また機嫌を損ねた。1週間は口を利いてくれないんじゃないか」

「私は一つ、手段を述べたまでよ。あんなに努こる必要はあるのかしら」

 くるくると横髪をいじるイヴは、バラ色の口先をつんと尖らせた。

「恋愛ねぇ。私はどうも性に合わないわ。独占欲とか性欲とか。兄様たちは素晴らしいものだと賛美するけれど、私はどうにもピンとこない」

 逃がしたくないなら、触れたいなら、閉じ込めてしまえばいいいのに。ねぇ?

 同意を求める一言に、「違うんだよ」とベルナールは諫める。

「怖いんだ、きっと」

「自分が傷つくのが?」

「それもあるけど。相手が、かな」

「でもルノーだって彼のこと嫌いじゃないでしょう?むしろ好きだし。そんな人に『一緒にいようと』と言われたら嬉しいと思うんだけど」

 イヴは不思議そうに首を傾げる。

「はあ、恋愛ってよく分からない」

「あはは、いいよ。そのままで。イヴはイヴのままでいい」

 あら、素敵。

 揶揄う言葉を受け流し、ベルナールはまた一口コーヒーカップに口をつけた。

「恋か」

 微笑ましい。実に微笑ましい。

 燃えるように人に焦がれるように求める、求める。

 だが、そんな思いは全て、恋とくくれるのか。ふと浮かんだ疑問を無かったことにして、ベルナールはもう一度、本を手に取った。

・・・

 氷の風が、校舎を縫う季節。珍しくグザヴィエは図書館に訪れていた。
 誰かの付き添いならまだしも一人で、なおかつ自主的に脚を踏み入れるなんてない場所だ。期末レポートの資料集めという面倒な用事が無ければ、だが。

 ユーゴから預かった推薦資料のメモを見ながら一冊一冊本棚から抜き取る。腕一杯に本を抱え、席に戻ろうとしたその時、どん、と背に誰かがぶつかった。危うく資料を落としかけ、文句を言おうと振り返る。

「ったく、危ねえな。前見ろよ」

「ご、ごめん」

 真後ろにいたのは、ルノーだった。おずおずとこちらを見上げ、彼は尋ねる。グザヴィエは唇をキュッと一文字に結んだ。

「忙しいところごめんね。少し話があるんだけど」

「あ、ああ。構わない」

 言われるがまま、ルノーに連れられ図書室を出た。彼の口から出たのは予想だにしなかった言葉だった。

「……今。なんて?」

 グザヴィエは思わず聞き返した。ルノーはぱちくりと目を丸くする。

「えっ、一緒に買い物に行ってくれないかなって。クリスマスマーケット」

「ああ、クリスマス。クリスマスマーケット……」

 確かに、もうそんな時期だ。期末だからな。休暇が待っている。当たり前のことを言われているはずなのに、脳はすっかり混乱していた。

 ルノーが俺と、クリスマスマーケット?

「ごめん。僕、変なこと言ったかな」

「いや!、い、言ってない。言ってないけど。あ、そうか。もうユーゴ達も誘って……って事だよな」

「僕と君の二人だけ。ユーゴ達は、その、直ぐお金を出そうとするじゃないか。貰いすぎるのもその、もうしわけないからさ」

 どうやら、先日の学内コンペの賞金で、家族に何か買ってみたいんだとか。

「クリスマスマーケットとか、幼い頃に一度行ったきりでよく分からないんだ。君はよく家を抜け出していたって聞いたから、助けを借りたくて」

 昔、小さな家出を繰り返し家族に迷惑を掛けていたのは、確かだ。そんなこと、ルノーに知られたくなかったという気持ちと、出かける切っ掛けに歓喜する気持ちが入り交じる。

「は、あ」

 突然の誘いにグザヴィエの眼球は右往左往と忙しなく動く。ルノーの言葉を整理し、ゆっくりと反復しよう。彼は一緒にクリスマスマーケットに行って欲しいと言った。しかも、二人だけで。

「二人で、行くのか。本当に?」

「おかしい?ユーゴとベルナールだってよく二人で町に行った話をするじゃないか」

 その二人の距離感は例外だ。言葉が喉まででかかったが、寸でのところで飲み込んだ。

「たしかにそうだな。い、いつにする?」

「週末の午後。大丈夫そう?」

「わかった。学校の前でいいか、集合」

「うん、次の授業あるからもう行くね」

 ルノーはそう言い残し、鐘の音と共に足早に去って行った。

「……嘘だろ」

 思わず頭を抱え、机に突っ伏した。完全に想定外だったのだ。

 名前をつけたくないあの感情を自覚してからというもの、ルノーと二人きりになるのをさけていた。これ以上芽を成長させないためにも、幸い当人は他者から向けられる正の感情に鈍感なようで「そう言う気分なのだろう」と軽く考えている。

「……とりあえず、終わらせるか」

 グザヴィエは、重い体に鞭打った。予定していた資料集めには、倍の時間がかかってしまった。

・・・

 もしかしなくても、こうして学校の外で会うのは初めてではないだろうか。

 暗闇を照らす無数の明かりに目を輝かせるルノーは、いつにも増して小さく見えた。パリの街のクリスマスマーケットは、溢れんばかりの客人でごった返している。皆、一年に一度の祝祭の日を祝おうとやっけになっているのだ。

 グザヴィエは、人混みにもまれるルノーを見逃さぬようにと、背後をじっとついて回る。右往左往、並にのまれかかる。

「本当に慣れていないんだな」

「うん。仕事とか勉強で中心街にあまり行かなかったから。恥ずかしいけど、今でも迷うよ」

 ふと、ルノーの足が止まり、或る小さな屋台へと向かった。そこはいかにも怪しげな骨董品が並んでおり、隠しきれない胡散臭さが客を遠ざけている。

「やあ、いらっしゃいお二人とも」

 店の奥には、商品を上回る胡散臭さを醸し出す、異国風の装いの男が座っている。グザヴィエは思わず身構えたが、ルノーは躊躇わず、商品を手に取る。

「これ、ユーゴが好きそう。東方の呪いの骨だって」

 興味津々に掌で転がす。店の主人は機嫌良さそうに「大昔極東の女王が作った魔書の原型となるものだ」と誇らしげに語る。熱心に相づちを打つルノーが心配だ。

「どうだい。値段は張るが良い品だ。お墨付きだよ」

 グザヴィエはひょいと一つつまみ上げ、品定めする。

「んー、どれどれ」

 ひょいと覗き込んで見るが、作り自体はしっかりしているようだ。状態も悪くなく、さぞ技術ある職人に作られたのだろうと予想できる。だが、

「贋作だな」

「やっぱり?」

 店主の顔が歪んだ。にっこりと。

「確かに東方には骨に魔術式を書いて使う風習があったが……それは西暦よりずっと前のことだ。それに黄金の国の女王が統治していた国とやらは見つかってない。まあ、出来がいいし玄関に飾っておく分にはいいんじゃないか。悪い虫は追い払えるだろう」

 すると店主はケラケラと手を叩き、「お目が高い!優秀な学生さんには一つ、商品を贈ろう。好きなものを選ぶんだ」と笑った。

「良いんですか」

「構わないさ。面白い者を見せて貰ったからね」

 にっかりと笑顔を作る店主とは対照的に、ルノーはうろうろと困り眉でグザヴィエを見上げる。

「ええ、でもなんか申し訳ないなぁ。じゃあ他に一つ買って」

「よせルノー。こういう手口なんだ。人の心につけ込んだ、な」

 グザヴィエは店主を一瞥すると、踵を返し背を向けた。

「ちょっと待ってよグザヴィエ。店主さん、あの。頂くのは遠慮しておきます」

「そうかい、残念だよ」

 それでは、とルノーは挨拶すると、グザヴィエの背を追った。

「いきなりいなくならないでよ。僕が迷子になる」

「ったく、危なっかしい。店選びは俺がする。ほっといたら変な品掴まされかねない」

 ここだ、とグザヴィエが向かったのは、開けた場所にある、大きめのテントだ。いかにも若者が好きそうな雑貨が多く取りそろえられている。

「ここにしとけ。値段も高くない。折角の金なら有効活用しろ」

 わかった、と本当に理解できたのかどうか定かではない笑み浮かべ、そそくさとテントの中に向かった。チープな小物を手に取り目を輝かせる様子も見ながら、グザヴィエは街灯の下でじっと彼を眺める。

 あんなもの一つで、喜べるのか。

 羨ましかった。大切な人に何かを送ることなど、今まで経験したことがない。そもそも思いついたことがない。

 一度やってみるのも、いいかもしれない。

 贈るなら、彼に。

 物思いにふけっていると、ぱんぱんに詰まった紙袋を抱えたルノーが帰ってくる。

「随分と買ったな。何が入っているんだ」

「アイシングクッキー。下に6人いるから、平等に買おうとするとどうしてもかさばるんだ」

「ったく。コレで歩いて帰るのは一苦労だぞ」

 見ると、袋には瓶に詰まった可愛らしいクッキーやメレンゲ菓子が妻ている。いかにも子どもが喜びそうな代物だ。

「食い物ばっかりだな」

「みんな育ち盛りだからね」

 そうだ、とルノーはグザヴィエを見つめる。

「ユーゴたちにも何か買って行きたいな。おすすめはある?」

「そうだな、適当に瞳の色に合わせて選んでやればいいだろう。キャンドルなんか良いんじゃないか」

「いいね、素敵だ」

 浮き足立つ足取りの跡を追い、暫く屋台を回った。安い小物一つ一つに目を輝かせるルノーに呆れながらも、じっと彼を目で追った。

 指先ほどの小さな幸せにも、笑みをこぼす姿がただただ、眩しい。

・・・

 夜も更けてきた頃、パンスロン家の前に一台の馬車が停まっていた。下町には似つかわしくない豪華な馬車は、雪の中、ぼんやりと浮かび上がるように佇んでいる。

 コーチから下りたルノーとグザヴィエは、軽い談笑を交わしていた。

「今日はありがとう。家まで送ってくれて」

「そんな荷物一人で持って帰れないだろ。気にするな。氷に足を取られたら悲惨だぞ」

 確かに、とルノーは笑った。

「じゃあ、また来年」

「ああ、食い過ぎるなよ」

 再びコーチに戻ろうとしたグザヴィエを、ルノーは引き留めた。

「いけない。忘れるところだった」

 ルノーは紙袋から瓶を一つ取り出した。それは弟用より少し大きな、赤いリボンの巻かれた菓子の瓶詰めだった。グザヴィエは手渡された瓶の冷たさに、思わず目をぱちくりさせた。

「なんだ、これ」

「君の瞳の色。赤いキャンドルは売り切れてて。他に赤いものといったらこれしかなくて」

 ごめんね。少し子どもっぽいかな。

 照れくさそうに笑うルノーから僅かに目をそらし、そっと瓶を受け取った。

「貰っておく。その、嬉しい。とても」

「光栄だ」

「じゃあな、メリークリスマス」

「メリークリスマス」

 グザヴィエは赤くなった耳を隠すようにコーチに飛び乗ると、無言でドアを閉めた。受け取った瓶を腕の中に、抱きしめるように抱え込む。

 ルノーが自分に。贈り物を考えてくれたことが、とけそうな程に嬉しかった。

 馴染みの御者が笑う。思わず舌打ちする。

「おや、どうしました?」

「うるせえ」

 乱雑に言い放つと、御者は「はいはい申し訳ありません」と悪びれもなく言った。

「ゴキゲンを治してくださいな。うちの親戚にドイツの血を引く者がおりまして、この次期になると歌を歌ってくれたもんです。あ、聞きます?喉には自信がありますよ」

 グザヴィエは声もなく頷いた。好きにしろ、と。

「では」

 意外にも悪くない御者の声に、ゆっくりと目を伏せる。視線の端に移るルノーが、大きく、必死に手を振っていた。

「ありがとう」

 小さな口が、そう動く。

 小さく手を振ると、カーテンを閉じ、瓶をそっと撫でた。

 いつか、お返しをしようかと考える。

 本か、道具か、美味しい食事か。今日のように小旅行に向かうのもいい。
 考えている間に、馬車はカラコロと進む。クリスマス・イヴは更けていった。小さな恋を祝福するように。


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