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第一話/白鳥のワルツ③【呪いの箱庭】

〈5/邂逅〉


 昔々、フランスを救ったとある異端の騎士がいた。

 百年戦争の時代、フランスは未曾有の危機に見舞われていた。強敵、イングランドによる襲撃を受けていたのだ。フランスの民は飢えと暴力に怯え苦しみ、城は陥落していく村々に戦慄した。

 ああ、滅びは目前だ。誰もが思ったその時。彼等は姿を現した。

 天啓を授かりし戦乙女と、その守護騎士だ。彼らは一騎当千の武勇をもって戦場を駆け抜け、囚われた街を次々と開放した。彼等の雄志は瞬く間にフランス中に広がり、形勢は逆転。フランスは復活を遂げた。フランスの民は喜び、彼等を称え敬った。

 それを良く思わぬ者がいた。戦争の集結とともに、救国の乙女は誘悪の濡れ衣をかぶせられ、業火の中に消えた。清らかな神への祈り、そして悲鳴とともに。

 守護騎士は狂った。

 何故、何故だ! 彼女が獣のはずがない! 誰よりも清らかな心を持ちフランスを愛した彼女が!

 私は認めない、許さない。決して、決してだ!

 現実を受け入れられなくなった彼は、その手を魔に染めた。日々残虐な行為を繰り返し、乙女の復活を願い祈った。その方法が禁忌と知っていながら。  

・・・

 ルノーはぱたりと本を閉じ、天井まである本棚の隙間へと戻した。午前中の資料室には、自習場所を求める生徒たちが彷徨っている。そんな中、空きコマを利用しこの場所に寄ったルノーは1人、戻した本の背表紙から手が離せぬまま、俯いていた。

 一つ、息を吐く。高揚の混じった熱い吐息は、脈打つ鼓動を少しづつ緩めていった。散らばったパズルのピースがそろうような快感。靄がかった思考が晴れる瞬間。彼の意図を理解したルノーは、踵を返し、資料室を出た。

 丁度、昼休みを告げる鐘が鳴る。ルノーは足を速め、旧校舎へと向かった。昨日まで怖くて仕方が無かった視線は、微塵も気にならない。慣れない運動のせいか、息が上がり頬だけが冷たく感じる。もう、足だって棒になりそうだった。

 古い床板が軋むのも気に留めず、派手に舞う埃の中、資料室の扉を開けた。底には、昨日と同じく白鳥の青年が窓枠に腰かけていた。彼はルノーを捉えると悪戯っぽく微笑む。

「グザヴィエ、さん!」

 名を呼ぶと、満足そうに此方に向けて座り直す。

「妙に喧しいと思ったら、お前かルノー」

「解りました。グザヴィエさんが、自分を嫌われ者と言っている理由が」

 ほう。

 グザヴィエは、見定めるかのように問いかけた。

「それで?」

 どこか冷めた言葉に、ルノーはぴたりと動きを止めた。肌の表皮がじわりと冷たくなる。

「答えを知ったお前はどうするんだ?忌まわしい血の流れる俺と、罪人の血を引く俺と、どう関わっていく?それとも距離を置いて全てなかったことにするか」

 なあ。どうする?

 グザヴィエは笑う。親指で命を弄ぶような、冷えた視線で。なこちらを試そうとしている。

「何もしません」

「ほう? 理由は」

「何も変えたりしません。生まれついての身分や体に関する差は、理解しているつもりですから。それに、」

 恐る恐る、視線を合わせる。僅かだが、胸の奥に恐怖の感情が芽生えていた。

「僕が平民だと分かっていても、あなたは変わらず接してくれた。それが理由です」

 ルノーは恐れていた。自らが導き出した答えが、彼の求める『正解』なのだろうか、と。人間同士の関係性に正答があるとは思っていないが、どうしてもそれを求めてしまう。

 赤褐色の瞳を見つめ返す。暫しの沈黙の後、緩やかなため息とともに、静寂が解かれた。

「ふぅん。そうか。ふうん……ははは」

 くつくつと、満足そうに笑うグザヴィエに、思わず首を傾げた。

「僕、何か可笑しなこと言いましたか……?」

「なんもねぇよ。いい奴だなぁって、お前」

 ちょっとこっちこい。

 二、三度襟を軽く摘むと、グザヴィエは歩き出した。足早に廊下を抜けていく背に、慌てて踵を返す。空中に舞う薄い埃を手で払いながら二人は静かな廊下を進む。

「あの、どこに行くんですか?」

「知ってからのお楽しみさ。なに、悪い奴らじゃない」

 言われるがままグザヴィエの後についていくと、カフェテリアにたどり着いた。丁度昼時であるせいか、席の殆どは埋まっている。活気溢れる眩しい空間に、眩暈がしそうだ。

「あそこだ」

  彼の指さす先に視線をやると、華やかな三人の男女が談笑していた。二人の青年のうち一人は、黒髪に切れ長の目をしたハンサムな男性、もう一人はオリーブの優しげな瞳の男性。そして薄茶色の髪を結い上げ、花の髪飾りで纏めた女性。白く透き通る肌にほんのりと桃色に染まった頬。僅かな仕草で揺れる前髪に、思わず見蕩れてしまった。

 黒髪の青年が、此方に気がついたようで満面の笑みで此方に大きく手を振った。

「グザヴィエ!」

 他二人も、此方に視線を向ける。皆ルノーの姿に少し驚いた様子を見せたが、構わずグザヴィエに絡み出す。

「ったく、どこ行ってたんだよ。目を離すと直ぐにどっか行っちまうんだからよ、お前は」

「いいだろ。授業までには戻ってんだから」

「まぁ! 授業中昼寝して怒られていたのはどこの誰かしら」

「いてて! やめろって、イヴ!」

 イヴ。そう呼ばれた女性は笑う。品はあるが、どこか子どもっぽくあどけない笑顔……下町では見かけない柔らかな雰囲気に、ルノーは思わず見蕩れてしまった。

 口を閉ざしたままのルノーにオリーブ色の瞳の青年が、そっと声をかける。

「初めまして。君、グザヴィエのお友達?」

「は、あ……友達……?」

 友達。たった一つの単語に、ルノーの思考は勢いよく駆け巡る。そうであればいい、とは思ったがこういうのは相互の認識があった上での関係だと思っている。一方的に返事をし、彼の気をがいしてしまうようなことはしたくない。かといって、否定するのも嫌だった。

 戸惑い言葉を濁していると、ずしりと肩が重くなる。グザヴィエの腕が乗ったのだ。

「ああ、そうだ。もしかしたら知っているかもしれないが……ほら、名前言え名前」

「ルノーです。ルノー・パンスロン……」

「ああ、首席の!」

 黒髪の青年が目を輝かせた。

「ユーゴ・ド・ガルニエさ、よろしくな。何度か近くの席に座っていたからもしかしたら顔をしっているかもしれない。このぼけっとしてるのはベルナール・ド・ラファイエット。俺たちは見ての通り平々凡々としした学生さ」
「あら、よく言うわ。小テストいつも満点のくせに! 私はイヴ・デュ・ザントライユ。ふふ、この学校で女子生徒は珍しい? 気軽に接して頂戴、私もその方が嬉しいから」

 よろしく、とルノーは一人一人と握手を交わしていく。平然を装っているものの、ここにいる同世代の学生達が自分より遙かに身分の高い人物であると考えると今にもにげだしたいという気持ちでいっぱいだった。

「緊張してんのか? 別に身構える必要は無い。みんな俺の幼馴染みだ。取って食ったりはしねぇよ」

「お前はするかもな、グザヴィエ。気をつけろよほんと」

「そういえば、今日の分の昼食を渡していなかったね。食べてくれると嬉しいな」

 ベルナールは側に置いてあったバスケットを引き寄せ、二つ軽食を取り出す。残し茶だけだからね、と言われるとうるせえなと悪態をついたグザヴィエは、椅子に腰かけ無言で包みを剥いた。ルノーも促されるまま一口囓る。丁寧にバターの塗られたサンドイッチだ。

「お、美味しいです……!」

「この子が友達を連れてくるだなんてね。ふふ、うれしいわぁ。ねねね、ルノー。グザヴィエとお話を始めたのはいつから?」

 ずい、と身を乗り出すイヴから目をそらしルノーは口を開いた。

「えっと、初めて会ったのは昨日の……」

「昨日⁈」

「昨日のお昼、です」

「昨日の昼⁈」

 口をぽかんと開ける三人。グザヴィエは我関せずと言いたげに、サンドイッチに手を伸ばした。

「にしてはちょっと懐きすぎじゃ……何かあったのか?」

「ちょっと……貴方なにか弱み握られたんじゃない?」

「僕たち、君の味方だから。正直に話して欲しいんだ。本当に脅されてない?」

「お前ら俺のこと何だと思ってんだ!」

 ガミガミと口論を始めるグザヴィエたち。まるで、弟達の喧嘩を見ているかのようだ。ルノーは思わず、くすりと口元が緩んだ。流石にグザヴィエが哀れになり、出会った経緯について話す。

「最初は少し驚きましたけど、平民の僕にも普通に接してくれてとても嬉しかったんです。もちろん、嫌なことされてたことなんてないですよ」

「ほら、ほら!言っただろ!」

 それ見たことか!と誇らしげなグザヴィエを他所に、3人の視線はルノーに注がれて居た。

「ビックリするくらい良い子じゃない……これで私達と同学年なんて」

「良い奴過ぎて変な奴にいいように使われそうだ」

「好きなだけ食べるといいよ。沢山つくったから……」

「お前ら、コイツのこと俺と同じように扱ってるけどよ、年は……」

 グザヴィエの口から出た言葉に、一同はまた目を丸くする。その様子があまりにもおかしくて、ルノーは久しぶりに声を出して笑った。


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