
スズメバチの異人街
紅葉通りは異人街だ。赤黒黄色と鮮やかで、落ち葉のお土産売っている。僕は上着を一枚羽織って、あつあつの肉まんじゅうでも買いに出かけた。肉まんじゅうは、一箇百円ぐらいだ。懐が淋しかったけれど、それでも食べようと決めた。食べないと、頭が変になってしまいそうだったからだ。あんまり寒いし、おでこがあんまり熱いからだった。
駅前通りを横道に入れば、緑道が広がる。僕はポケットに両手を突っ込んで、木枯らしに吹かれながら歩いた。曇りの空が真っ白で、目の底がチカチカした。それでも、紅葉はいいものだ。誰もいなくても、すごく賑やかだ。見慣れない服を売っているし、見たこともない食べ物を売っているし、聞いたこともない言葉であふれている。
「うちのオフィスは二階だよ」
スズメバチの友人は、そう教えてくれた。崩れかかった商店の二階へと、急な階段が続いていた。どんちゃん騒ぎの地上と、半分浮いている二階の通り。静かな異国語の本屋と、文具店。僕は吸いこまれるようにして、異国語の本がたくさん並んだ店に入った。
「これはいいね。蜂の言葉が書かれている」
「読めるのか?」
「読めない。でも、「八」という数字は読めた」
青いダーマトグラフの紐を引っ張ると、古典的オフィスワーカーだ。活版の書類に、必要事項を記入していく。僕はホワイトカラーをもらった。カラーだけのもの。
「ご職業は?」
「これといって、ないよ。ないというのも、職業かな」
「なるほど、たしかにそうだ。でも、僕は会社員ということにした」
「それはいい考えだ。労働者には仕事が必要だ。つまり、君はこの国の市民だ」
「そうらしいね」
「では、市民番号をどうぞ」
そんなものは知らなかったから、市場で買った肉まんじゅうを見せつけるように食べた。ちょっと野菜風の味がするのは、たぶん青虫の肉団子だからだ。あんがい淡白な味だ。
「うまい」
「それはよかった。でも、番号がないものは市民じゃないな」
「そりゃ困ったな。どうすればいい?」
「ここをまっすぐ行くと、市役所だ。そこで手続きをするといい」
僕はうなずいて立ち上がった。肉まんじゅうの包み紙をポケットにつっこむと、店を出た。貨幣制度もまだわからないし、この不思議な異国語もしゃべれなかったけれど、肉まんじゅうはうまかったからそれでいいことにした。
市役所はダムの上だ。濡れた紅葉が、コンクリートにプリントされていた。僕は、偉い人に渡すための曼珠沙華を摘み取った。それから、市役所の窓口で肉まんじゅうをひとつ注文した。それはすぐに出てきた。僕は、包み紙ごと渡した。
「市民番号をどうぞ」
「ないよ」
「市民じゃないものは市民じゃないな。じゃあ、肉まんじゅう代として、この書類にサインして」
「なんて書けばいいんだ?」
「なんでもいいよ」
僕は肉まんじゅうの包み紙の裏側に、さらさらと名前だけ書いた。それから、書類にもサインした。曼珠沙華をあげようとしたけれど、なぜだか断られた。
「毒があるからね」
「毒も味わい深いよ」
「確かに。機械には、自分を壊すなんて出来なからね」
「自分を壊す?」
「いや、こっちの話。とにかく、ここはサインさえあればいいのさ」
僕は書類をひらひらさせた。サインさえもらえれば、それでいいらしい。市役所の人は親切で、僕の書類はちゃんと処理されたようだ。それから、僕は市民になった。市民番号は1111だ。いい数字だ。
「さて、これからどうする?」
市役所前の広場に座って考えた。曼珠沙華が一輪あったので、ぷちっと千切った。あたりには、異国の言葉と肉まんじゅうの包み紙と、赤い花、青い空。とてもすてきな景色だ。
「僕は蜂だから、花から蜜をもらうよ」
「なるほど、いい考えだ」
「じゃあ、君は?」
「僕は働き蜂だからね」
働き蜂は飛んでいった。僕は曼珠沙華の花畑で寝ころんでいた。それから、また肉まんじゅうを食べた。今度は、空っぽだった。ただ、薄荷の葉と、まだ青い紅葉だけが仕舞われていた。