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2025年2月雑感(新型コロナ/トランプ大統領/映画のタイトル/競馬場)

新型コロナについて
2類に分類されていようが5類に分類されていようが関係なく、毎年、夏と冬に感染の大きな波が来ていた新型コロナだが、この冬は大きな波が来ていないらしい。
インフルエンザの流行は1月頭くらいでピークアウトしてその後に新型コロナの流行が来る、と言っていた専門家もいたが、インフルエンザは確かにピークアウトしたけれどもその後、新型コロナの感染が急拡大した、という話は聞かない。
しかし感染者が非常に少ないというわけではなく、山でも谷でもない、ちょっとした丘、程度の感染状況が続いているらしい。
大きな流行がないのは喜ばしいことなんだけれども、このままずーっと微妙な流行が続くというのも気味が悪い。
新型コロナが5類になった2024年5月から2024年4月の1年間の新型コロナによる死者は32,576人で、この人数は同時期のインフルエンザによる死者の約15倍だという。
しかも軽症で済んだ人も後遺症になる可能性があり、複数回感染すると後遺症になる確率は跳ね上がる。
そんな感染症が、山も谷もなくある程度のレベルでヌルッと流行し続けるっていうのはかなり怖いことだと思うのだが。

トランプ大統領について
ドナルド・トランプが再び大統領に選ばれた時に、トランプがどんなにメチャクチャでもアメリカ合衆国というシステムの中でやっていくしかないのだからそこまでメチャクチャなことにはならないんじゃないか、という楽観論を言っている人がいた。
一期目のトランプ政権では確かにそういう感じもあったけれど、今回トランプはそのシステム自体を壊しにかかっているように見える。
正直この四年間でどうなってしまうのか、ちょっと怖ろしい。

アメリカの大統領がバイデンからトランプに変わって、ロシアのプーチンとイスラエルのネタニエフはほくそ笑んでいるのだろうな、と思うと暗い気持ちになるが、他所の国のことだからどうしようもない。
こちらに出来ることと言えば、「言いにくいことをズバッと言ってくれるし、この人なら何かやってくれそうだ」みたいなぼんやりした期待だけで投票するのは止めようと心に留めておくことくらいだろうか。

映画のタイトルについて
「Brotherブラザー 富都(プドゥ)のふたり」(ジン・オング監督)という映画を観た。
マレーシアの映画を観るのは初めて。

すごく良かった、とまではいかなかったが、観て良かった、とは思った。
観光では見ることができないだろうクアラルンプールのスラム街の猥雑な風景やマレーシアが抱える社会問題など、興味深く見ることができた。
本筋ではないけれど、主人公とミャンマー人の少女との淡い恋の描写とか、なかなか良かった。
で、それは良いのだが、この映画、どうにも邦題が悪い。
原題は「富都青年」。
確かにこれだとよくわからない。
内容はクアラルンプールの富都(プドゥ)地区を舞台にした二人の青年(兄弟)の物語だから、
「Brotherブラザー 富都(プドゥ)のふたり」
という邦題はきちんと内容を表してはいる。
しかし「アルファベット/カタカナ/スペース(空白)/漢字/カッコ/カタカナ/カッコとじ/ひらがな」で構成されたこの邦題は、あまりにもごちゃごちゃとし過ぎではないだろうか。
これだと検索しづらいし、タイトルを口にしづらいし、SNSにも書き込みづらい。
しかも「Brother」だと北野武監督に同名の映画があるし。
特に今、ネットでの口コミはかなり重要になっているだろうから、もうちょっと検索しやすい/入力しやすいタイトル、というのを意識した方が良いんじゃないかと思う。

競馬場について

何処でもいいけれどもいわゆる娯楽施設に遊びに行った場合、「ああ楽しかったな」という気持ちで帰路につくのが普通だろう。
「なんか微妙だったな」ということもあるだろうが、それでもそんなに落ち込んだ気分で帰る、ということはあまりないだろうと思う。
しかし競馬場は別である。競馬場で過ごすうちにどんどん気分が落ち込んでいき、最終的には「もう何もかもおしまいだ」という気持ちになって肩を落として競馬場を後にする、ということがそれほど低くない確率で起こる。
(あるいは競輪場、競艇場、オートレース場も同じなのかもしれないが、自分は行ったことがないのでわからない)
ただしこれは一人で行った時に限ったことであって、誰かと連れ立って行った時にはそういうことは起こらない。
「ああ楽しかったね」という気持ちで帰ることができる。
やはり一人だと「賭け事」の部分に集中してしまうのだろう。負けを取り戻そうと熱くなり、本当に後悔するような金額を突っ込んでしまったりする。
しかしなんでああいう時って「次は必ず当たる」という確信に近い感覚を持ってしまうのか。今までの実績から言っても外れることの方が圧倒的に多いのはわかり切っているのに、その時だけは「必ず当たる」と思ってしまう。
誰かと一緒に行っているとそういう思い込みを外側から見ることができて「そんなわけないわな」という冷静な感覚を持てる、ということなのかもしれない。

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