映画「コンパートメントNo.6」の感想ではなく、
誰かと映画を観に行くなんてことはもう何年も無いけれども、以前は時々そういうこともあった。
別に誰かと一緒に映画を観るのが嫌だという訳ではないのだが、ちょっと困るのは、映画を観た後にたとえば食事に行ったとして、そこでさっき観た映画の感想を話さなければならない・・・まあ話さなければならない、ということもないけれども、自然とそういう話になるわけだ。
で、それが非常に苦手である。
まず、観終わってすぐに感想なんて出てこない。
もちろんつまらなかった映画なら、つまらなかった、で済むのだけれど、悪くなかった映画ほど、なんというか自分の中で三、四日寝かせないと、うまく言葉になってくれない。
観たすぐ後にあれはどうだったこれはどうだった、私はこう思った、みたいに言える人もいて、それはすごい才能だと思うのだが、わりとそういう人は多いのだろうか。
ともかく自分には無い才能である。
そういう相手の感想をふんふんと聞くのは全然かまわないのだけれど、そうすると当然こちらの感想も話すような流れになる。
で、本当なら三、四日寝かさないとまとまらない感想を無理してその場でまとめようとするのだが、そういう時にはどうしても紋切型の、型にはまった、どこかで聞いたような、良くある言い方に頼ってしまう。
本当に自分が感じたこととはちょっとずれてるような気がするな、なんてチラッと思いつつも、まあそんなに外れてもいないからいいか、って感じで言葉にしてしまう。
それの何が良くないかというと、そういう型にはまった言葉というのはけっこうなパワーがあって、一度言葉にしてしまうと「ちょっとずれてるような気がするな」という微妙な感覚が消えてしまって、もうそれが自分の「感想」になってしまう。
それがちょっと嫌だ、というか、何かもったいないような気がする。
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このあいだ、新宿シネマカリテで「コンパートメントNo.6」(ユホ・クオスマネン監督)を観た。
主人公はロシアに留学しているフィンランドの女性。どこにいてもどこかちょっと居心地の悪そうな顔をしている彼女が、世界の果てみたいな場所に(主に鉄道で)旅行する話が、列車の同じコンパートメントに乗り合わせたやや粗野な男との交流を軸に描かれる。
この映画も、ちょっとまだ自分の中でまとまらない。
書こうと思えば書けないことはないけれど、やはりちょっと型にはまった言葉になってしまいそうな気がする。
だからまだ無理にまとめないで、
不愛想だがどこか親切さの感じられる車掌さんの顔とか、
雪の積もった駅のホームで雪玉を作って放り投げては自分でパンチしたりキックしたりする男の、子供じみたアクションとか、
一緒に男の知人女性の家に車で向かう時の、夕闇の中遠ざかっていく車のテールランプとか、
食堂車で相席になった家族の子供達とか、
犬を追いかけてたどり着いたなにやら怪しげな場所で、危険なことが起こるのかと思いきや、何故か酒をくれるおじさん達とか、
列車の跳ね上げる雪に埋もれる自動車とか、
氷に閉ざされたような町のホテルの、案外暖かそうな部屋とか、
そういう幾つものシーンを、まだ少し自分の中に寝かしておきたい。
寝かしておいたあげく、まとめないうちに記憶が薄れて行ってしまうかもしれないが、それはそれでいいのではないか、と思う。
(見出し画像は映画とは関係ありません)