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ぽつぽつと拾い読みしている本のこと(その2)「マッカラーズ短篇集」

いつも手に取りやすいところに置いておいて、出かける時とかにカバンに入れて行き、ぽつぽつと拾い読み(再読)している文庫本の話、2冊目。

「マッカラーズ短篇集」(カーソン・マッカラーズ)ちくま文庫

カーソン・マッカラーズの名前は、前回書いたブコウスキーの「死をポケットに入れて」で初めて知った。
「死をポケットに入れて」の中で、ブコウスキーが自分の新しい詩集のタイトルがどうにも思いつかなくて悩む、というくだりがあって、そこにこんな一節があった。

わたしの頭の中にタイトルが浮かび上がる。『迷いから醒めた者への聖書』 いや、まるでよくない。わたしは幾つかの素晴らしいタイトルを思い出した。つまり、ほかの作家の作品のタイトルということだ。『森や石にひれ伏す』お粗末な作家の偉大なタイトル。『アンダーグラウンドからの便り』偉大な作家の偉大なタイトル。『心は孤独な旅人』もまたしかり。カーソン・マッカラーズ。とんでもなく過小評価されている作家だ。

チャールズ・ブコウスキー「死をポケットに入れて」

この一節を読んでから、カーソン・マッカラーズという作家の本を一度は読んでみたいものだ、と思ってはいたものの、そこまで本気で探そうとした訳ではなかったので、実際に手を取るのは随分遅れた。確か去年の終わりごろに買ったはずだからまだ1年くらいしか経っていない。
もっと前に本屋で、代表作と言われる「心は孤独な旅人」を見かけたことはあったのだが、その時はそれが村上春樹訳だったので躊躇してしまった。
村上春樹が翻訳した小説は、なんだったか忘れたが一度だけ読んだことがあって、その文章があまりに村上春樹っぽい文章だったので、これじゃ村上春樹の小説を読んでるみたいだな、と嫌になってしまったことがある。
たまたまその本だけがそういう文体だったのかもしれないが、それ以来村上春樹の翻訳には手を出さないようにしている。

さて、そんなわけで去年の年末頃、たまたま本屋でこの「マッカラーズ短篇集」を見つけて手に入れた。
期待に違わずかなり面白くて、
「手元に置いてぽつぽつと拾い読み(再読)している4~5冊の文庫本」
のラインナップに新しく加わった。

登場人物たちが皆、なかなかに癖が強くてすんなりと共感させてくれない作品が多いのだが、その、癖が強い、実際にいたらあまりお近づきになりたくないような登場人物たちの孤独や渇望が、読み進めていくうちに不思議と身に染みるようなところがあって、一読だけでは物足りず、ポツリポツリと読みかえしている。

× × × × × ×

カーソン・マッカラーズは1940年代から60年代にかけて活躍したアメリカの作家。1917年に生まれ1967年に亡くなっている。

「マッカラーズ短篇集」には8つの短編が収められているが、分量的には冒頭の「悲しき酒場の唄」が全体の半分くらいをしめていて、もう中編と言った方が良い長さ。長いこともあってこれが一番読みごたえがある。
やはり非常に癖の強い一人の女と二人の男の話で・・・うーん、上手く説明できないな。あんまり共感できない奇妙な人間関係が描かれ、「なんでそういうことになるんだ?」というようなことも多々あるのだが、読み終わってみると、何故か忘れがたい印象が残る。
上手く説明できないからこそ何度も読み直すのかもしれない。

まず第一に、愛とはふたりの人間の共同体験である――しかし、共同体験であるからといって、それが当事者のふたりにとって似たような体験であるとはかぎらない。愛する者があり、愛される者があるわけだが、このふたりは、いわば別の国の人間である。多くの場合、愛される者は、それまで長いあいだ愛する者の心のなかに、ひそかに蓄積されていた愛を爆発させる起爆剤にすぎないことがある。そして、なぜかすべての愛する人はこのことを知っている。愛する人は魂の奥底で、自分の愛が孤独なものであることを知っている。彼は、新しい、未知の孤独を知るようになり、これを知ることによって悩むのである。

カーソン・マッカラーズ「悲しき酒場の唄」

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