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路面電車幻想・「路面電車と新宿風景」

路面電車に郷愁を感じるのはどうしてだろう。

子供の頃に路面電車に乗った記憶は無い。
高校生くらいまで見たこともなかったのではないかと思う。
都電荒川線に初めて乗ったのは社会人になってからだった。

もっとも「郷愁」というのは
「過去のものや遠い昔などにひかれる気持ち」
だそうだから、自分が経験しているかどうかは関係ないのか。

東京の街角や人々の生活を写した古いフィルムを見るのが好きで、テレビとかで流れていると見入ってしまうのだが、そういえば昭和初期とか大正時代とか、自分の生まれるよりもずっと前の時代のものに一番興味を惹かれるようだ。
路面電車に感じる郷愁も、そんなものなのかもしれない。

新宿歴史博物館に所蔵資料展「路面電車と新宿風景」という展示を見に行った。

中央総武線の四谷で降りる。
良く乗る路線でなじみはあるし、中央線から丸の内線に乗り換えるのに使ったりはするのだが、この駅で降りるのは初めてかも知れない。
駅から出るとすぐ、外堀通りと新宿通りの交差点があって、どちらも大きな通りなので広々とした印象。
新宿通りを新宿方向へ。
7、8分歩くと右側に「四谷税務署/新宿歴史博物館→」という案内が。
右折して四谷税務署を通り過ぎ、5分も歩かないうちに新宿歴史博物館に到着。
平日ということもあってか入り口付近に人気が全くない。
受付で聞くと常設展は300円だが、「路面電車と新宿風景」だけなら無料とのこと。
せっかくだから常設展も観ることに。
展示は地下のみ、ということで地下に降りる。
まずは常設展。入り口の案内の人が「今日は中学生の見学が入ってまして」と教えてくれて、まいったな、と思うがまあ仕方がない。
路面電車の方がメインという気持ちがあるので常設展の方はサーっと見て歩く感じ。
もう少し丁寧に見てもよかったかな。
広くはないがけっこう凝った展示。

中学生たちもそれほど人数はいないしおとなしい。
それ以外の入場者は年配の男性が二人、だったと思う。

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(この路面電車は企画展ではなく常設展の方に展示してある・写真撮影はできるスポットが決まっていてそれ以外は不可・「路面電車と新宿風景」の方はすべて撮影不可だった)

常設展を出てとなりの「路面電車と新宿風景」に。

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展示室に入った時は、やはり中学生の集団がいてちょっと気が散ったが(もっと混んでいれば気にならないのだが、空いている分逆に気になってしまう)、少し経つといなくなった。
あとは年配の男性が一人。
それから黒いコートの若い男。
ぼく以外はその二人だけだったのでのんびりと見ることができた。

展示は3章に分かれている。
【第1章・東京の路面電車の歴史】
資料(地図や路面図など)と写真パネルで、東京の路面電車のはじまりから(都電荒川線を除いて)すべて廃線になるまでを見せる。

やはり大正時代とか昭和初期とかの写真にはなにか惹かれるものがある。
和服にカンカン帽の男たち。

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(これは後で買ったポストカード)

自分の少し先の方で展示を見ている黒いコートの男がなんとなく気になった。
あれはハーフコートというのかな、あまり丈の長くないコート。
二十代か、いっても三十代。
コートのポケットに手を入れている。
さっきの常設展示の方では見かけなかったな、と思う。
はっきりどこがどうとは言えないが、なにかちょっと変わった雰囲気があるように思えて、気になってちらちらと見ていたらその男がマスクをしていないことに気が付いた。
なんだ、それでなんか変な感じがしたのか。
最近はマスクをしていない人を見ると少しギョッとするようになってしまった。
まあでも、連れがいて大きな声で話をしているならともかく、一人で黙って見ている分にはマスクをしていなくても気にするほどではない。

でも受付でマスクをして下さいと言われるはずだがな・・・。

【第2章・路面電車と文学】
路面電車の描かれた文学の一節が紹介されている。
夏目漱石の「坊ちゃん」
林芙美子の「放浪記」
内田百閒の「東京焼盡」
などなど。
「坊ちゃん」の主人公は、四国でのごく短い教員生活を終えて東京に戻ると路面電車の会社に就職する。

―おれが東京へ着いて下宿へも行かず、革鞄を提げたまま、清や帰ったよと飛び込んだら、あら坊ちゃん、よくまあ、早く帰って着て下さったと涙をぽたぽたと落した。おれも余り嬉しかったから、もう田舎には行かない、東京で清とうちを持つんだと云った。
 その後ある人の周旋で街鉄の技手になった。月給は二十五円で、家賃は六円だ。                                                   (夏目漱石「坊ちゃん」より)

明治36年に
「東京電車鉄道」
「東京市街鉄道」
「東京電気鉄道」
の3社が路面電車を相次いて開通させた、ということだが、「坊ちゃん」に書かれた「街鉄」というのはこのうちの「東京市街鉄道」のことらしい。
しかしすぐにこの3社は合併して「東京鉄道株式会社」となり(明治39年)、さらに明治44年には市有化され「東京市電」となった、とのこと。
「坊ちゃん」の発表が明治39年だから、もうその年のうちに「街鉄」は無くなってしまったことになる。

【第3章・路面電車廃線の旅】
最後は新宿区内を走っていた路面電車の資料と写真を見せるコーナー。

いつの間にか黒いコートの男の姿は無くなっていて、もう一人の年配の男の方はもっとゆっくり見ているようでまだずっと後ろにいる。
だからこのコーナーは一人でじっくり見ることができた。
このコーナーの写真は、一部には大正時代のものもあったがほとんどは昭和30年代と40年代のもの。

最初に書いたように興味を惹かれることが多いのは大正から昭和初期にかけての頃なので、昭和30年代40年代となると最近過ぎてちょっとどうかな、と思ったが、この時期はまた別の意味で興味深かった。

まず、なじみのある新宿の光景というのが良い。
「テアトル新宿」
「新宿ピカデリー」
「新宿東急」
「早稲田松竹」
映画館の看板も楽しい。

そしてこの時代は自分の生まれた年を含む時代である。
戦前の光景とは違い、その頃の空気も、なんとなく肌でわかるような気がする。

戦前の光景から感じる郷愁は、どこか憧れを含んでいる。
それが自分のいる場所の過去の光景であることは確かなのだが、あまりに遠すぎて全然別の世界を見ているような気もする。そこに憧憬が生じる。
しかし自分の生まれた頃の光景に対する感情は、もっと単純な懐かしさだ。

写真パネルを1枚1枚じっくり見ていった。
今より少しほこりっぽい街角。
そこに写る人々は、今より生命力にあふれているように感じられる
自転車に乗っている男。
街の中を走っていく子供。

ある写真に写っている男が目にとまった。
写真の手前側を横切るように歩いている黒いコートの若い男。
なにか見覚えがあるような気がした。
あれはハーフコートというのかな、あまり丈の長くないコート。
二十代か、いっても三十代。
コートのポケットに手を入れている。
もちろんマスクは付けていない。
写真の中では誰もマスクなんか付けていない。
街のざわめきが聞こえた。
車の走る音、誰かが誰かをを呼ぶ声。
一歩足を踏み出せば、その風景の中に入れるような気がした。

そっちに行かせてくれよ。
もうこっちは嫌なんだ。

一瞬うまくいくような気がした。

でも駄目だった。
「ここではないどこか」へ行く方法などないのだ。

懐かしい気持ちがこみ上げてきて胸が苦しくなったが、その感情の逃し方がわからなかった。

仕方がない。
帰ることにしよう。
別に何でもないような顔をして、ポストカードを何枚か買って、新宿歴史博物館を後にした。

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