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一人雑談・思い出に残るライブのことなど(その3)

さてそれで、印象に残っているライブの第3位は、日比谷野音のRCサクセション。
1986年か1987年だと思う。
これもどっちかわからない。

一番ライブに通ったバンドは間違いなくRCだったな。
武道館、日比谷野音、渋谷公会堂、あと札幌に住んでいた頃は札幌厚生年金会館とか道新ホールとか。
わざわざ大宮まで行ったこともあったな、大宮市民会館だったか。
時期的には1986年から1990年くらい。
RCサクセションの日比谷野音っていうと1981年のやつが「伝説」ってことになっているみたいだけど、前にも言ったけど、ぼくが初めてライブっていうものに行ったのが1983年だからこれには行けていない。
1981年のライブは、バンドがブレイクしていく時期のエネルギーに満ちたライブで、それで伝説になったんだと思うんだけど、1986年ごろあたりはバンドの円熟期って感じかな。
1986年から何年か続けて夏の日比谷野音でライブをやって、これにはけっこう通った。その中の1回、まあ、悪かった時は無いけど、1回その中でも特別に良かった日があった。

夏の野音ってのはいいよね。
5時とか6時とかに開演してもまだ明るくて、セミが鳴いていて、演奏が続くうちにだんだん暗くなって照明がついて・・・あの雰囲気は他ではなかなか無い。
後ろの方にトイレがあって、後ろのスペースでたしかビールとか売ってたんじゃなかったかな。
トイレに行って、しばらく席に戻らずに後ろのスペースに立って、ビールを飲みながら聴いたりした。
あの時のライブは何か特別な感じだった。
ぼくはだいたいライブが終わると早々に帰りたい方なんだけど・・・まあ、友達と一緒に行ってる場合は別として・・・でも、この日はちょっと立ち去りがたい気持ちになった。
良いライブって、終わった後の熱、というか、気持ちの高ぶり、というか、そういうもので計れる気がする。
ああ、でも実験的な音楽とかだとちょっと違うかな。
だけどやっぱり印象に残るのはそういうものなんじゃないかな。

ただ、逆の意味で印象に残ったライブがある。
終わった後にまったく熱が残らなかったライブ
1990年、武道館のRCサクセション。
RCは12月25日に武道館でライブをやるのが恒例で、1981年から10年間続けた。
ぼくは確か後半の4回か5回くらいは行ったかな。
1990年はその武道館公演の最後の年。
翌年の1月にRCは無期限活動停止になったんだけど、このライブの時にそれが決まっていたのかどうかは思い出せない。
別に内容がつまらないわけではなかったと思う。
客席もそれなりに盛り上がっていたはず。
でも、ライブが終わって、武道館から出てきたときに、すーっと気持ちが冷めていってしまうのを感じた。
バンドが終わる時っていうのはああいう感じなのかもしれないな。

こうやって色々思い出していくと今まですっかり忘れていたライブもどんどん思い出してくるな。

札幌の、名前の思い出せないライブハウスで観たザ・ロケッツ・・・シーナ&ザ・ロケッツのシーナが産休中で、シーナ抜きの3人編成でやったライブ。
もちろんシーナ&ザ・ロケッツも何回か観た。

新宿シアターアプルで観たルースターズ。
ボーカルの大江慎也が抜ける直前のライブで、大江の挙動不審ぶりが印象的だった。

前にアトミックカフェフェスティバルでブルーハーツを観た話をnoteで書いたけど、アトミックカフェフェスティバルはそれ以外にも2回くらい行ったと思う。
後楽園ホールで観たような気がする。
海外のアーティストも来ていた。
ハネムーンキラーズとか憶えている。

インクスティック芝浦で観たじゃがたら
あれはじゃがたらのワンマンだったか、それとも「東京ソイソース」だったか。
その時かどうか忘れたけど、ミュートビートはどこかで観たな。
S-ken&ホットボンボンズも。

RCが解散する前の清志郎のソロ、ザ・ブロックヘッズと演ったライブ(中野サンプラザ)。
RCが解散した後の清志郎のソロ、ブッカーT&ザ・MG’sと演ったライブ(日本武道館)。
RCが解散した後、清志郎とチャボがやったライブ(日比谷野音)。

清志郎が死んでからもう10年以上になるのか・・・。

清志郎
シーナ&ザ・ロケッツのシーナ
じゃがたらの江戸アケミ
ルー・リード
デヴィッド・ボウイ
ラモーンズなんか全員・・・
イアン・デューリー
ブロックヘッズのチャーリー・チャールズ
そしてチャーリー・ワッツ

みんな死んでしまった。

まあ、30年前とかの話をしてるんだから、年齢的に亡くなっても仕方ないのかな、という人もいるけどさ。

でもなんか寂しいね。

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