うつろ♦メンタルエッセイスト

精神障害当事者のエッセイ。 自分の経験をもとに、厳しい現実にも優しい視点を提供。

うつろ♦メンタルエッセイスト

精神障害当事者のエッセイ。 自分の経験をもとに、厳しい現実にも優しい視点を提供。

最近の記事

躁鬱の狭間

季節の変わり目はわたしと同じように不安定だ。夏と秋の境目。暑さと寒さが交互にやってきて、わたしの脳髄も同じように揺れている。 鏡に映る自分を見て、わたしは自分の価値を見ているような気がする。 躁の波が来ると突然何かをしたくなる。使い捨てのシーシャを買って吹き上げる。白くて甘い煙にわたしの渦を詰め込んで。煙が消えていく様を見ながら、こんな風に悩みも消えてくれたらいいのと思う。 鬱の波が押し寄せると、ベッドから起き上がる気力もなくなる。カーテンを閉め切って世界を遮断する。夏の

    • 眠れない脳をどう鎮める?

      脳の興奮が眠りを妨げる私は躁鬱病と睡眠障害を診断されている。 例えば夜、趣味に熱中している時、脳が交感神経優位…いわゆる興奮状態となり、就寝時間にベッドに入っても「眠りのモード」に切り替えられない。こういった人は少なくないだろう。 前述の通り私は躁鬱病のため、脳の興奮は躁状態に繋がる。なので、どれだけ強い眠剤を飲んでも、こうした状況に直面すると眠れなくなってしまうのだ。 これは、「ツァイガルニク効果」の概念とも関連している。やりたいことや課題が中途半端に残っていると、脳はそれ

      • 障害者施設の闇☠💣搾取・福祉支援不足・不快な環境…

        1. 初めに: B型事業所のエンタメ業界参入の現実近年、就労継続支援B型事業所(※)がエンターテインメントやクリエイティブ分野に参入する動きが増えている。この背景には、障害者の就労機会を増やすという目標がある一方で、事業の成り立ちや運営における問題も浮き彫りになっている。 特に技術的な面に偏りがちで、福祉面のサポートが不足しているという事業所は当事者や福祉関係者から耳が痛くなるほど聞く話であり、実際に私もそれは体感した。 (※障害者に軽作業等の生産活動をさせ、就労訓練を行う施

        • 発達障害×低IQ=生きる地獄💀才能を持つ者だけが這い上がれる厳しい現実

          発達障害とIQの現実 発達障害を抱える人々の中には、才能を発揮して成功している人がいる一方で、日々の生活に困難を抱えている人も多く存在する。その違いの一因として、IQ(知能指数)の影響が大きいと考えられる。発達障害でありながらも、IQが高ければ能力を発揮できる可能性はあるが、IQが低い場合には、社会で生き抜くこと自体が非常に厳しい現実となる。 発達障害でIQが高い人の成功例発達障害を持ちながらも高いIQを持つ人々は、特定の分野で才能を発揮することがあり、アーティストやエンジ

          自己犠牲と自己愛のパラドックス

          自己犠牲的な行動はしばしば美徳として称賛される。家族のため、友人のため、社会のため。しかし、その裏で「自己愛」――自分を大切にするという行為――が欠如していると、心は疲弊し、やがて壊れてしまう。この二つの価値観は、どちらか一方を選ぶべきものなのか?それとも両立することが可能なのだろうか。 自己犠牲の美徳誰かのために行動し、他者に尽くすことは、社会の安定や家族の絆を保つために重要だとされる。この考え方は、多くの文化や宗教でも根付いている。たとえば、日本の文化では「他人に迷惑を

          自己犠牲と自己愛のパラドックス

          自閉症グレーゾーンにおける適応戦略の限界

          私は自閉症グレーゾーンの当事者であり、スクリーニング検査で「自閉症の可能性が高い」という結果が出た。今後WAIS検査で確定診断が下される予定だが、親が自閉症であり、自分も遺伝的要素を抱えている可能性が高いと感じている。発達障害が遺伝するという説はさまざまあるが、私自身の体験がその説を裏付けるように思える。 外出の苦労私が抱える問題の中の1つは、自閉症によく見られる感覚過敏だ。「外出=戦闘に出かける」となり、外界の刺激が一つひとつ過剰に反応する。視覚、聴覚、触覚のすべてが過剰

          自閉症グレーゾーンにおける適応戦略の限界

          オーバードーズとの向き合い方

          私とOD私の周囲には精神的に病んでいる人が多く、日常的に市販薬を100錠、300錠と過剰摂取している人たちを目にしてきたため、ODは学生時代から私の日常に溶け込んでいた。 とはいえ私がするODは、10〜20錠と、軽いものである。これは「プチOD」と読ばれ、自分でも「プチOD」と読んでいた。 私が「プチOD」しかしないのは、ODで救急搬送されると、とても苦しい「胃洗浄」が待っているからだ。通常は麻酔などで眠らせて行うものだが、「二度とODをやらないように」と医者がわざと苦し

          オーバードーズとの向き合い方

          苦痛の中での幸せとは?ー幸福の逆説

          「幸福」という言葉を当然のように使い、その意味をあまり考えないことが多い。幸福とは心地よい感情であり、満足や喜び、安心を感じるものだと思いがちだ。しかし、精神障害を持つ私にとって、「幸福」という概念は、単なる感情以上の、もっと複雑なものとして感じられる。 障害者にとって「幸福」は遠い存在に思える。一般的に語られる幸福は、安定した生活や成功、心の平穏といったものに結びつく。しかしそのような定義は、障害と共に生きている自分にとっては意味を持たないことが多い。 障害は私に生の根

          苦痛の中での幸せとは?ー幸福の逆説

          訪問看護をカウンセリングとして活用する

          精神的なサポートが必要な時、まず思い浮かぶのはカウンセリングかもしれない。しかしカウンセリングは保険が適用されないことが多く、長期的に受けると金銭的負担が大きくなる。精神障害・疾患を抱える人にとって、こうした費用面の問題は大きな壁だ。 そこで、私が活用しているのが「訪問看護」だ。訪問看護はカウンセリングの代替としても使えるサービスなのだ。 コストを抑えられるカウンセリングと違い、精神障害者は訪問看護は保険が適用されるため、非常に経済的だ。 カウンセリングは大抵自費診療で1時

          訪問看護をカウンセリングとして活用する

          疲れやすさの原因と向き合う

          疲れやすい。日常の些細な音や光、その情報量に圧倒され、すぐにエネルギーが尽きてしまう。私は障害者で、脳のワーキングメモリの数値が低い。更に感覚過敏を持っていて、それらの影響で疲れやすい体質だ。理解しがたい人もいるかもしれないが、私にとっては日常の一部だ。 感覚過敏と疲労の関係私は音や光、触覚などの刺激に対して過剰に反応してしまう。例えば、美容院で、ほんの小さな音量で柔らかいBGMが流れているとする。他の人には心地よいかもしれないが、私にとってはその音一つ一つが不快で、頭が爆

          疲れやすさの原因と向き合う

          精神障害者の視点からSDGsを考える

          私は精神障害者だ。SDGsの中でも、精神障害者にとって特に重要なのは「健康と福祉の促進」や「不平等の是正」。しかし精神障害を抱える当事者が実際に何か行動を起こすのは簡単ではない。私は治療に精一杯で他人のことを考える余裕を持てない時期もある。 精神障害者向けのオンラインコミュニティの運営障害者になる可能性は誰にでもある。障害者になった時、どこで支援を受けるか、どのように助けを求めるか?まずネットで検索するだろう。しかし、実は障害福祉に関する情報は実際に役場に足を運んで聞かない

          精神障害者の視点からSDGsを考える

          不安定な時代に生きるということ

          現代はまさに不安定な時代だと思う。経済は揺れ動き、戦争、気候変動、天災など、未来はますます予測不可能になり、この状況下で「安心」や「安定」を求めること自体が贅沢になってしまったのかもしれない。 安定は幻想?振り返ってみると、漠然と「安定した生活」というものが存在すると信じ込んでいる。良い学校に行き、良い仕事に就き、家庭を築けば、そこには安定があるという夢。今の時代、その夢はあまりにも脆いものだということがはっきりとしている。何か一つの要素が崩れるだけで、人生全体が揺らぐ。リ

          不安定な時代に生きるということ

          デジタルデトックスというプレッシャー

          デジタルデトックスという言葉が流行り出したのは、いつからなのか。スマホなしでは生活できない時代、テクノロジーから離れる時間を作ることが「自己ケア」の一部として提案されるようになった。しかし、そのデジタルデトックス自体が、新たなプレッシャーとなっているのを感じたことはないだろうか。 デジタルデトックスの矛盾一見すると「ネットから離れること」は素晴らしいアイディアに思える。集中力が増し、睡眠の質が向上し、精神的な健康も取り戻せる。そんなポジティブな影響が並び立つと、まるでそれを

          デジタルデトックスというプレッシャー

          「何もできない日」と向き合う

          うつが酷く不登校でひきこもっていた思春期は、「自分は何のために生きているのか?」という問いに押しつぶされそうになっていた。そんな思春期の私に向けて。 「やる気が出ない」なんて当たり前社会は「やる気」や「頑張り」を美徳として押し付けてくる。現実はそう単純じゃない。SNSでよく見る「今日も頑張ろう」とか「前向きに生きよう」なんて言葉は、時には何の役にも立たない。むしろあのキラキラしたポストが見えないプレッシャーになることだってある。 「自分次第」といった自己責任論がはびこって

          「何もできない日」と向き合う