Two little fishes
この記事を読んで、一つnoteを書きたいなと思ったんだ。
なんていうのかな、私情も結構挟んでいるのでどうしようもない話になるかもしれない。酒も飲んでるし。(と言い訳しておくけれど)
コロナ禍にあって、商業的なことが止まってしまっているのは言わずもがな、個人的なイメージとしては交友関係とか男女関係のようなものも分断されているような気がするんだ。と言ってもまあ、それを差し引いても付き合いを続けたりってことはあるんだろうけれど。
だけれど、僕らにとって本質的に必要なものは変わっていないし、それが方法や形態によって変わってしまうってことはないはずなんだよね。TOSHI-LOWとか細美さんの言葉を借りてしまえばそんなことで終わってしまう関係性なんてそこまでなんだよね。そうなんだよ、それはとてもそう。
抽象的な言い方になりすぎちゃうけれど、つまり、友情とか恋愛ってものはそういう環境に依存するものじゃないっていうのは自分の中では本質的にあってさ。だから、コロナ禍だろうと遠距離だろうとそういうのは関係ないはずなんだよね。ないはずなんだけれどその一方で、この状況で終わってしまいそうな事だとか、消えてしまいそうなものもたくさんあって。そこをどうするかって考えなきゃいけないなと思うのもまた事実。蓋然性ってのは蓋って書く通り、蓋の外と中とどちらにも事実があるわけなんだよね。
そうやって突き詰めていくとやはり、細美さんが言っているように結局は自分自身に帰ってくる。お前はどうなの?っていうところを一番自分と向き合わなきゃいけなくなる。逆にさ、他人が何をどうしようと、「君の正義はそれなんだね。」ってことでいいと思うんだよ。人間関係がどうも表層的になると、こういうところの同意を超えて他所の庭に入って荒らしまくる人が多い気がしている。ストレスかかってるからって人ん地荒らす大義名分にはならないと思うけどね。
だれにも干渉されない島に逃げたいなあ。音楽と酒と愉快な人間しかいない島に。