自分であれますように…
11月1日、おついたち参りに行きました。
これまで1年以上毎月続けていたことだったのに、9月に引っ越して来た時に新居近くの神社にご挨拶に行ったきり、10月1日はなぜか行けませんでした。
行けなかった、ではなく、行かなかった、ですね。
以前にも、どうして私がおついたち参りを大切にしているかについては記事にしたことがありますが、
何も考えずに神様の前に立ち、手を合わせ、目をつぶり、そこで何が浮かんでくるのかを知りたいのです。
そう思うと、10月の私は、私自身を分かりたくなかったのかもしれません。
分かったとて、受け止める自信が無かったのかな。
心身の調子を崩してから早7ヶ月。
必要な時間を過ごしていることはわかっています。
少しずつ出来ることも増え、調子としては一歩進んで二歩下がっているように思えることも多いけれど、それすらも大事な変化であり進化なんだと思います。
ありのままの自分で、好きなことだけして生きていきたいと願ったら、それがそのまんま叶っている状態がまさに今なのですが、
優しく、あたたかく、平和な世界に居続けたら、自分に無理をさせない選択をし続けていたら、どんどん世界が狭くなっていく感覚に襲われ、怖くなってきました。
そして何より、飽きました。
元気に、いろんなところに行きたいし、いろんな人に会いたいし、楽しい時間を増やしたい!
それが叶えられない自分が悔しくて、むかついてきました。
おーーー、これはいかんいかん。
昨日、11月1日のおついたち参りで頭に浮かんできたものは「誰といても、どこにいても、自分であれますように」でした。
と同時に、頭のてっぺんから足まで、スッと一本の澄んだ筋が通ったのを感じました。
自分でありたいんだな、と。
自分を見失ってるんだな、と。
感覚で生きてるつもりだったけど、いつのまにか思考で生きていた自分に気づきました。
もっと、身の回りのあらゆるきらめきを大切にしよう。
夕日がビルを染めて綺麗だなとか、さっき淹れたコーヒーがいい香りだなとか、布団はやっぱり気持ちいいなとか、新しく買ったキャンドルがかわいいなとか、そういう日常に散りばめられた、五感で感じるものを、もっともっと大切にしていこうと思います。
それらの小さな感動の集合が、私だから。
どうありたいか、そんなことを考え、望み、実行しようと思えるところまでやって来れたということです。
ゆっくりと、でも着実に、私は私の人生をちゃんと進んでる。
そこにご一緒してくださっている皆様、ありがとうございます。
優しくて、繊細で、あたたかい人ばかり。
ヘッダーの写真は、先日友人が引っ越し祝いに特大の花束を贈ってくれた時のものですが、その写真をTwitterにあげたら、それを見たまた別の友人が連絡をくれました。
「優さん、ますます輝きを増しましたね。やさしく穏やかな強さが瞳の奥でキラキラしているようにみえました!」と。
正直、個人的には、あれこれにがんじがらめになって苦しかった時期だったので、それでも私の中では優しさや強さがちゃんと輝いてるんだ…!と驚いたと同時に、泣きたいくらい、本当に嬉しく安心したのです。
信じてあげよう。
私の中の強さを。輝きを。
そう思えました。
とりとめもなくここまで書いてきてしまいましたが、11月、素敵な月になります!ということを表明します!