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ドラマ『silent』の感想を、静かに

本文は存分にネタバレを含みますので許容される方のみご覧ください。

1. 徹頭徹尾コミュニケーション

さて、言わずもがなだと思いますが、ドラマ『silent』では徹頭徹尾コミュニケーションをテーマにしています。

恋愛模様に彩られた群像劇だったり、障がいと向き合って生きることだったり、もちろんそういうカテゴリに属するお話だとは思いますが、とはいえやはりコミュニケーションを真摯に扱っているという点が勘所ですので、そうした観点から今回は書いていこうと思います。

2. 鮮烈な雪の白さ、息を呑むような静けさ、騒がしいふたり

2022年10月6日にフジテレビ系「木曜劇場」枠で始まった本ドラマ。
あの鮮烈な1話を覚えているでしょうか?

もちろん、かの有名な『ロングバケーション』や『池袋ウエストゲートパーク』みたいな、花嫁が街中をダッシュしていたりカラーギャングが池袋を跋扈していたりする演出とはまた一味違った鮮烈さです。

冒頭の鮮烈な雪の白さ、息を呑むような静けさ。
そこで戯れる高校生の男女。
佐倉想と青羽紬。

佐倉想「静かだね」
青羽紬「雪だね」
佐倉想「雪だね」
・・・・・・
青羽紬「しーっ。……静かだねえ。雪降ると静かだよね。ね、静かだよね」
佐倉想「うるさい。青羽の声、うるさい」
青羽紬「佐倉くん、静かだねー」
佐倉想「うるさい。しーっ」

まるで雪の静けさがふたりのためにあるかのように、声はたのしく賑やかに響きます。
この静けさと騒がしさの対比、外気の寒さとふたりの暖かさの対比、そして、こんこんと積もる雪がふたりの想いの結晶のようで、なんとも美しいコントラストを描いています。

そしてすぐ次にやってくる、雨を眺める男女のシーン。
現代の紬と、その彼氏である戸川湊斗が窓際のベッドから外を見つめています。
紬は窓外を鬱陶しそうに見つめながら「うるさい」と一言だけ。

雪と雨。
静けさと騒がしさ。
積もるものと積もらないもの。

ここでは冒頭のシーンのふたりとは好対照になっていて、周囲が騒がしくてふたりは静かです。
こういう対比がシーンの美しさを際やかにしています。

3. メタフォリカルなTシャツ

さらに、ここで紬はイルカの描かれたTシャツを着ています。

多彩な音で仲間や家族と頻繁にコミュニケーションを行うイルカが、まさにそうした音を伴う言葉、つまりいわゆる発話によるコミュニケーションを紬が好んでいることを示唆しているようにも読み取れます。

ドラマ全体を通して、紬が着ているTシャツは音楽関連のものが多いのですが、基本的には彼女が音楽好きであること、つまり音でのコミュニケーションを大切にしていることを暗示している気がします。

実際、直接の対話でも電話でも声を聞くのが好きと明言しています。
まあこれは言葉を発話することでコミュニケーションをする人にとっては特段珍しいことではないかもしれませんが。

4. おうむ返しは想いの輪郭をなぞる

さらに、もう一度冒頭の場面を振り返ってみると、ふたりのやりとりがまるで回文のように奇妙なものだと気づきます。
このドラマ内で紬と想がやりとりするとき、おうむ返しがとても多いのです。

佐倉想「静かだね」
青羽紬「雪だね」
佐倉想「雪だね」
・・・・・・
青羽紬「しーっ。……静かだねえ。雪降ると静かだよね。ね、静かだよね」
佐倉想「うるさい。青羽の声、うるさい」
青羽紬「佐倉くん、静かだねー」
佐倉想「うるさい。しーっ」

さらに別のシーン。
高校の卒業式の後、帰宅しようとする想を紬が呼び止める。

青羽紬「佐倉くん。電話、するね」
佐倉想「電話するね」

電話をしようという提案とそれに応じるだけのこのやりとりが、このおうむ返しが、心地よくじんわりあたたかい。

おうむ返しは一般的には良くない行為として扱われることが多いですが、このドラマでは違います。
観ているこちらが気恥ずかしくなるような、淡く細やかな情感を丁寧に掬い取るセンシティブな行為として描かれます。

相手の言葉を反復、反芻することで、その背景にある想いの輪郭をなぞっているような風情があるのです。

このおうむ返しの多用こそ、コミュニケーションを大切にするスタンスだと感じました。
相手の話に応じるとき「うん」「はい」「そうだね」と相槌を打てばよいはずのところ、あえておうむ返しをして、その言葉の内奥にまでたどり着こうとする真摯なスタンス。

逆に言えば、言葉では決して想いにまでたどり着けないと知ってしまっているからこそ、必死に、全力で、相手のことをよく見て、発された言葉を反芻して、なんとかかんとかどうにかこうにか想いの輪郭をなぞりたいという、とても優しく謙虚なスタンス。

このドラマにシンプルな相槌が少ない理由、おうむ返しが多い理由はまさに、想いを伝えることと言葉を紡ぐことのあわいのどうしようもない隔絶を健気に埋めようとする登場人物たちのスタンスの体現ではないでしょうか。

そこに聴者と聾者という差異はなく、想いと言葉のあわいでもがく誠実な人間ドラマがあるのです。

5. コミュニケーションのグラデーション

このドラマでは大きく3つのコミュニケーションが描かれます。
ドラマ内に限らず、私たちの生活においてもおおむね当てはまるかもしれません。

  • 音でのコミュニケーション

  • 身体でのコミュニケーション

  • 物質でのコミュニケーション

上段に当てはまるのはいわゆる聴者同士の会話です。
紬は1話でよく声が好きという話をしますが、まさにその声でのやりとりですね。

中段は手話であったり、ボディタッチであったり、発話された言葉を使わずにいわゆるボディランゲージでなされるコミュニケーションです。

下段はコミュニケーションとしては上級で、たとえばプレゼントを渡すことで想いを伝える行為。

特に1話でお互いにクリスマスプレゼントの交換をしたら偶然同じイヤホンの色違いだったことや、最終話で同じ花を交換するところなどは象徴的かつ好対照で、また、物質的なコミュニケーションにおける互いの想いの質や量が同等であることをも表しているように思います。

桃野奈々が想と会うときにいつもわざとリュックのチャックをすこし開けて、おっちょこちょいを演じるところも物質的なコミュニケーションと言えるでしょう。

さらに敷衍すると、剣の達人同士が互いの剣を交えるだけで成立するコミュニケーションだとか、老夫婦が言葉を交わさずに同じ事象や物質を見て同じ想いに至るときだとか、そうした単なる言葉を超えたコミュニケーションは、達観し熟練し互いに深く理解し合える者同士に許された極上のコミュニケーションではないでしょうか。

言わずもがな、3つのコミュニケーションは、段階的に静かになっていきます。
音としての言葉は減っていき、静かに、サイレントになっているのに、コミュニケーションは見事に成立し、ともすると言葉では到達し得ないところまで想いが深く伝わっていきます。

最終話、高校生の紬と想、黒板の前。
想が紬の耳もとでささやく。
その言葉はもはや音として私たちに伝わってこない。

サイレントなささやきの妙が心に染みる、このシーンは当ドラマ切っての名場面です。

青羽紬と佐倉想、ふたりの想いは言葉を超えて通じ合っているよね。
このドラマの制作者と視聴者の想いは言葉を超えて通じ合っているよね。

という、極上のコミュニケーションが叶った瞬間のように思います。

6. 細部に宿るのは

ところで、当ドラマはディテールだってすばらしい。

高校生の想が壇上で発表している「言葉」という文章。
想と再会したときに紬が着ていたTシャツに描かれた「ちびくろサンボ」を由来とするアメリカのレストランチェーン「Sambo’s RESTAURANTS」。
スピッツの歌詞カード。
想がよく読んでいる峯澤典子さんの「微熱期」という詩集。
奈々を起点とする花のおすそわけのサーキュレーション。
黒板に書かれた崇徳院と小野小町の和歌「瀬を早み岩にせかるる滝川のわれても末に逢はむとぞ思ふ」と「花の色は移りにけりないたづらにわが身世にふるながめせし間に」。

挙げればキリがないのですが、とにかくディテールがすばらしい。
想いと言葉の関係、コミュニケーションと真摯に向き合うということを、陰に陽に物語っている気がします。

思えばコミュニケーションというものは、私たちが隣人や友人、恋人や家族と日々行っている営みだからこそ、その単純さや複雑さ、心地よさや煩わしさが、清々しいほど切なく胸に迫ってくるのではないでしょうか。

7. 雪溶けのあとに

最後に、当ドラマ主題歌の歌詞を引きます。

言葉はまるで雪の結晶 君にプレゼントしたくても
夢中になればなるほどに 形は崩れ落ちて溶けていって 消えてしまうけど
でも僕が選ぶ言葉が そこに託された想いが
君の胸を震わすのを 諦められない 愛してるよりも愛が届くまで
もう少しだけ待ってて

Official髭男dism『Subtitle』

私たちは一生懸命、不器用ながらもいろいろな方法で想いを伝えようとするけれどなかなかうまくいかなくて、それでもやっぱりコミュニケーションを、愛を、諦めきれなくて、積もっていく雪のような想いを、溶けていく雪のような言葉を、静かに大切に渡し合って、そしていつか溶けたあとに残っているなにかが綺麗だと気付けたら……。

そういうことを静かに想っています。


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