ドキュメンタリー『私のはなし 部落のはなし』
満若勇咲『私のはなし 部落のはなし』(2022、日本 、205分)
3時間半近い、力作のドキュメンタリー(途中で休憩が入る)。
それでも、じっくり解明していくとなると、少なくともこのぐらいの時間はかかるものだなと思う。
なおかつ、これでも個別の具体例を掘り下げるよりかは、通史的な見せ方を優先させた部分もあるのだろう。
部落、と聞いて何を思い浮かべるだろうか。
自分の場合、かなり幼い頃に親が少し触れていたかな…、という程度の認識で今に至っている。
そのときは小さすぎて、まだ「部落」という漢字を当てはめられないほどだった。
今から150年以上前に廃止されている身分制度。
法や制度においては、とうの昔になくなったはずのもの。
それでも今なお、嫌な言い方になるが人々の心の中には差別が厳然と残っている。
腰を据えて話を聞けば、「部落差別」は作り話であり、差別する根拠は極めて薄いか、あるいは全くない。
歴史のどこから、なぜそれが始まったのか、そしてどのように呼称なども変わっていったのか。
一から丁寧に学べるし、現在も裁判が続く事例も取り扱われる。
双方の当事者たちに直接話を聴いていることで、より多角的に問題を捉えることができる。
私としては、その言動がどういった影響を及ぼす可能性があるのか、そういった想像力があれば、場所や個人情報を晒すようなことは決してしないだろう、とだけ言っておく。
この映画の肝となるのは、部落出身者たちが吐露する本心だ。
就職や結婚差別がはっきりとあった時代。
仲の良い友人や恋人にも打ち明けようか逡巡する日々。
忘れたり受け流そうともすれば、自分のルーツを受け入れ周りに理解してもらおうと決意もする。
しかし、これほど若い人たちが、なぜここまで抱え込まなければならないのだろうか。
彼、彼女たちの人生に、一体何を背負わせているのか。
その差別には、何の根拠もないのに。
その不条理さが、さらに苦しみを増しているようにも思う。
いつの時代も人間は不完全なもので、いま実現できていないからこそ平等も叫ばれると思うのだが、部落差別については、きっちりと学び知ることで解消できるのではないかと思う。
監督は以前、屠場に取材した作品を劇場公開の直前で取り止めにせざるを得なかったという。
その経緯が映画内でも語られるのだが、その挫折から、根底にある問題をもっと掘り下げようとし、結実したのが今作だ。
その意味でも、渾身の一作と言える。
いつの頃からか延々と考えていることの一つに、差別はどこから来るのか、というのがある。
この映画を観た後も、そのことをずっと考え続けている。