3月第2週に観た映画
本来であれば一本ずつ丁寧に感想を書いていきたいのですが、明日以降また数々の作品が控えており、どうしても時間が工面できず。
観た直後にバーっと思ったことを紙に書き出す作業は必ずしているのですが、人様に読ませるよう整頓するのが遅く、簡単な鑑賞メモのつもりでも上映時間より長くかかってしまうこともしばしば。
あらすじは思い切って省略しますが、同時にネタバレもありません。私から見て、特に印象に残った箇所を記すのみにします。
先延ばしにして、結局そのまま何も投稿しないよりかは幾分ましだろう、と同じ言い訳を用意しつつ、荒削りですがまとめて記録を残しておきます。
観た順に、
『コーダ あいのうた』
『ゴヤの名画と優しい泥棒』
『ムクウェゲ「女性にとって世界最悪の場所」で闘う医師』
『空に聞く』
『ブルーノート・ストーリー』
の5本です。
シアン・ヘダー『コーダ あいのうた / Coda』(2021、アメリカ / フランス / カナダ、112分)
このところ厳しい内容のドキュメンタリーが続いたので、一服したい気にもなり、予告編ですでに感動した本作に差し替え。
これは好きになれた作品だし、広く愛されるだろう上手な作りだった。
リメイクで、元の作品は観ていないけれど、家族の中で自分だけが健聴者で、しかも音楽好きという、主人公の置かれている状況も含め脚本が巧い。
特にそう感じたのは以下の二点。
才能を見出してくれた音楽の先生に「歌っているとき、どんな気持ちだ?」と聞かれ、言葉ではなく手話で応えるところ。彼女にとって、より本心を表現できる言語はそちらだったことが窺える。
さらに、その場面は字幕がつかずこちらも意味は取れないので、手話を知らない先生と同じ視点で見ることになる。分からないけど、伝わる。その本質的なことを、このように表すのだな、と感じ入った。
そのように他の人の立場から描くことで、より物語がふくよかになったシーンがもう一つ。
歌の発表会で、耳が聞こえない家族が3人とも見に来てくれた。映画の鍵ともなる一曲で、純朴な恋愛も絡めた、いわば見せ場でもあるはず。そこを敢えて父が見ている、聴いている風景として映し出す。
よって音は一切ない。だが、聴き入る人々の表情や反応を見て、娘の才能を信じ始めるきっかけとなる。
障害があるからといって、我々と全く同じようにケンカもするしナニもする。特別扱いしない描き方が良いし、全体のコメディ調も功を奏している。
主に1960年代半ば〜1970年台初頭ぐらいのポピュラー音楽も主役の一つ。そこも存分に楽しめました。
ロジャー・ミッシェル『ゴヤの名画と優しい泥棒 / The Duke』(2020、イギリス、95分)
実際にあった話に基づく。これも確かに、映画化したくなるよなぁ。
タクシー運転手やパン工場などで働く主人公にしてみれば、一枚の絵画に法外な値段をつけるぐらいならば、その分を広く公的に使えばいいのに、と思うのも無理はない。
ついつい喋り過ぎてしまう癖や、呆れ果てるパートナーとのやり取りも可笑しい。
裁判のシークエンスでも、無駄に軽妙な受け答えが出てくる。
それと同時に、心情に訴えかける弁護もある。
この辺りも含め、もっとテンポを落とし時間をかけて観せてくれても良かったかも。
中流階級に属しながら理解を示してくれる勤め先の女性や、事故で亡くなった娘を想い戯曲を創作し続ける行動も、外せない要素となっている。
そしてもう一ひねりある展開で、より彼の愚直すぎる性格が明らかになる。
それにしても、テレビ放送が孤独な人たちを繋ぐ時代もあったのだなと、2022年から振り返るとその素朴さが羨ましくもある。
1961年、イギリスはニューキャスルのことである。
立山芽以子『ムクウェゲ「女性にとって世界最悪の場所」で闘う医師』(2021、日、75分)
日本のテレビ局が制作したドキュメンタリー。
コンゴ民主共和国で、性暴力が権力を誇示するための手段として使われてしまっている地域がある。
既得権益を保持するためなのだが、その資源は日本を含む世界各国で、欠かせないものとして重宝されている。
そういう意味でも、無関係な人はいない前提で、広く呼びかけるべき問題だろう。
ムクウェゲさんは医師として、被害者たちの身体だけでなく心も治療しながら、根本原因こそを断つために活動している。
特筆すべきは加害者側にも話を聴いていること。
罪の意識の軽さや、どこか他人事な様子は、『アクト・オブ・キリング』の恐ろしさに通じるものがあると感じた。
小森はるか『空に聞く』(2018、日、73分)
これまで全く気づいていなかったドキュメンタリーだったが、知ってすぐ興味を持った。
監督は震災後に移り住み、現地で生活しながら取材し続けているとのこと。
さらに今作は、コミュニティFMのパーソナリティが中心なので、同じくラジオに関わる者の端くれとして観なければと思った。
声の大きい人や、力を持った人ではなく、普通の人々の、どこにでもあるような暮らし。
どこか裏の目的が潜んでいるかのような発言ではなく、そこで生きる人たちの飾りない言葉こそが胸に響く。
東日本大震災から数年後、再建を始める町。
土地を嵩上げして、道路を整備しても、人々の営みは元に戻るだろうか。
それは分からない。
一年ごとにも風景が変わるからこそ、こうして記録しておくことが後々にも重要になってくるだろう。
ラジオは人の声を伝える手段で、送り手側はその当事者でもあるし、代弁者でもあるとの思いを強くしました。
エリック・フリードラー『ブルーノート・ストーリー / It Must Schwing: The Blue Note Story』(2018、ドイツ、118分)
ジャズ史上、音楽としてもデザインとしても、最もカッコ良いと思えるレーベル、ブルーノート。
その設立者であるドイツからの移民二人を中心に振り返るドキュメンタリー。
一人は没頭しすぎて人生丸ごと音楽に捧げたようなプロデューサーであり、一人は寡黙すぎて私生活はほとんど知られていない写真家だった。
そんな二人は子供の頃から親友。
何より音楽が好きという気持ちが伝わってくるのがいい。
ジャズを芸術として捉えていて、名盤を作るためなら多少の採算は度外視するぐらいの熱量だ。
それはミュージシャンたちには好かれ信頼されるわけである。
もちろん、録音ではルディ・ヴァン・ゲルダー、ジャケット・デザインではリード・マイルズの力量こそが大きかったのだろう。
今でこそ、誰もが憧れるような商標と化していて、なおかつ、今もなお一音楽ファンとして信用できるレーベルだと思っている。
それでも、当時は文字通りの自転車操業だったのだろう。
そうまでして一瞬の輝き(スウィング≒シュウィング)を捉えたからこそ、今もこれからも聴き継がれていくのだろう。
未聴のものもたくさんあるし、やっぱり改めてブルーノートのアルバムを手に取りたくなりました。