日記:2024/11/06

自転車での移動を好むようになって、電車に乗る回数はかなり減った。その分、車内で読書する時間も持てなくなったのだが、今日は長めの距離で『自分ひとりの部屋』の続きを。およそ100年前のヴァージニア・ウルフによる工夫を凝らした語りの論考だが、2024年の現在いやその先の未来をも見通したかのような考察に舌を巻く。素直に書くと感動さえ覚えた。明晰な文体と、他にないような喩えも秀逸。代表作と言われるような作品群もほぼ全て未読なので、これからの楽しみが増えた。

次回の番組ゲストを交渉。収録日時もあっさり決まる。私にとっては新しい試みでもある。ゲストさんの威光で番組を後押ししてもらえるし、こちらとしても何かしら役立ててもらえばこの上ない喜びでもある。

さて、アメリカ大統領選。
YouTubeで報道番組を放送している「ポリタス」も「Arc Times」も現地入りし、毎日情勢なりを伝えていた。現場で見ている人たちですら、あるいは現地に住んでいる人たちですら結果がどう転ぶか最後まで分からなかったのだから、遠く極東で隙間の時間に流し聞きしている自分が事態をより把握できるはずもない。
各ラジオ番組も識者を招いていて、それらの見解を聞くと様々。あれだけ巨大な国家を単一の切り口で語ろうとするには、どうやっても取りこぼすものがあるのだろう。パッと見ただけでは青が勝つか赤が勝つかの単純な二元論に収束されているのだが、その過程や内実は外側から思っている以上にずっとこんがらがっているのだろう。
残念であり如何ともしがたいと感じるのは、ほんの少しでも賢しらなことを言おうものなら即時に鼻つまみ者扱いされる現状だということ。学歴なり職歴なりが滲み出ただけで「上から目線」の嫌なやつ、と見なされる。自分も地べたで単純労働しているつもりだが、まずもって他国の選挙に関心を持っている時点で、もう「インテリ」(=いけ好かないやつ)なのだろうね。もっと勉強したいと思っている人間は、この後もずっと少数派のままなのだろう。

剥き出しの欲望や身勝手さが大手を振って歩く時代なり風潮なのか(こういうことを書くから疎まれる)。
希望や包摂は、不安と恐怖に敗北した。儚い、脆いものだね。負けるのもいいだろう。倒れた後、もう一度立ち上がれるのか。常にそれが問われている。

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