フジロックの思い出④〜地獄の帰り道編〜
(↑前回までのあらすじ)
日本初の大型野外フェス「フジロック」に向かう洋楽好きの高校生3人組、G君とI君そして僕。会場への道程ですでに混乱に巻き込まれる。遅れてようやく辿り着いたものの、はしゃぎすぎた上に雨に打たれ体力のほとんどを使い果たしてしまうのだった…
(続き)
山の天気は変わりやすい。日が暮れていくにつれ、気温もにわかに下がってきたようだ。
雨と汗でずぶ濡れになった僕たちには着替えもなく、どんどん身体が冷えてきてしまう。ふやけて破れそうな紙幣をそ〜っと取り出し、屋台でホットドッグを買う。まだ「フェス飯」なんて言葉もなかった草創期、食事もそのぐらいのお店しかなかったのだろう。発電機で灯もつけていて、その電球がほのかに温かく、思わず両手をかざす。すでに震えそうなほど寒くなっていた。
しかしここまで来て、初日トリのレッド・ホット・チリ・ペッパーズを観ない選択肢は最初からない。ギターがデイヴ・ナヴァロの時期で、ヴォーカルのアンソニーはなぜか腕をギプスで固定している状態で歌う。
天候は悪化の一途を辿り、風も強くなる。文字通り横殴りの雨となり、ステージに向かって真横から吹き込んでいくのが照明のおかげでよく見えた。まさに嵐、暴風雨である。かなり演奏しづらかっただろう。というか、感電したりしないのか?こちらもほぼ燃え滓のようになっており、半ば他人事のように呆然と眺めていた。
終演したのは何時頃だっただろうか。ここからが長かった。この時点で、まだ半分ほどだったかもしれない。
行きしなに道が詰まって送迎バスが全く機能しなくなってしまった事態は、なお解決されてはいなかった。帰りのバスを待つ行列はどこまでも伸び、人数は膨らみ、一向に進まない。一日中、立ちっぱなし歩きっぱなし、ついでに暴れっぱなしで足腰も限界が来ており、かといって沼地と化した地べたに座り込むこともできず、時折り屈伸をしながらやり過ごしていた。行きと同じように、諦めて歩き始める人たちもチラホラ出てきたが、まさか帰り道も歩いて行こうとは僕たち3人にはそんな気力も体力も残されてはいなかった。
何時間が経過しただろうか。寒さと空腹、疲労と眠気で朦朧とする中、バスに乗れたのは午前3時。車内も修羅場で、これ以上は乗せられないほどの満杯。座席に着けず吊り革にしがみついていた人は立ちながら何度も寝落ちし、その度にブランブランと激しく揺れていた。僕は誰かのキャリーケースに断りを入れて座らせてもらった。ゆっくりと山道を下っていくと、待ちきれず先に歩いていた人たちだろう、道端から「乗せてくれー!」と嘆願する悲痛な叫び声が聞こえてきた。地獄とは、こういうところなんだ。いや、自分もほぼ意識を失っていたので、きっと夢の中の出来事だったのだろう。
バス停から宿までの短い距離を、最後の力を振り絞って歩く僕たち3人。しかしI君は両足が硬直してほとんど動かず、時速2ミリぐらいで進んでいた。
全てが終わったときには、日が昇っていた。
布団にぶっ倒れる前にシャワーは浴びたのだろう。出始めの水が温かく感じられるぐらい、身体の芯から冷え切ってしまっていた。
数時間ほど寝て目が覚めると、友人2人はテレビをつけていて、地元チャンネルなのだろう、字幕テロップで速報を伝えていた。"フジロック2日目中止"
まだまだ続く(いい加減、次で最後にしたい)