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個人史 〜音楽編 (前編)〜

とても今更な感じがするのだが、私は何者なのかほとんど書いてこなかったので、自己紹介がてら振り返ってみる。
通史として、時系列でできるだけ簡潔に並べてみます。
別で映画編とか書物編、漫画編など書ければいいなぁ。

熊谷悠一 (くまがいゆういち)は1980年生まれ。
2000年に20歳となった数えやすい年代。

中学

1994年、中学2年生の時期ぐらいに同級生から洋楽を教えてもらう。
当時のグランジとかオルタナティブとか呼ばれていたような種類の、大雑把にまとめればギターがうるさいアメリカのロック。
イギリスは「クール・ブリタニア」という今思えば捏造された文化政策のもと、ブリット・ポップ華やかなりし頃であった。

それ以前は音楽にはほとんど興味がなく、やっと中学に入ってから周りの影響でヒット曲を知る程度。
車の中で両親がビートルズやカーペンターズなどのカセットテープを、姉がミニコンポで流行りの歌謡曲を聞くのを、さして関心もなく見ていただけだった。
小4から続けていた軟式野球が課外活動の中心だった。
中学の野球部も3年間最後までやり通したが、同時並行でだんだんと音楽の方に入れ込むようになっていった。

初めて買った音楽雑誌が『クロスビート CROSSBEAT』1995年12月特大号、その年末にはテレビの特番でビートルズ『アンソロジー』を見た記憶があるので、この頃にはもうすっかり音楽に熱中していたようだ。

個別に具体名を挙げるとキリがなくなるので、自分のお小遣いで最初に買ったCDのみ記すと、Soul Asylum『Let Your Dim Lght Shine』(1995)。

高校

高校に入るといよいよ音楽熱が高まり、惰性で野球部に入っていたものの硬式に変わって要領が掴めないことも重なり1学期で退部。
学業にも身が入らず、自分自身でそうした部分も多かったのだが退屈に思えた公立学校の生活をやり過ごすため、ウォークマンは必需品だった。
いや、それ以上のもので、ほとんど呼吸維持装置のように感じられたものだった。
音楽を聴いているときだけは息をしていられる。

1996〜1998年、この3年間は洋楽ロックを追いかけ続けていた。
今思えば、現在進行形の音楽を聴いていたのはこの短い時期だけだった。

エレキ・ギターを可能な限り歪ませてかき鳴らしていた。

やはり固有名詞を挙げ始めると終わらなくなるので、初めて観に行ったライヴだけ書いておくと、The Jon Spencer Blues Explosion 赤坂ブリッツ公演。
ついでに添えておくと1997年第1回のフジロックで台風直撃を食らい、這って生還したのも今となっては笑い話。


大学


ギリギリ補欠で一校だけ受かり何とか大学生になったのが1999年4月。
この同じ月に、現在に至るまで自分にとって最重要のラジオ番組が放送開始する。
DJピーター・バラカンさんの「ウィークエンドサンシャイン」である。
元々、民放ラジオはCMが入ったり曲を最後まで聴かせてくれなかったりでほぼ聞いておらず、もっぱらNHK-FM一択だった。
よって渋谷陽一氏の「ワールドロックナウ」もよく聞いていたし、今もって続いているのには頭が下がる。

ともあれバラカンさんの紹介する音楽は、それまでロック一辺倒だった自分には衝撃だった。
アフリカの音楽であったり、ソウルやR&Bなどの古いブラック・ミュージック、ロックだとしても1960~1970年代の黄金期、アイルランドの伝統的なものなどなど、音楽そのものの楽しさを教えてくれて、一気に幅が広がった。

自分の中にある怒りやわだかまりを爆発燃焼させ、生きづらさを昇華させるための道具としてしかほとんど扱っていなかった音楽を、そういう効能もあるかもしれないけれど、それだけでは決してないのだよと優しく諭してくれたように思えたものだった。
たかがポピュラー音楽、とはいえそんなに単純なものじゃない。
歴史も文化的背景もあるし、音そのものの面白さだってある。
もしバラカンさんの番組に出会っていなかったら、とっくに音楽を聴くことはしなくなっていたと思う。
青春期の衝動がいつまでも続くわけがないように、そんな種類の音楽だけだとしたら年齢を重ねるに従って辛くなっていくだろうから。

大学に入ると自由時間も増え、ジャズ・ヴォーカルを入り口にジャズの世界にも足を踏み入れていった。
ブラジルの音楽も少しずつ探し始める。
1990年代終わり辺りはCDが最も売れていた時期で、過去の名作を新装盤で再発売することも盛んだった。
各レコード会社もそれまでの録音物は豊富に蓄積を所持していたわけで、宝の山はいくつも目の前にそびえていた。
そういった再発売ものを中心に深掘りする音楽雑誌『レコード・コレクターズ』を熟読していたのもこの頃。
それを片手に、音楽の歴史を遡っていく作業もたまらなく新鮮だった。




(中編に続く↓)


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