日記:2024/11/14
今日も昨日に引き続き、ほぼ自由時間なし。それでも2日間とも映画館に寄ってチラシだけもらうという行動だけはできた。不思議な巡り合わせで。常に頭の片隅に映画のことがあるからかもしれない。それでももう2~3年はあまり映画を以前のようには観れていない。
次々回の放送はゲストさんをお招きする予定。準備として、著者の出版されたばかりの本を再読し始める。
1回目は一気に読み終えたので、今度はもう少し速度を落としながら丁寧に文章を、行間を味わいたい。そこから自分が受けた印象であったり感想をメモしつつ、直感込みで思い浮かんだ曲を併せて記しておく。こういう番組の作り方は初めてなので楽しくもあり新鮮。間違ってはいないと思う。書かれた言葉を契機に音楽を鳴らしてみる、立ち上げてみる。面白い共同作業になるのではないか?
そんなこんなで暑いんだか寒いんだか、どっちつかずの気候の中、報道番組をラジオで聞く。凄惨なニューズばかりで、いちいち真剣に捉えていたら身がもたない。伝える側の仕事はまさに伝えることであって、そこから先をどうするのか、どう考えればいいのか、どう改善して再構築していけばいいのかは語られない。各々に任されているのだろうが、そこを指し示すのは誰の役割なのか。もっとも、その部分は力が強く声の大きい人に引っ張られがちなので、危うさも孕んでいる。結局は多数が動く方向に世の中は向かっていくので、少数か個人で歯向かっている自分に最初から勝ち目はないのだ。
緻密に組み立てていく思考は面倒臭い。欲望の赴くまま、剥き出しの自我を全開にする人物に喝采をあげる人々の気持ちも分からなくはない。そうやって、極端を超えて偏った権力と暴走する資本主義は、『AKIRA』の鉄雄が周りの全てを取り込み膨張していったみたいに、肥大化し尽くし、いずれは瓦解するだろう。
報道だけを繰り返し浴び続けていると、疲弊する。
アート/芸術は解毒し、束の間だけかもしれないが救済してくれる。
あるいは人間の脳以外が作り出したもの、つまり自然に触れることも同様かそれ以上の効能があるだろう。
人間のことばかり考えていると行き詰まる。たまには、その枠から外へ出て、人間社会だけではない世界が広がっていることを再確認することで、乱れた呼吸を整えられるだろう。