ドキュメンタリー『シェイン 世界が愛する厄介者のうた』
ジュリアン・テンプル『シェイン 世界が愛する厄介者のうた』(2020、アメリカ・イギリス・アイルランド、130分)
ザ・ポーグスの中心人物、シェイン・マガウアンの半生を描く音楽ドキュメンタリー。
このバンドを語る際、必ず出てくる公式が
アイリッシュ音楽+パンク・ロック=ポーグス
というもの。
確かにこの映画でも証明される要素だけれど、それだけでは決してないことが分かる。
冒頭からの部分、かなりの時間を割いて、幼少期の家庭環境について語られる。
自然豊かな土地で大家族に囲まれ、敬虔なカトリック信者として育てられる。
そのような宗教観も、後々に作られる楽曲の数々で根底に流れていると思う。
さらに、アイルランド人としての誇りを持ちながら人格形成していったことが窺える。
歴史的に見て、アイルランドは飢饉や紛争など、常に厳しい状況に直面していた。
不況ゆえに仕事もなく、働き口を見つけるため国を離れざるを得なかった者も多い。
移民として辿り着いた先では、差別を受け二級市民扱いされる。
子どもの頃にロンドンへ移住したシェインも、そのような者たちが内に抱える悲哀を自分事としてよく理解していたのだろう。
そのうえ、大都会で心身に不調をきたしたのは、見かけによらない繊細さも持ち合わせていたからだろう。
そして、文学や詩にも強い影響を受けた読書家でもあった。
一時期マルクス主義者になったり、アイルランドの詩人・劇作家W•B. イエイツを辛口に評したりもする。
これら複数の要素が渾然一体となり、結実した結果がポーグスの音楽だった、と私には感じられた。
自分でも止められない衝動なのか、何かしらの弱さを補おうとしてなのか、酒やタバコ、薬物に溺れる日々が続く。
音楽的な成果は、健康を引き換えにしないと得られないものだったのか?
もしそうだとしても、健康を最優先にすることで何か大事なものを失っている人に比べれば、充実した幸せな人生なのかもしれない、とは思う。
シェインのように、破天荒で規格外で殻をぶち破る人でさえ、やはり成功とその代償という、お決まりの道を辿っていった。
なりたくない「ロック・バンド」にこそ自分たちがなってしまっていた、という皮肉には寂寥感が滲む。
歌い継がれてきた、隠れた宝の山のようなアイルランドの伝統音楽に光を当て、パンクが持つ破壊力にまみれさせ、再生させる。
そこにふと一瞬見え隠れする、名もなき者たちへの敬意と共鳴。
そんな離れ業をやってのけたシェインも、限界を越えた酷使に、称賛への重圧も重なったのか、今から見ればだが、あっという間に消費されていってしまう。
この映像作品ではあくまで主人公シェインに焦点が絞られているが、ザ・ポーグスというバンドの存在も大きい。
シェインの描いた着想を最適なかたちで具現化した彼・彼女らの貢献も、また機会を改めてじっくり振り返ってみたい。
一世一代の名曲と言える「Fairytale of New York」でも、カースティ・マッコールの歌があったからこそ完成した、とシェインも感謝を述べている。
最後に、私とポーグスとの出会いを記しておく。
まだ学生の頃、当時よく音楽を教えてくれた友人はエルヴィス・コステロ好きだった。
おそらくその繋がりで、ポーグスの2枚目のアルバムも入手していたのだろう(コステロがプロデュース)。
それを聴かせてもらった記憶もなんとなくあるが、そのときはまだあまりピンと来てはいなかった。
個人的にアイルランド音楽の素晴らしさに気づいたのはチーフタンズのライヴ音源で、それはギター・ロック一辺倒だった自分にとって転換点でもあった。
そこから10年以上経ち、しばらく離れていたピーター・バラカンさんのラジオを再び聴くようになると、前述の「Fairytale of New York」含む『If I Should Fall from Grace with God』がよくかかっていた。
アルバムとして聴いたのは今のところその一枚だけだが、今作を観て、改めて他にも聴き進めてみようと思っている。