映画『シド・バレット 独りぼっちの狂気』
ロディ・ボグワナ、ストーム・トーガソン『シド・バレット 独りぼっちの狂気』(2023、イギリス、94分)
原題:Have You Got It Yet? The Story of Syd Barrett and Pink Floyd
伝説的な存在シド・バレットを、豊富な記録映像と親しかった人たちの証言で巡るドキュメンタリー。
一瞬だが強い輝きを放った音楽的才能と、未だ誰にも答えは出せない人物像に近づいていく。
ロック好きにとっては、これまで何度となく聞かされてきた逸話のその先を知ることができる。
同時に、何となく興味を持ち始めた人にこそ観てほしいとも思った。
シド・バレットの明らかに人の目を惹く華やかさ、それまでになかった表現の斬新さ、予測のつかない人柄。そしてその後の、孤絶したかのようなシドとあまりに対照的な、世界規模に巨大化していくバンド…。
それらのどこから入っても楽しめるはずだし、映画内にもあるように誰にとっても「教訓」にできる物語だと思う。
個人的には人並みにピンク・フロイドの人気作に親しんできて、特に『Wish You Were Here』(1975)はシド・バレットに言及されているという一般的な知識はあった。バンドのデビューシングル「アーノルド・レイン」と次の「シー・エミリ・プレイ」も好き。だけどそのぐらいで、シドのいた最初のアルバムも、彼のソロ作も未聴だった。
そんな半端なリスナーである私でも十分に興味深く観ることができた。
インタビュー役を務めるのは今作の監督でもある、デザイン集団「ヒプノシス」のストーム・トーガソン。
昔からの仲間たちに思い出話を語ってもらう格好になっていて、率直かつ真っ直ぐな内容を引き出している。
ピンク・フロイドもヒプノシスも、あれだけ著名になった割には意外にこじんまりとした人間関係のコミュニティだったのだな、ということも見えてくる。
唯一無二の個性を持つシド・バレットの音楽を今からでも知りたいと思ったし、この映画を観た後ではピンク・フロイドの代表作も聴こえ方が変わってくるだろうから、改めて触れ直してみたい。
5月7日(火)、一回限りの先行上映では、上映後にピーター・バラカンさんのトークショーもあった。以下、何点かメモ。
1960年代をロンドンで過ごした氏によると、シドの率いていた1967年頃のピンク・フロイドは、やはり噂に上るぐらい最先端を行っていたらしい。
メディアの画一的な報道のせいで、シドは「LSD(薬物=幻覚剤)の被害者」との側面ばかり強調されていたけど、それだけではなく音楽業界のくだらなさをいち早く見抜いていたがゆえの離脱だったのでは?つまり、確信犯。
そして、あの時代だったからこそヒットした、もし現在だったらほとんどストリーミング回数も伸びないバンドの一つで終わっていたのではないか。
若い頃は誰しも売れて名声を欲しがるものだけど、その見返りとして不可避の「有名税」については何の知識もなかった時代だった。
などなど。
自分が思ったことを一つ付け加えると、まさしくシド・バレットこそがそういった大衆の欲望の犠牲者という先例になってしまったのだなと。有名になることがいかに人をおかしくさせるか。おそらく人類が社会を形成してから変わらずあるだろう歪んだ承認欲求、今のSNS時代でますます増幅されている問題を体現してしまっていた。
シド・バレットの人生は幸せだったのか。
それは本人にしか分からないし、もちろん私も含めて軽々に判断することなどできないだろう。
「シドの物語は、悲しい話(sad story)だと思いますか?」というインタビュアーの質問は、私自身にも投げかけられているようで、今もすっきりとした答えは出せないまま考えあぐねている。
複雑なものは単純化せずに、うんうん唸りながら考え続けるべきなのかもしれないし、実はそういう状態こそが楽しいのだろう。
解けてしまった謎、答えが出てしまった問いは魅力が半減する。
謎は謎のままに。
だからこそ、今もシド・バレットはどこか神秘的な存在なのだろう。
おそらく、これからも。
一般公開は、2024年5月17日からです。