映画『ルージュ』
スタンリー・クワン『ルージュ』(1987、香港、96分)
原題:脂扣/ROUGE
これも良い映画だと思った。
幽霊譚の形を借りた、恋愛もの。
その意味で半分は幻想的ながら、軸足を現実世界に置くことで、巧い対比になっている。
本当の愛とは何か、残酷なまでに問うてくる。
1934年の香港、四大遊郭の一つ。
主人公ユーファは、そこで最も花形の遊女だった。
問屋の跡取り息子チャンは彼女に一目惚れし、あの手この手で特別な仲になろうとする。程なくして熱烈な間柄になった二人だったが、身分の違いから決して一緒にはなれないと悟る。
あの世で会うことを約束し心中するが、いつまで経ってもチャンはやって来ない。
53年も待ち、痺れを切らしたユーファは現世に現れ、尋ね人の広告を出そうと新聞社に行くが…
現在、つまり1987年の香港では、現代的な二人の恋人同士が出てくる。
新聞社に勤めるユンと、同僚の記者チョー。
結婚はしていないが、何年間か同棲している。そんな間柄ではあるものの、相手のために命を捧げられるか?と聞かれると、お互い否定し合う。
このさばさばした関係性が、遠い過去の大恋愛をより濃密に感じさせる。
二人は同情からか共感からか、何とかしてユーファの願いを叶えさせようと協力する。
ほんの少しだが暗号解読の謎解きみたいになっているところも面白い。
ルージュ=口紅で、ユーファの霊的な体力が表現されている。
日が経つにつれ力が衰えていき、口紅も消えていくのだ。
心臓はもちろん動いていないし、食事は取れない。少しでも陽の光があるうちは外へ出られない。
京劇がなぜ出てくるのか必然性が分からなかったが、文化として必須の、映画にも外せないものなのかもしれない。
凛とした振る舞いのアニタ・ムイも時代がかった衣装を可憐に着こなしているし、寝そべりながら阿片を吸いトロンとした目つきのレスリー・チャンも良い表情をしていた。
絵に描いたような退廃、自堕落、そして自滅を体現していた。
制作年の当時から見て、在りし日の香港を偲びながら、美化しつつ郷愁込みで描いた作品なのだろう。
と同時に、「一国二制度」の建前が崩壊し、国家の暴力に飲み込まれた香港を知る今となっては、むしろこの1987年にこそ在りし日の姿を見る思いだった。