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noteに書けることなんてほとんどない。だからこそ"想い"だけは書いておきたい。


書きたいことは山ほどある。
ただ、それ以上に書けないことが多すぎる。

書けないことは、書けない。
書けることは、書ける。

だから「書きたいこと」のうち
「書けること」だけを書く。

なんのことやらかもしれない。
抽象的すぎる話だ。
けど、どうしても書きたいから書く。


とかなんとか言いつつ、ただの手記である。




とてもうれしいことがあった。
でも、それが何であったかは書けない。

これはもったいぶっているわけではなく、私の中で単純に「書けないこと」に区分されているだけだ。

しかし「とてもうれしかった」という"想い"だけはどうしても書きたかった。何が起きたかは書けなくても、気持ちを書くことはできる。要は、気持ちの整理である。

日々、生活しているとどうしても嫌なことだったり、大変な目にあったり、自己嫌悪におちいったりすることがある。その原因となる内容は、書けないことが圧倒的多数である。

それと同じくして、うれしい出来事というのも、ときどきであるが起こるのである。そして、その原因となる内容もまた、書けないことばかりだ。

うれしいこと、というのは「言葉を受け取ること」かもしれない。相手からのリアクションがあり、それにこちらが応える。そしてまた、そのリアクションに相手が応えてくれる。要するにコミュニケーションが行われているのである。

当たり前かもしれないが、うれしかったことの発端はやはり、何らかのコミュニケーションであることが多い。

今回もその類である、ということは書ける。

とあるリアクションによって、うれしい言葉をいただいたのだ。こちらとしても大変にうれしかった。その大変にうれしかった想いを言葉にして伝えたのである。

しかし、うれしかったことをそのまま言葉に乗せるのは、簡単なようで難しい。また、何らかの制限がある場合には、その限られた範囲で伝えなければならない。

さらに、選んだ言葉によって相手が受ける印象を想像しておかないと、こちらの意図が伝わらないこともあるし、誤った印象を与えかねない。

例えば、手紙がそうだ。

これは多ければ多いほど良い、というものではなく、かといって短いほうが良い、というものでもない。大切なのは文量ではなく、こちらの想いが相手に伝わるかどうか、だと思う。

とにかく、うれしかったことを言葉にした。

言葉にしたものの、それがどれほど伝わったのかはわからなかった。相手がどう思うか、それ次第だからだ。じゃあ実際に相手がどう思ったか、というのは、相手が言葉にしてくれなければ、こちらに伝わることはない。もちろん、きっとこういう風に伝わったはずだ、と推測することはできる。

だが、やはりそこには一抹の不安が残るものである。「一方的に言葉にして伝えた感」があったことは否めない。

そうして、悩んでいるうちに来た相手からのお返事は、大変にうれしいものであった。ここでようやく、満たされるのである。

それはまた、想像を超えるうれしい言葉であり、これまでの不安を全て拭い去ってくれた。こちらの想いが伝わったのだ。それがハッキリとわかる言葉だった。

この双方向の意思伝達が成立した瞬間、とんでもなく分かり合えた感じが、体全身を巡ったのである。この"感じ"を、なんとかして言葉にしたいという想いが瞬時に生まれ、いてもたってもいられず、悩んだ末、結局書いているのだけれど、それも果たして、どこまで言語化できているかはわからない。

しかし、あふれる想いを胸に秘めたままであっては、いけない!そんな気がして、とにかく書ける範囲で、感動したということを書いてみた。

この文章が何らかのかたちで相手の目に触れたとする。もうそれだけでいい。お互いこれ以上何も書かなくていい。ただ、たしかめるだけでいい。だって、相手には相手の書けること、書けないことがあるし、私にも書けること、書けないことがあるからだ。ともに尊重すべきであるし、きっとそれは同じ想いだと信じている。


さて、とても抽象的に書いてしまったが、これほどまでにうれしいことというのは、人生の中でもそうそうたくさんあることではないし、自分としても書いて残しておいた方が、後から見返したときに、「あのときは、あんなうれしいことがあったなぁ…」とずっと思い出に残る気がしたのだ。

時間をかけて、一生懸命考えた。

言葉にした"想い"は、きっと伝わる。

これからも、できるだけ気持ちが良いことをnoteに書いていきたいし、日々の生活の中でもなるべく良い影響が出るように、自分も周りも明るい気持ちになれるようにしていきたい。そして、書きたいことがあれば、書けることを書いていきたいと思う。

いただいた言葉を胸に、このうれしかった気持ちを忘れることなく、これまでの苦しかったことも昇華しながら、日々邁進していきたい。




そんなふうに思った、今日この頃である。