東京TAWA〜ポップとバザーと、時々、ヒサシ〜
拝啓
私を天才と呼んでくれたコニシ木の子さんへ
以下の記事の創作大賞感想です。
スラムダンクと同じぐらい読み返しました。
150本の記事。二年半。
久々にそろばんをはじきました。
更新頻度は大体、週1ペースです。
決して、多くはない…
なんのはなしですか、というエッセイのようなものを叫び続けて、果たしてあそこまでの熱量、そして、われわれ読者が読んだときの感動が生まれるものか?と。
非常に不思議に思いました。
私の「コニシ木の子さん像」は、失礼を承知で書きますと「なんのはなしかわからないはなしを書き続けているおもしろイケメンおじさん」でした。
そんなおじさんが、こんな熱いこと書けるの?
もしや、私が想像していたコニシ木の子さんは、実際のコニシ木の子さんと違うのかもしれない。
とんでもない人物なのかもしれない。
私も同じおじさんの端くれとして、3年前の路地裏に飛び込む決意をします。
コニシさんと同じく、本気で向き合うために、コニシさんの記事を150個読み終えるまで、自分の記事を書かないことに決めました。
そして、150個、ちゃんと読みました。
そしたら、どうでしょう。
叫びの意味が、ありありと分かったのです。
そのうえで、もしもnoteの創作大賞の審査員の目に止まったら、何を伝えたいか考えました。
たった一つ、思い浮かびました。
「書籍化したらどうですか?」
コニシさんが、それを望むかどうかは全くわかりませんが、私はそう思いました。
売れる理由は、イケメンとおもしろいこと以外に
3つあります。
これだけで、初版5万部いけます。
それはさておき、コニシさんの発明した「なんのはなしですか」により、この毎週更新されるなんのはなしです課通信に連なっている面々をみてもしかり、たくさんの人が書いた創作大賞感想を見てもしかり、多くの方々に愛され、憂鬱な月曜日がワクワクへと変わり、その影響力は抜群であることが立証されています。
noteの理念ともいえる、つながることができています。私のような迷えるnoterが、書くことをやめないようにする、せめて路地裏につなぎとめてくれる、そんな橋渡し的な苦労人です。
くわえて、大関関連のはなしも大変おもしろく、大関の素晴らしい人柄に、コニシさんをはじめとしてこれだけ多くの人間味あふれるひと達が集まっている事実を考えると、まぁすごいです。
少なくとも僕は買います。
審査員の皆様、この記事のコメント欄、見てください。きっと「私も買います!!」で溢れていますよ。口コミが口コミを呼ぶので、コメント数×100冊は売れる見込みがあります。
なんなら、コニシさんの人柄を考えると、印税は最低ライン(3%?)でオッケーでしょうし、それすらも寄付あるいは何かの基金に全部入れてください、と言われかねませんので、出版社的にも願ったり叶ったりではないでしょうか。
いや、おせっかいはここまでにします。
このプレゼンはさておき、150個読んだ上でいえることは、コニシさん、スキってことです。
時間をかけて、読んでよかったです。
長い間、孤独に、あきらめずに叫び続けてくれてありがとうです。
おじさんは、感動に打ち震えています。
溢れる想いは、それぞれの記事下に埋め込みました。ここには全部書けませんでした。何度泣いたかは、言えません。
それでは皆様、私の想いはスルーしていいので、普段は自分の記事へ一直線の方々も、意を決して、気になる路地裏へGOしてみてはいかがでしょうか。最近のコニシさんの記事とはまた一味違う感動が待っています。昔のコニシさんを知ってしまったらもう後戻りはできませんが…
コニシさんは、通信執筆のコーヒーブレイクとして、お好きな記事へGOしてくださいませ。
その前に、ここでは順番に羅列していますが、コニシさんがちゃんとマガジンにされていますので、大関のはなしなんかは特に、マガジンで読むと、より一層感動の嵐です。私はポップとバザーの写真を見ただけで涙腺がアワワになります。
なに、36,000字も書いたの?そんなの関係ない!おじさんの狂気の沙汰を目の当たりにしたい!私も路地裏探検隊に入りたい!という稀有な方は、こちらの音楽を聴きながら、真下まで一気にスクロールください。コニシさんの創作大賞記事のスキが1,000を超える日を夢見て、共にお祝いしましょう。そういえば、宮崎駿監督もINFJらしいですよ。あと、INTJ(コニシさん)とINFJは互いに惹かれ合うそうです。
1.今は、今しかない。動かなければと思った。
僕は驚いた。コニシ木の子さんは名前からして、とても相撲が好きな人、ぐらいの感覚だった。でも違った。本当に息子だった。
もう一つ、驚いたことがある。僕とスタート地点が同じだった。社会人3年目のとき、社会と人間関係と自分の仕事のダメ具合に挫折し、不安障害となり、自宅で療養していた。精神安定剤を飲み、寝るのか寝ないのかぼんやりと横になって、そんなとき、突然、家が揺れた。かなりの揺れ。震源はどこだ。テレビをつけた。どれもこれも、全チャンネルが非常事態を知らせていた。僕はうろたえた。何が起きたんだ。
この日から僕は、医者に黙って薬をやめた。
こんなことをしてる場合じゃない。
今は、今しかない。動かなければと思った。
2.あゆみの雲海
リエとは誰なのか?
エリとは誰なのか?
あゆみたちは未亡人なのか?
なんのイメージを見せられているのか?
その約束は、一体なんなのか?
ポップの天然は、もはや生きづらいレベルに達しているのではないか?
いや、これぐらいしか書けない。
やはり、毎週あれだけいろんな人のなんのはなしですかを読み込んで、さらにギリギリを狙うあのコメント力、凄すぎる。僕にはマネできない。そして、親友と登山、将来いい思い出になることは間違いない。でも4リットルて…鬼ころし?
読書家とは、常に会話の奥を読む。
3.「チャンの失踪」~市内一周駅伝大会~前編
突然、チャンが現れる。現れたのに失踪する。超ローカルなはなしなのに、続きが気になってしょうがない。コニシ木の子さんの書き方は、ぼんやりしていながらも、読み手に考えさせる余白が存在している。意図せずに書いているのだとしたら、これは学ぶべきポテンシャルとしか言いようがない。ポップとチャンと、あと2人誰なんや!「もと2」の人達が気になってしょうがない。ラジオの行方も。想像してみた。多分、聴いてたら泣いてたな。
俺が一生こいつと仲良くしようと思った瞬間である。
4.「もたらしたもの」~市内一周駅伝大会後編~
ここでやっと、残り2名がわかった。でもまだ、人となりが想像できない。しかし、あきらかに仲の良いことが伝わってくる。中継所の熱量とともに。やっぱり、誰かと共に走ったり、ゴールを目指すのって、絆だなと。愛だなと。そんな感傷に耽っていたら思わず、昔の記憶が蘇った。u1二十歳のとき、フルマラソンに出たのだ。あれはマラソンハラスメントだった。私はなぜか体育館シューズで完走した。
真面目にふざけるとそれは、伝染し、人を動かすこともあると。
5.恩師との出会い
ここで突然、コニシ木の子さんの本名が明かされる。ちゃんと記事を読むまでは「コニシ」かもしれないと思っていた自分を殴りたい。マジもんのラジオ関係者なのか。メディア関係者なのか。本人は文才がないと言っていたけれど、3年前からすでに文才はあったのではないか?でもこのあたりはなんのはなしですかといいながら、なんのはなしかはわかるはなしである。そして続きが気になる。どんどんおもしろくなる。上京したくなる。もうできないけど。でもイメージしたらできるかもしれない。そんな気になった。
思いを強く持て、イメージしろ。そうすれば何をすればいいか分かる。それは叶う。
6.「精一杯美化した出会いの記録」
ここで初めてコニシ木の子さんの顔を認識する。そして、本名とはなんだったのか、混乱する。なんのはなしですかの本領は、ここから発揮されたのだ、多分そうだと確信する。そして、どちらがどちらの顔なのか、コニちゃん(なんだか小錦と綴るのも変な気がしてきた)とのショットまで出てきて、どこまでが本当で、どこからが嘘なのか、いや、すべて真実なのだ、もう顔を知る前の自分には戻れない。コニシ木の子さんに対する愛が芽生え始めた。こそばゆい。いやでもこれは、恋愛感情ではなく、知らない一般人に対する、珍しい感情なのだ。きっとそうだ。僕は変じゃない。そう思うように、覚悟した。
覚悟は発することで生まれる。
7.「大関との出会い」
ごめんなさい。一般人だなんて、そんな呼び方よくない。僕は一般人であることに間違いはないけど、コニシ木の子さんはここで一気に遠い存在になってしまった。かと思ったが、やはり近しい感じがしてならない。それはコニちゃんとコニシ木の子さんの周りの人たちのあたたかさが、文章から伝わってくるからだ。とりあえず初期のnoteには画像がバンバン出てくることがわかった。どうだ、まだなんのはなしです課通信しか読んでない人は見たことないでしょう、なんて思いながら、私も通信しかみてなかったことを棚に上げて悦に浸る。僕は今、このnoteの行方を想像し、ワクワクしている。noteを始めたばかりの頃を思い出す。
何か起こる。
何か起こせるかもしれない。
全く違う世界に行けるかもしれない。
8.「ポップとバザー」
いや、なんのはなしですか。いきなりわからなくなる。ここで初めてコニシ木の子さんの本名が全て暴露される。英語だから、もしかしたら帰国子女なのかもしれない。ポップとバザーの顔もわかる。絶対みんな面白い人たちだ。だんだんと路地裏に迷い込む。路地裏に。でも、コニシ木の子さんの興奮が、僕にも伝播する。僕はエンパスだから、まるで目の前で実際に起きたことのように想像できる。嘘です。ただの一般人です。コニシ木の子さんの文章と思い出に乗せられ、どこか遠くに来てしまいました。よく漫画家が「コッチに降りられない」とか言うらしいが、今がまさにそれ。昔の記憶とコニシ木の子さんの記憶が交差する。もう表舞台に戻って来れないかもしれない。やばいやばいやばい。
たまに自分の頭に雷みたいなものが落ちて、全てが繋がる瞬間というものがあります。
9.スノーボールクッキーイセハラ
ほっこりした。すごいなー。友達たくさんいるってすごい!愛されている!友達は数じゃないけど、でもだからこそそんな友達の数がたくさんいるって、なおさらすごい!ヨーへーが羨ましい!ポップも羨ましい!なぜか僕までポップの敵になってしまった。ごめんなさい、ポップさん。伊勢原に行ってみたい。神奈川は横浜しか行ったことない。それも仕事で。お店の貸切って、なんでも思い出になっちゃうよ。寂しさと儚さの路地裏。ここはどこ?もはやどこでもいい。
そういう場所ってそこにあるだけで幸せでしょ。
10.「日本縦断走り売り」
いやいやいや、工藤さん。関係ない僕まで、上向いちゃいますって。そんな人、いませんて。ていうか、まじで行っちゃうんだなー行動力すごい。悪ふざけとかじゃなくって、まじめにふざけるを通り越して、マジmajime。あのチャリ、なんなのよ、マジでどこまで行っちゃうのよ。途中で壊れたりしないの?大丈夫?おじさんは心配だよ。コニシ木の子さんよりは多分、5歳は年下だけど。羨ましいを通り越して初めて、応援したい気持ちが湧いてくることを知った。
今しか出来ない。
11.夏休みの限界
今、何年の何歳のはなしだ。記事は2021年だ。でも17歳のはなしだ。あっちにいったり、こっちにいったり、路地裏の元々の路地が、どの路地かもわからず、とりあえず伊勢原のどこかということはわかるが、そもそもおれは伊勢原がわからない。なんのはなしですか。しかし、コニシ木の子さんのはなしを読んでいると、不思議と同じ歳頃の自分のことを思い出す作用があるらしい。やっと気づいた。他人の回想が、自分の回想を呼び起こすのである。ある種の催眠のようだ。「公園で水風船」から「コンドームに水をパンパンに入れて、松の葉で割れるか実験」を思い出し、ついでに童貞だったことも思い出した。「アイスを何本食べ続けられるか」から「うまい棒何本食べれるか実験」を思い出し、ついでに「すごい棒」や「チョコドーム」を思い出した。ここで共通点。俺も幼稚園までは、ふかわりょうとホトちゃんを足して黒柳徹子で割ったようなツヤツヤのストレートだった。ところが小学生では天然パーマだ。コニシ木の子さんより早く、キューティクルを卒業した。下は18までクルクルどころか、ツルツルだった。タミとポンなんてかわいい名前じゃなかった。まぁでも今では、
上も下もクルクルに、なったのだ。
12.「北海道を南下する」
コニシ木の子さんもすごいが、バザーとポップもすごい。この人たち、なんなの?僕は修学旅行でしか北海道って行ったことないけど、走って北海道を南下って、マジですか。ラジオ聴きてぇわー。ラジオも、TVerみたいに過去のやつ、聴けれんかなー。にしても、バザーは休学までして、想像しただけで、何かのあれを感じる。叩き売りは聞いたことあるけど、走り売りって聞いたことない。でも、noteも同じで、伝えたいことがあったら書き続けるしかない。そして、
直接人に届けるには、聴いてもらうしかない。
13.ふと、思い出したはなし。
どうやらみんな、なんだかんだで走ることが好きらしい。そして天然ポップ。なんかビールみたいな感じで、愛おしくなってきた。ふと昔、寮の先輩が「車が盗まれた」と言って騒ぎ、警察沙汰になったことを思い出した。しかし、結局は徒歩1分のコンビニの駐車場に停まっていた。同じレベルかもしれない。3人で写った写真。一番イケメンが私、とあるが、全員イケメンで、誰がコニシ木の子さんかわからない。というか、どこかでポップと間違えて記憶しちゃったかもしれない。どれがコニシ木の子さんかわからなくなった。リアルに。どうしよう。路地裏から出れなくなった。まぁいいか。そのうち出れるだろう。大事なのは、そう。
楽しいか、楽しくないかだ。
14.夏企画実行中
気がつくと、山にいた。ときは26歳のころ。どんどん、現実か非現実か、その境目がわからなくなってくる。しかし、本当のことが書いてある。ような気がしてきた。いやいや、ただのせみの抜け殻のはなしである。なんだか初登場で出てくるキャラは、みんないいヤツで面白いヤツである。ヤツ呼ばわりしても、多分許してくれそうな奴らなのである。羨ましいのである。そういう人達と働いている姿が、すごく、楽しそうなのだ。僕は自営業者になりたいのだろうか?今まで出てきた先輩では、なんとなく一番ヒサシと合う気がする。ヒサシと飲んでみたい。いや、そんなことより、おれも体脂肪率5パーになりたい。頭はパーだが。
書かなきゃいけない事がある。
って思ってると脱線したくなる。
15.北海道で得た繋がり
誰かの記憶の誰かのはなし。だからか。そりゃあどこ行ったか見失うわけだ。でも、このあたりから、もはやそんなことすら、どうでも良くなりました。純粋に文章の行方を追っかけるというモードに突入したのです。推理小説のごとく、見事に騙され続けるのです。あらぬ方向に、そのまま導かれ続けるのです。そして、ポップがビールを飲めないことを知ります。麦とポップじゃなかったのか。北海道だけでも、とんでもなくいい人達がいっぱい出てきます。人情というか、信条というか、いい大人たちが。みんなきっと、楽しいことが好きで、ニンゲンが好きな人達なのでしょう。
全然関係ないのに、僕もそこに居れたような感じになって、ジンギスカンの味を思い出す。
人の優しさとは、連鎖していくもの。
16.雰囲気大事だな
いやいや、ポンよ。ポンの癖よ。好きよ。こんな会話してたら、そりゃ面白いよ。夏色よ。思い出すよ。2連の指輪の新解釈よ。初めて聞いたよ。2人とも天才。成瀬かよ。素で、成瀬は天下を取りに行くみたいな奴ら、いたのかよ。その場にいたら絶対笑ってたわ。おれも混ぜてーって。まぁ、俺はこの辺で帰るけどな。
いい香りを残して去って行く事にするか。
17.朝6時のVロード
ちゃんとタイトルで回収してくる。伏線の方が面白かったりする。でもまったく関係ないタイトルって記事は今のところ、ない。うなる。やはりタイトルは大事なんだ。でもやっぱり、なかみだ。なかみあってのタイトルだ。なんのはなしかわからない、そういうはなしのなかみ。俺がいたから一番有名。すごい。わざと言ってるはずなのに、本当に聞こえるんだ。もしかして、学校一のイケイケボーイズだったのではないかと。おれみたいなバックヤードボーイズではない、陽キャのリア充だったのではないかと。でも違うんだ。多分、等身大、みたいなやつだ。みんなと変わらなかったんだ。だから刺さるんだ。哀愁。懐かしのニケツ。女を乗せて運転するはなしから、後ろ向いて立ってチョメチョメしながら道路にいかにまっすぐ線を描くか競うはなし。そう、それは僕のはなし。
歴史は、こう変更される。
18.こっちのはなし。やらなきゃはじまらない。
おい、ちょっとまて!なんでこんなに熱いはなしなのに、スキが一桁なのよ!みんな、見落としてるよ!僕もだけどよ!FMヨコハマよ?知らないよ!おれは聞いたことないよ!でもきっとすごいはなしよ!そのはじまりよ!そして、あんなにムキムキなイケメンが2人も出てるのに、見なきゃ損よ!おれもマジでムキムキマンになりたい!あれが本当のムキムキよ!そりゃ顔つき変わるでしょ!体だけじゃなくて、人間として進化してるのがわかるよ!しかし、読んでて緊張しちゃったよ!Dさんよ。駆け引きよ。これが本当の勇気よ。携帯の背中がビチャビチャよ。まったくもう。でも、これ、このなんのはなしですかだけはマジで宣伝したくなった。
僕は、掴んだ細い糸を逃してはならないと直感的に思った。これは、チャンスだと。
19.スクランブル交差点
また中学のはなし。そうか。壮大なはなしをするときは、過去と直近を行き来しながら、脱線しながら、ちょっとずつ進んだ方が面白いんだな。ついこの前まで、ポップしか知らなかったけど、今なら「先輩」と出てきても、何となく「あの先輩かな?」と分かるようになったのだ。いつも時々読んでたなんのはなしですかなのに、何だか、急に、小説なんじゃないか?と思い始める。もしかして、俺は気づいちゃいけねぇ何かに、気づいちまったんじゃねぇか?ここは渡っちゃいけねぇんじゃねぇか?でも、ついつい失恋を思い出しちゃうのね。みんな中学で経験すんのかな。
恥ずかしさに打ちのめされた日のはなし。
20.岩手のアニキ
ほんのちょっとしか会ってなくても、出会いってすごいときがある。この人に会えてよかった。いや、もしも会えてなかったとしたら?そんなことさえ、もはや考えることもできないぐらい、つながってしまった人達。自分にもいるだろうか?この先に現れるのだろうか?いや、もうすでに会っているのだろうか?世界は愛に溢れている。
人に優しくされた記憶はずっと残る。
21.夏の戻りの一日を楽しむ
フラフラフフフ。ここで初めて?息子さんと娘さんが現れる。虫取りはいつだって楽しかった。しかし、今では全くの虫嫌いである。走り売り→コニちゃん→中学→ラジオ→中学→マラソン→高校…みたいな流れだけど、もうゴチャゴチャになってきて、なんのはなしですか。でも、読み手としても負けてられません。こちらもコニシ木の子相関図という、いろんな知識を蓄えてきましたからね。人間関係、だんだん見えてきたんすよ。そろそろ、読み手側のプロファイル能力が開花し始めるでしょう。まもなくね。きっとこれも伏線なんでしょう?まだ泣きませんからね?
いつの間にか、知識と技術が混じり合う瞬間がやってくる。
22.日本縦断仙台編
めっちゃ分かる!いや、ここにきてめっちゃわかるとか単純すぎる感想おかしいだろ。でもそういうしかない。スキが一桁。ちょっとまてぃ!こんなに涙が溢れそうになるシーンがあるのに?いや、もしかしたら、このあたり、嫉妬とかが入り混じっちゃってるから、あえて隠してるのか?おれは泣きそうだった。あぶねぇ。まだゴールしてないのに。古畑任三郎方式なのよ。もうゴールすることは相当初期に書かれてるのよ。でも、わかんないの。まだおれ、ゴールしたときの記事、読んでなくてよかったわ。オススメの記事から何回かいろんなところに飛んで読んでたからな。この先はなんのはなしです課通信も読まず、ひたすらポップとバザー、そしてコニシ木の子さんの行末を見守ることと決めた。ところで、毎回、写真は誰が撮ってたの?
僕の頭の中は、嬉しさ半分。嫉妬半分。
23.証明するには、駆け引きしかない。
いやいや熱いよ、バリバリの仕事のはなしだよ。出てくる人間、みんな魅力的だよ。これがあのコニシ木の子さんかよ。あのポップとバザーかよ。ほんとは全員にさん付けすべきだけど、もうさんさんさんさん打つのがめんどいから許してください。気になる!気になるよー!おじさん、この若者たちの行方が気になるよー!駆け引きはやっぱり、恋よりも仕事かな!?
崖っぷちは、自分の事を気付かせてくれる。
24.東京、神奈川そして伝説のラジオ
伝説なのに、スキ4だったから、僕がキリ良くスキ5にしておいた。ガラス一枚、同じ空間ではあるのに別世界とはこのことだ。僕はiPhoneの液晶ガラス一枚隔てて、この物語を読み進めている。伝説を、目の当たりにしているのだ。この高揚感はきっと、コニシ木の子さんが目の前にして感じていたものとは比べ物にならないだろう。それでも、noteはその垣根をギリギリまで近寄って見せてくれる。すごい。いつか僕もこんなすごいnoteを書けるような人になってみたい。ラジオの様子を想像しながら、思った。
それと同時にハッキリと、僕は、表に立つ側の人間ではないと自覚した時だった。
25.予定は。決定した。進むのみ。
伝説の次は、これまた伝説的なイベントの告知。英語が読めない私は、微力ながらも、とりあえずスキ3をスキ4にしたところで、次なる楽しみを見つけたのだ。イベントは2022年11月らしいから、もう終わっちゃってるんだけども、だからこそ既に結末がどこかに書かれてるだろうから、確実に追いかけられます。私は漫画もドラマも、完結したものしか読みません。なぜかというと、続きが気になるからです。せっかちなんですよね!24話ぐらいなら、下手したら一日で見切っちゃうんですよ!でも、コニシ木の子さんの物語は、24話読むのに3日かかりました!面白かったから、味わって読んだのです!僕がこの物語を、通信員の皆さんに伝えたい!コニシ木の子さんが望んでいるのかどうかまではわからないけど!勝手にそう感じたのであります!最後までこのスタンスでやってみる!
一人の一言が、一年経てば大きなものになるよ。
26.箱根越え。そして、静岡の兄やん
とうとう場所は、箱根。そして静岡まで飛ぶ。さっきまで岩手だか仙台だか、神奈川だったのにな!とりあえず、息子の日本地図パズルを見ながら場所を確認する。ここにきて、バザーとヨーへーの人柄の良さが、ジーンと染み渡る。ポップの粋な感じも、もちろん忘れてはならない。そして、コニシ木の子さんから突然のビジネストーク。
報告連絡相談はしっかりと。
27.先輩噺 山籠りの後輩とヒサシオブヒサシ
騙されるところだった。ちょっと前に、ヒサシと飲みたいみたいなことを書いちゃったけど、完全に撤回する。ぶっ飛んでる。やばいやばい。よくこの人とコンビ組めたな。コニシ木の子さんの、懐の広さは山並みである。にしても、ダーシもかわいそうなのか変わり者なのか、それよりニンジャが気になってしょうがないわ!地質調査の忍者って、アサシンかよ!でも、多分、僕も先輩に誘われたら絶対行ってしまう気がする。なんだか、面白そうな何かを感じてしまうんだもの。
自分の冷酷さに改めて気づいた。
28.東海から関西へ
なんかねぇ、このあたりからね、自分がなにかをやってみたくなってきたんですよね。これなんなんでしょうかね。2人の物語、一見、自分とは全く関係ない物語で、全然知らない人達の話なんですけどね、コニシ木の子さんだって最近noteで知っただけのnote初心者の私なんですけどね、なんか、すごいんですよ。自分の中の変化。めちゃめちゃ、ポジティブになってきた気がするんですよね。僕はスーパーネガティブなはずなんですけどね。そういう効果が、コニシ木の子さんの、いやこの人達からもらえたのかな。なんなのかな。
アホなのに、スキなのよ。だから僕も伝えたい。
誰かに与えて貰ったものは、誰かに返す。
当たり前の事だが難しい。
29.悪くないはなし
わからん。誰と誰が呑んでるんだ。まどわされないぞ。僕はトラップにかからんぞ。やはりポップなのか?でもポップはビールが飲めないはずだ。でもMEGAならビールじゃないし、やはりポップか?いや、ポップと見せかけてバザーなのか?山に登った話なら、ポップかバザーか、はたまたヒサシだ。でも時系列的には、どこの誰なんだ?これ、大晦日に書かれた記事なのよ。まぁでも親友には変わりないのだから、悪くないはなしなのよ。僕もコニシ木の子さんのnoteを読んで、いろいろ考えてみた。そう。これは妄想だけど。
僕らの人生に色々な繋がりが増えた事を考えた。
30.先輩噺 雪山のヒサシと体力の相関関係を求める事は僕の命題
ヒサシはマジモンでやばい。この命題は、そりゃ命題だ。普通は命題にすらならない。ついていけないからだ。それについて行ったのは、やはり、面白いからなのか?僕は体力的に無理だ。さすがに。そして、気付いた。ヒサシの記事だけ、あとがきがある。にしても、なかなか終わらない。なんのはなしですかは、永遠なれ。まだまだ30話。いや、コニシ木の子さんは、別に記事に番号振ってないし、これが30話だと認識してないと思うけど、目標の150話まで、まだ5分の1しか来てないのよ。まぁでも俺は大丈夫。だって、楽しいもんね。これ読まなきゃ、創作大賞の感想書かないって決めたからね。
やらなきゃ終わらないならやるしかないじゃん。
31.大阪ハワイキライブライブ
またいい人に出会ってる。いい人は、いい人に出会い、またいい人に出会い続けるループに突入するのだろうか。それとも大関の為せる技なのだろうか(何も知らない私が、コニちゃんと呼ぶのもやはりおかしい気がしてきた)。でも、一言だけ言わせてほしい。ここに出てくる人みんな、スキだ。いまのところ、ギリセーフのヒサシも含めて。コニシ木の子さんのことを知ろうとして読み始めたのに、コニシ木の子さん以外の交友関係ばかり詳しくなる。これ、なんのはなしですか。
人を好きになるのに、決定的な理由は、人が大事にしていることを同じように気にかけていてくれる事。
32.2006年始まりの終わり
これ2005年から2006年にかけての旅だったのね!ここでようやく知る。多分、僕はこのとき17歳ぐらいだったから、みんなとは7歳違うのかな?ほぼ一緒だと思ってたけど、僕が高校生のときにこんなことやってたんだーと思うと、単純に全然違う世界の人だったんだーってなっちゃう。かと思いきや、一緒なところも無理矢理感じちゃう。っていうか面白い。ブログみたい。noteじゃないみたい。この広島の女の子、めちゃくちゃ嬉しそう。今どこにいんのかな。多分、まだギリ20代なんじゃない?僕も、この長いnoteの旅が終わったら、今度は勇気出して、通信員にコメントしていけたらなと思う。シャイなんすよ。でもポップとバザーみてたら、なんかやる気次第で何でもできそうな気がしてきたんすよね。これは、なに?なんのはなしですか。
人と出会って話して、繋がりを得て成長する。
33.その男タケテル
うわぁ。まもなくゴールだって。もう九州まで来ちゃったよ。タケテルも気になるよ。人生最大の…だって!どうなるんだろう。気になって気になって、寝られないよ!明日から仕事が、あぁ休みたい!でも休めないから、眠たいけど続きを読むよ、読みます、いや、読ませてください。いつでも、自分のペースで書けるし、読める。noteは素晴らしいですね。なんのはなしですかと一言添えるだけで、誰でもクリエイターになれる。そんな言葉を叫び続けたコニシ木の子さん。ありがとう。この言葉は、いつだって、
自分をひけらかさないで、寄り添ってくれる。
34.旅の裏面
ここ、何も書けません。
強いて言えば、いつか見たようなサムネ。
こんなの奇跡だ。
35.旅の表面
なんのはなしかわからない状態で泣いたのは、はじめてかもしれません。もう、なんのはなしでもいいです。
36.来日40周年
ちょっと、まだ追いつけない。さっきまで沖縄にいたからだ。なんか、友達のサプライズに同席したやつみたいな気持ちから抜け出せない。全然僕は関係ないんだけど、日本縦断の擬似体験は、なかなかに大きかったみたい。ちょっと、一旦あいだを置くために寝ることにする。鼻水も出るし。
その前に、ここで一つ聞きたくなった。
なんのはなしですか。
37.好きなものに囲まれてみたら想ふこと。
昔、岡山県津山市に行ったことがあるけど、そこには178ナンバー結構いたな。それはそうと、私は、SNSで誰かと競ったり、比較したり、批評したり、されたりが少し苦手である。って書いてあって、もしかしたら、僕が今やっちゃってることって、嫌なんかもしれない、あちゃー!って思った。でも、そんときはそんときで、申し出てもらおう!消すのはもったいないから、公開したあと、秒で下書きに戻します。約束します。そして、次の言葉を信じたいから、書き続けます。
出来るなら、一緒に何かを創りあげたい。
38.生き物好きと繋がりたいと、やってみたこと。
僕は少年の頃、虫取りが好きだった。カマキリ、トカゲ、ザリガニ…いろんなものを飼っていた。本当は犬とか猫とかハムスターとかを飼いたかったんだけど、借家だったからペット禁止だったんだ。だからペットかどうかあやふやな虫を飼っていた。それを思い出した。ただ、見ているだけで良かったんだ。親は、早く逃してくれと言っていたけど。そのうちに親の方が名前とか付けだしちゃって。死んだ時も、ちゃんと埋めたりして。
一緒に時間を共有していると思うことでいいと思う。
39.谷崎潤一郎が好きである。それと同じくらい方言が好きである。
わかる。私は福岡弁の女子が好きだ。多分、双子の女子がいたら、福岡弁の方を好きになる。コニシ木の子さんの谷崎愛を感じて、このなんのはなしかわからない、一周回って自己啓発に疲れた人が癒される文体が出来上がったのかな、と勝手に推測する。答えはわからない。けど僕は今、マゾヒストの気分だ。究極のマゾヒストと、究極のサディストが闘ったらどっちが勝つのか。多分、マゾヒストだ。なぜなら、究極のサディストから何かをされても、何かをされなくても、マゾヒストにとってはどちらも尊いからだ。これは、コニシ木の子氏を探るための、僕だけに訪れた第二の日本縦断なのだ。わしゃあ、わしと闘うとるんじゃ。こがいなとこで、やめりゃあせん。
この日に至るまでそんなことが起こった事すら知らないで生きてきた。
40.山に想いを馳せるとこうなった
読んだこともない文豪の言葉が並ぶ。山並みを見て、ふと私も思いを馳せる。あぁ、コニシ木の子さん、なんのはなしですか、と。きっと、この人は山が好きだ。生き物を愛している。山にまつわるはなしが増えてきた。ただ、なんのはなしかは相変わらずわからない。無性に山ガールに会いたくなる。僕はちゃんとしたキノンチストになれるだろうか。もはや、僕にとってコニシ木の子さんは作家である。通信員の方々にも、同じ想いの人がいるのではないか。山と同じぐらい、今、コニシ木の子さんのnoteは僕の近くにいる。
作家と山は近くにあった。
41.一方的に約束したこと
こういうことになったりするのも悪くない。いや、悪くないどころか、羨ましすぎる。想像するだけで楽しすぎる。僕にはもはや、こんな話をした経験もなければ、それが実現しそうな友達もいない。連絡手段さえない。同窓会さえ、しているのかどうなのか、誘われてないから知らない。でも、こんなこともあるんだなとほっこりした気持ちは隠しきれない。情熱が溢れている。コバが元ヤンキーでもヤンキーでなくても関係ない。問題は、何がしたいか、なのだ。
人のほんとに好きな物の熱量とは、こんなに伝わるのかと思った。
42.廓言葉と花魁(おいらの姉さん)
吉原。僕も行ってみたい。飛田新地も。日本三大歓楽街は、中洲しか行ったことない。はるか昔の花魁のはなし。コニシ木の子さんは、やはり読書家である。こういう趣のある本が好きな人は、生粋の本の虫である。僕は29歳からの遅咲き読書家だから、よくわかる。学生時代から読んでる人との差がみえるのである。ある意味、昔のnoteを読んでいる感覚になるのかもしれない。他人の日記には、謎の魔力がある。見てはいけないものを見ている感覚が、背徳感をさらに恍惚感へとのし上げる。コニシ木の子さんのnoteを読む僕も、同じような気持ちである。
これは残された人達が判断すべき材料として知るべき事のような気がする。
43.担任の先生
ときは小学生。最近はどんだけ遡ってもへっちゃらになってきた。しかし、なんていい先生。パジェロに乗って…というのが懐かしさをより一層際立たせる。土曜日に他のクラスには内緒で、みんなでBBQなんて、絶対いい思い出になるじゃん。
そして、あの沁み渡る絵はなに。コニシ木の子さんのサムネを描いたInstagramの知り合いって誰?気になることが増えるばかり。出会う人が、その人の人柄や人生を良き方向に導くのって、本当なんだなーと思った。何気ない日々の積み重ねが、今の自分たちを作ったんだなーと。
毎日とは、毎日進むけれど、それなりに何かあるんだと知ったのもこの時だった。
44.娯楽、作家、藝者、お酒、家庭、日常とは物語である。
思い出すと、作家との出会いはよくわからない。記憶が曖昧である。元々知らなかったのに、気付けば読んでいる、なんてこともザラだ。気になったら読めばいいし、読んで違ったら、それはそれ。noteもそうかもしれない。ゴマンといるクリエイターの中で、どこでどうして読むようになったのかはわからない。私がコニシ木の子さんのnoteを読むきっかけは、おそらくコニシ木の子さんと同じように感動をくれたある女性クリエイターの紹介記事だったような気がする。ハッキリとは思い出せないけど、多分そう。それからちょこちょこ読み始めた。そして、今こうして初めから全部読んで、読んだままをただ書いている。これは、大変そうに見えている人もいるのかもしれないが、実はなかなかに楽しい。読書と同じ感覚だ。
自分の思うままに落とし込むのが、私の思う読書である。
45.チンニング(懸垂)の随想
なにをしてるんだ。懸垂してんのか、仕事してんのか、プチプチ数えてんのか、ただの空想なのか。これは一体、なんのはなしですか。一見、意味のない記事を読ませられている感覚に陥る。そして、俺は一体なぜこんなことをしているんだろう。当初の目的って、なんだったんだろう。と焦る。しかし、そんなことはもはや忘れてもいい。大事なのは、真剣に向き合うことだ。同じ熱量で、なんのはなしかわからない感想を書き続けるのだ。きっとこれでいいのだ。
無意味な事もやれば意味があることになるのかもな。
46.僕と大工と偶然と必然
甘美である。まるで村上春樹のような書き出しから始まり、1分足らずでコニシ木の子さんの文章にメロメロである。なんだか、ダブついた服をきたプロレスラーが、お前らの供述によると…みたいな説法を垂れそうな名前の本だが、これは是非読んでみたい。どっかでタイトルだけは見たことがある。ところで、ふと気がつくと、今何時で、ここはどこだかわからなくなる。コニシ木の子さんのなんのはなしかわからないはなしは、精神的なリカバリー効果があるのではないか?
都合のいい解釈だが自分を再生するには、「その時間も無駄じゃない」と肯定を含む否定をすることにした。
47.20年振りのこんにちわ
これは、久しぶりのヒサシなのか?いや、25年の付き合いだというから、ポップとかバザーなのか?でもバザーの仕事は違うはずだから、やはりポップなのか?そういえばポップは今何をしているのだろう。いずれにせよコニシ木の子さんは、山に対する並々ならぬ想いがあるようだ。戻ってこれたというぐらいだから。僕は山に行っても、山に来たと思うだけだろう。人は山を登るために一歩一歩歩くと、何かしら、普段とは違うことを思うのだろう。noteでコメントするとき、僕もこんな風に挨拶できたらいいな。
現実は、小さい事の積み重ねであり、いかにも自分達らしい一歩の進め方である。
48.たまに溢れる作詞『見て見ぬ筋肉と宿場町』
春のせいで、短距離ロマンスをしていた。知らぬ間に、作詞家になっている。意外な一面を垣間見た。そして珍しくコメントがあったが、短いのに本質をついた、なんかすごい内容の会話で、わらけた。僕も、境界線がわからなくなるときがある。BANされるのが怖いのだ。
こと、noteとは一体どこまでやっても平気なのか。
49.孤独に於ける考え方と、ダイエットに於ける孤独。
すごくイイ話だった。スタートから唸る話ぶりだと、決まって最後はなんのはなしかわからなくなる。そこがクセになる。僕は褒めます。すごいです。そんなに痩せるなんて、逆に元々なんでそこまで太ってしまったのかが気になります。私も9kg痩せました。誰かに褒めて欲しいです。孤独と書いて、ダイエットと読むのでしょうか。筋トレして、痩せて、意味がどうとか?はて、私が誰に何をしたっていうのでしょうか。
人間は、孤独を力に変えるべく、意思と感情を捨てなければ無限の可能性を秘めている生き物なのである。
50.ダイエットnote記録者としての心構えとモチベーションの場合
聞いたことない記録者のジャンルだ。この記事を読んで、僕も記録者だな、と勝手に仲間意識が芽生えてしまった。私と同じ疑問を呈した人がコメントしていたので、コニシ木の子さんの返信を読んだが、なぜかおっぱいに言及してて意味不明でびっくりした。政治家みたいに煙をまくとはこのことか。笑うしかなかった。
楽しい毎日をありがとうございます。
51.日陰に咲くシャガとオトシブミのゆりかごの行方
蟲界隈なるものを初めて知った。なんのはなしですかと聞く必要はなく、これはまさしく、山と蟲のはなしである。僕は蟲よりも、一流の聞き流しの芸術性の方が気になった。そして哲学的な話の方にばかり集中してしまう悪い癖があることに気が付いた。でもいいのだ。
私は私であるために私のための行動をする。
52.大江健三郎を味わい、続く作家の旅は壮大になりそうだ。
ここにきて突然、スキが80超であり、もはや僕の役目は終わったかに思えた。しかし、何とか耐えたのである。理由はわからない。いや、本当のことなんて、誰にもわからないのだ。僕自身にさえ。僕はこの本を読んでない。だが1973年のピンボールは読んだから、何となくだけどわかる気がした。わからんけど。なんのはなしですかの源流につながりそうな気がした。コニシ木の子さんの好みが、思考が、僕に交差した瞬間だったけど、すぐに何処かへ行ってしまった。どれぐらいのスピードだったのかって?
自分が一体今、どこの誰目線から読んでいるのか分からなくなるくらいだ。
53.ディ、ディ、ディフェンス🎵
なんかダイエットの記事がバズってるらしい。ふざけたことほど、人に読まれるようだ。noteは真面目に書くと読まれないのか?僕ももう少しふざけて書こうと思う。ちょっと丁寧に書きすぎたかもしれない。反省しよう。もっとふざけよう。しかし、これはこれでなかなか難しい。
私は人生に於ける防衛が一番難関だと思っている。何かを守る。これは、自ずと自分以外の何かが作用してくるからだ。
54.初夏の独り生き物祭り開催虫🐛
これ1人でやってんのか、と思うと、何やってんだと思う。でもなんか楽しそう。僕の家の周りもカメムシが大量発生しているから、それを写真におさめてnoteにしてみようかな。あと、家の中にピョンピョン跳ねるタイプの蜘蛛がよく出現する。家グモと呼んでいるが、正式名称はなんなのか?殺したらいけないという言い伝えを守り続けているけど、なんなのあれ。よくわからないけど、
私は、成長を実感し、成虫になれそうだと実感した。
55.哲学におもふ事情と、自分の事情は二乗でありたい
これは読んでみたい。僕は僕の判断で、なんのはなしかわからないはなしを、自ら進んで読んでいるのだ。決して義務感ではない。きっとそうだ。いや、本当にそうなのか?何かを期待しているのではないか?この時間は平等に流れていく。果たして、この後すぐ死ぬかもしれないとなったとき、僕は本当にこの続きを読んで、書き続けるのだろうか?否。多分、食べたいものをウーバーし、女を抱きに家に帰るのだ。
私は、再び自分の核となるものをしっかり考え、構築し、時間を使わなければならないと感じました。
56.「ジャッキーで泣いた」私はカッコいい大人になったと呟いた。
僕が初めて見たのは、ツインドラゴンだ。そのせいで、こんなすげぇやつが2人もいんのかよ!と思って親に聞いたら、CGよ。という間違った答えが返ってきた。なんやそれ。そのときは5歳だったからわからなかったけど、今なら言える。一人二役の間違いだろ!って。
お前の見る目は、間違ってないぞっていうはなし。
57.特別講演 3度の防衛と4冠の偉業を讃えて
僕は勘違いしていた。ダイエットの記事は需要があるから読まれるのではない。おっぱいの需要によって読まれているのだ。間違いない。
私は、胸に手をあてました。
58.通り名と日々の物語。文学とランニングの不安定
走るの好きなんか?私は走ることよりも、走っていることを頑張っている自分が好きなタイプだ。
気分の高揚や恍惚感、どこか背いてる背徳感。
人間の感情の起伏とは文字で表現出来る事を改めて知った。
59.ヤマドリからのメッセージはKONISHIKIと僕達伊勢原の物語への「待ったなし」
待ってました!大関のはなし!っていうかずっと大山(だいせん)だと思ってた!見てる人は全然気づいてないと思うけど、この辺りからnoteで画像が読み込めなくなってきた。見たいのに。下書きが圧迫しているのか?毎週通信を書いているコニシ木の子さんを思いながら、同じ現象が起きていたらウケるとか思いはじめて、一旦筆を置いた。
大丈夫だ。ゆっくりいこう。こう思った。
60.蛹(さなぎ)の必要性を問うたら結論としてとんだ迷惑かけているはなし
筆を置いたけど、またすぐ手に取った。そしたらこの有様だ。
サムネすら見えん。まじで一旦筆を置いた。
* * *
戻ってきた。地上に出たら直った。どうやら電波が悪かっただけらしい。なんじゃそりゃ。はじめましてのクリエイターさんが紹介されていた。通信の原型は、このあたりから出来上がっていたのかもしれない。なんか、優しい人多いな、本当、noteってところは。SNSとは思えん。そして、10年間書き続けるというとんでもない偉業を宣言されていた。僕は10年、追っかけようと思って、まだ宣言はできない、とグッとこらえた。僕には僕の、彼には彼のエンターテイメントが待っているのだから。きっとそれでいい。
何より、優しさの連鎖は優しさを生む。
61.村上がもたらす邂逅と4冠王の昼下がり
なんでやねん。やっぱり写真見れんやんけ。写真が私達とは無関係だと言うことは言わなくてもいいことだろう。なんならフィクションだということも。って書いてあるからめっちゃ見たいのに。まぁこういうこともあるのさ。しかし、村上春樹の文体を真似られるってすごいな。すごすぎる。羊のはなしを読んでるのかと、錯覚を起こしてしまった。
ねぇ、村上春樹は29歳の神宮の広島戦で、ふと小説を書こうと思ったらしいよ。
62.江戸川乱歩が呼び起こした私の記憶の入れ替わりは、語るべき怪談
画像が見えない呪いをかけられている。多分、この記事を公開するまで解けない。すなわち、ここからは読みたくても、画像なしで感想を書き続けなければならない。ある意味、文章だけに対する純粋な感想である。いや、よもや怪談である。急に画像が見えなくなったのも、この記事のせい?んなわけない。なんのはなしでスカート。
ふぉっふぉっ。←これ意外と使えるじゃん。
63.行動する私が影響を受けたのは開高健とインドの友人
現時点で下書きを開くのに6秒待たなければならない。大変な苦労である。でも通信の十通目とか十一通目あたりはまだまだこんなもんじゃないだろう。iPhoneの充電も一つ記事の感想を書くたびに、5%ずつ削られていく。ところで、私も昔ツーブロックにしていた。つむじから4センチのところぐらいまで2ミリでゴリゴリである。長髪にして、ツーブロックを隠し、風が吹けばバーコード状態だった。コニシ木の子さんも私と同じく、組織に属する人間だと知り、なぜか嬉しくなる。
それを知りながら誰も何も言わずである。
64.香りが呼び起こす記憶に、僕はウィンクせざるを得ない
この辺りに来ると、5回に1回の割合で、下書きを開いた瞬間にnoteアプリが落ち始める。これはアプリの仕様?それともiPhoneの限界?その度に「見つける」から「コニシ木の子」という履歴を押し、「クリエイター」から「月別」へジャンプする。まだ2022年5月なのか。半分も来てねぇじゃねぇか。絶句する。もちろん、画像なしで記事を読んでいる。決してふざけてはいない。ただ、noteの社員か誰かの目に止まったら、上司に報告してほしい。書きたいのに書けない現状があると。これはもったいない。同じことを思っているのは僕だけではないはずだ。せっかくのお肉のはなしも、タイさんのはなしも、全く入ってこないじゃないか。今までに誰か訴えた人はいないのか?おしえてくれ。
誰が言ったのかわからないなら、僕が言ったのだろう。
65.介護論と遺伝論を凌ぐオンエア。娯楽の有り難さを知るハタチの思慮。
僕がnoteの不具合と闘っているさなか、彼はジィちゃんと闘っていた。急に、他人事とは思えない、介護の話である。わたしにもジィちゃんとバァちゃんがいた。今頃は2人で仲良くしているのだろうか。上手く書けないけど、似たような感情はわかる気がした。だって、かくいう僕も、
今でも、ハッキリ思い出す事が出来ない。恐らく認めたくないと、自分で記憶を消しているのだと思う。
66.翻訳者須賀敦子が書いた本人の言葉は、僕に旅をさせた。
コニシ木の子さんの文章は、つかみどころがない。でも、なんとなくコニシ木の子さんが書いたものだとわかる。本を読んで、あぁ、何となくこの人の書き方だなぁとわかる。あの感じと似ている。今日もどこか、遠くに連れてっておくれ。
時の経過を明確に記さない描き方は、読み手に想像力をかなり膨らませる。
67.先輩噺 仕事を楽しむヒサシの姿、目標にはならない。なんてな。
今、こんな感じである。
ここにきて、突然下書きが見えなくなる現象が発生している。めちゃくちゃ焦るのでやめていただきたい。びっくりさせないで。といいながら、ここでめちゃくちゃ困惑する。デジャヴである。いつか読んだ記事である。なんだこれは。もしかして、読む順番を間違えたか?たしか、すでにヒサシが出てくるのは4〜5回目である。「14.夏企画実行中」とダブる。今どこにいるのかわかんなくなった。どうしちゃったんだおれ。でも、ヒサシが愛おしくなっていることに変わりはない。
それは、忘れ難い時期であり、そして忘れ難い1人の人間によりもたらされた奇跡の時期だ。
68.映画ベスト・キッドを引き継ぐのは今日で正解だろう。
木の子もすごいが、木の子の子もすごい。元気の子だ。おいしいマイタケとブナシメジが食べたくなる。昔、ジャッキーがやってたベストキッドを見た気がする。映画の設定では、師匠の子供だったかどうかは覚えていない。でも、自分の子供が、自分を超える瞬間を見ると、目頭が熱くなるのは俺だけなのか?まもなく我が子も小学生。まだ買ってはないけど、そのうち、ゲーム漬けの日々になるのだろう。ドライブなんて行かなくなるのかな。なんだか急に寂しくなった。自分にもまだ寂しさという感情があることを発見し、変な気持ちになる。
あと何年一緒に行けるだろうか。
69.私が描く女性論を、いつか三島由紀夫、谷崎潤一郎に語れのるだろうか
エッチな番号だから、変なこと書いちゃおうかと思ったけどやめた。この記事からは、大人のエロさとは何か?そもそもなぜエロいと感じるのか?本能ということで話をおさめていいのか?となった挙句、もっと自分が書きたいことを自由に書こうと決めた。そもそも、僕がコニシ木の子さんの記事の感想を書いたとて、誰に何の需要もないと思われる。これまでも、感想を書いたつもりはなく、読んだときに何を感じたかを書いただけであり、僕の感想を読んだところで、なんのはなしですか?と質問されてもおかしくないのである。とりあえず、コニシ木の子さんと打つのに2回の変換を要するので、これ以降は、コニシさんと呼ばせてもらう。しかし、文章はむずかしい。
まぁ、無理な時は一緒に勉強すればいい。
↑これ。むしろ今これ。気付いた時に震えた。
70.珈琲と喫茶店。大人になった僕に、笑顔とバストは未だに物語る。
あぁ、こういう話好き。こういうの書きたい。僕が書いたら、ただの気持ち悪い願望になっちゃう。でも今度挑戦してみたい。下心はまだ、失ってはいないから。この記事で一番良かったのは、アサミメーコさんのコメントです。なんだか好きになってしまいました。でも、たしか蟲界隈の人です。記事を書くのをやめて、フォローしました。あぁ、これも下心かもしれない。
我ながら、引く。
71.「好奇心」を哲学するのに私に必要だったのは、大工と海外文学だった。
読んだことないけど、なんか読んでみたくなる。コニシさんの書き方。あと村上筋肉倶楽部が気になる。多分、村上テイストはここで筋肉とともに鍛え上げられたのだろう。自撮りを載せるとビューが下がるというのは、noteにおいてはどうなんだろうか。相変わらず画像が見れないから、まぁいいけど。とりあえず今の私に必要なのは、プロテインとマルチビタミンである。私は自ら与えられにいっている。この路地裏に。
人から与えられるものは、自らの好奇心により、いかようにも変えられるものだ。
72.デパートと流行を考える。駄々の落とし穴と親子の確認。
多分、コニシさんと僕は小学校1個分ぐらいの歳の差だ。だからジェネレーションギャップはあるのかもしれないが、なんとなく近い時代を生きていると感じる。僕の愛車はサイクロンマグナムだった。友達の缶スプレーを借りて、金ピカにしていたが、家の前のアスファルトを走らせた結果、ドブに落ちて全損した。子供にはなるべく買ってあげたい気持ちもあるが、金銭感覚をちゃんと身につけてほしいのもあり、なかなか私自身の踏ん切りがつかない。子供からは、お父さんは自分のことしか考えちゃあない。と言われる。おもちゃよりも父親が欲しかった僕は、あのときどんな気持ちで、レブチューンモーターを片手に、チューニングしていたのか。
私は現在そういう思いを自分の子供にさせていないだろうか。たまに似たような事を指摘されて自分でゾッとする時がある。
73.初心に帰る道には、萩原浩と私の20年。忘れられない一冊と忘れられないバストを添えて。
いいなぁ。僕もこの長い旅が終わったら、かつて読んだ本の記事でも書こう。そう思った。今読んでる本ばかりではなく、当時の感情とともに棚卸をする季節になったのかもしれない。読書は循環棚卸だな。コニシさんの文章がスーッと入ってくるのは、やっぱりたくさんの挫折の上に作られたものだからだと思う。人の挫折の話が好きだというと、性格悪いと思われるかもしれないけど、そこに人間臭さを感じて、好きになることが多い。あくまでも僕の場合だが。
底が深い人としての器を作るには、挫折の繰り返しが必要だと思う。
74.KONISHIKIの来日40周年イベントは、僕達を17年前に連れてった。
もう、ばか。
おれ関係ないのに、溢れちゃった。
日本縦断を追体験してよかった。
75.所信表明をするのに必要だったのは、大江健三郎と看護師と大工だった。
多分、コニシさんと読書の趣味趣向は全然違うと思う。だけど僕も、熱を帯びた文章が好きだ。
76.岡田メソッドは、無関係の私をその舞台に引き上げる。追い出されるかは別として。
ここはちょうど、約150記事の中間地点だ。紆余曲折あったが、今は物理的な不安でいっぱいだ。下書きを開いて、表示されて、スクロールして、入力ができるようになるまで12秒ぐらいかかる。これを見てくれ。
もちろんこれは真っ白の下書きではない。この記事の下書きなんだ。リンク貼り過ぎたら、こうなっちゃうのか?この倍の記事を貼っていくのに、ここで一旦区切るべきか?今すでに20,000字だぞ?いいや、区切らない。絶対に一個の記事で出すと決めたんだ。引こうと思ったときほど突き抜けろって、誰かが言っていた。これは僕vs僕のたたかいだ。おれは勝ち負けにはこだわる性格じゃない。でも今回は勝ちたい。
「勝つのが好き」という子を育てるか「負けるのが嫌だ」という子を育てるか。問われています。
77.使用方法を間違った事に気付いた私はこうしてnoteにやってきた。
まじかよ。そんな出会い方なのかよ。新卒後輩くんのおかげじゃねぇか。日本走るやつ、こんな感じで書き始めたのか。さすがにおじさんは、Instagramを追っかけるのはまた今度にするよ。それにしてもすごいな。おじさんも同様に動揺してしまったよ。おかげさまで朝から、
コーヒーを飲む手の震えが止まらなかった。
78.開高健の嗜むという意味と趣味の域を越える粋に私は憧れる。
重松清は、大昔に「ナイフ」を読んだっきりだった。多分、この人が解説書いてるくらいだから、間違いないのだろう。
いまこの人ごみのなかで、それがありありと昏迷のなかよみがえってくる。
79.やってみた大賞へ捧ぐ、『独占記事』~SNSで知り合った蟲好きナースに昆虫食を食べてもらうまでの私の記録~
さっきフォローした人が歌をうたっていた。何がどうなったかわからないけど、聴きながら不思議と、昔、玄関でお菓子の空き箱に砂を入れて蟻地獄を飼っていたことを思い出した。神社の軒下の柱の根本から見つけ出したのだ。あるとき、いつものように庭のアリを捕まえて蟻地獄にあげたのだが、どうやら引越ししていることに気づいた。彼はプニプニで繊細なやつだ。そーっと探した。でもいなかった。彼に悪いと思いながらも砂を全部出してみた。それでも見つからない。そのとき、頭上をトンボみたいなやつがフワフワと飛んだんだ。
なんのはなしですか。
80.安部公房を読み始めた私の秘密は、秘密であるかは秘密である。
自己分析をして、自己を理解する。また、他者理解に努めて、それも自己理解に通ずる。そうして、自己をどんどん理解してはじめて、ちゃんとしたものが書けると思っていたが、どうやらそんなに思い悩む必要性はないみたい。これはここで知り得た私だけの秘密である。
自己を何か知らずに書いてもいいのだ。その時何かわからないものを追いかけるのも、わからないと表現出来るのが文学であると最近思うところである。
81.山奥で私は妖精になる🧚♂️それは年一で決められた事なんだ。
たしか、30まで童貞なら魔法使いで、40までいくと妖精になると聞いたことがある。30で妖精と言っていたやつもいたが、そいつは東海地方のやつだったから、もしかしたら地域差があるのかもしれない。しかし、ここまで蟲と山の話をされると、とりあえずキャンプにでもいきたくなるなー。飯盒炊爨してぇ。山で体感したい。鳴き声とか。にしても妖精会議って神イベントじゃな。食べる側で行きたい。
ゆっくり流れるのを実感すると、自然と生き物や風の声が聴こえるようになるから不思議だ。
82.OKの一言は、僕には重い意味を持つ想いを思い考える。
しれっと、めっちゃ熱いことやってる!久々にバザーの話出た!大関関連の記事が好きなことに気付いた!急にテンションあがる!でも、どの記事も同じぐらい本気でふざけてるから、こちらもふざけながら続けていきたいんだけども、これはいい話過ぎてふざけれない!そして、こんなこと言ってくれる人に会いたい。
失敗してもお前がやりたいならやれよ。
83.1968年の文学の熱さに少しの嫉妬を覚えるロストジェネレーションの憂鬱
一瞬だけ村上龍に触れられていたが、そこから限りなく透明に近いブルーを思い出した。世の中にはとんでもない本が、とんでもない数ある。自分が死ぬまでに読める冊数は、今の僕のスピードだと3,000冊がやっとだ。でも、冊数とかじゃない。自分がやべぇこれ!と思える本にどれだけ出会い、それに何を感じて、どうしていくかが大切なような気がする。カッコよく言ってみただけだ。
それは「世代が違うよ」ではなく、こちらから追いかけて取り入れるべきだ。
84.滑らかなロマンスは、ムダをなくす日々への始まりだった。
眉毛から下の毛を全てなくした経験がある。一番困ったのは眉毛だ。汗がめちゃくちゃ垂れ落ちてくる。1番しぶといのはヒゲとスネ。ヒゲは、無印良品の毛抜きで、来る日も来る日も、丹念に抜いたが、とうとう埋没毛に伴う肌荒れや色素沈着も発生し、あえなく断念。スネは、女装でダンスする出し物の度にやっているので、もう何回目か不明だが、まるで不意に現れるチリチリした彼のようになっている。
君たちは、決してムダなんかじゃないよ。
85.本との本当の出会いを考える僕に、イケてる風が吹くのは止めようもない事実
下書きが軽くなった。iPhone13(128GB)を使って書いているが、容量が残り10GBを切っていた。上の方でnoteアプリに対する泣き言を半べそかきながら書いたけど、もしかしたら僕のiPhoneのスペックのせいかもしれないと思って、画像やらビデオを整理して消した。10GBぐらい消したら、割と動くようになった。そこで思った。85記事のリンクを貼って、このガタガタ具合だから、毎週100記事以上の通信員の記事をリンクさせているコニシさんは、少なくともiPhoneで noteを書いてないだろうと。多分パソコンで書いてると思う。俺の直感がそう告げている。そして、おそらく使っている携帯はアンドロイドだ。俺の下書きの動作カクカク問題は、noteアプリじゃなくて、デバイスのスペックの問題だ。note株式会社さん、ごめんなさい。iPhoneかパソコンか。どちらでnoteを書くべきか。
二択を間違える。あの時選ばなかった方が正しかったのではと、事あるごとによく思う。
86.いつか、大江健三郎を「味わう」から、「語る」に変化する事を日常に求めたい。
この記事、めっちゃカッコいい!好き。いや、全部なんのはなしですかって言いたくなる記事ばかりなのは当然なんだけども、中でも自分に刺さるものが結構ある。私も思考の過程を見るのが好きだ。思考の過程なんて、外からじゃわからないからだ。それを読める。気持ちいい。なんで、こんなにコニシさんの文章が刺さるのか。面白いからどんどん読んじゃう。以前、読書術に関連する本40冊分の記事を書いたけど、コニシさんの読書に対する向き合い方が、個人的に好きなのかも。
自分のどこにこんなに触れてくるのか、もっと探らなければならない。
87.僕のアドバイスは、痛さを伴う歴史を語る。
これは、そうかもしれない。僕にはまだ、走る機会はないが、あと数年もすれば学校で走らされる日がくるかもしれない。そのときは体育館シューズではなく、ちゃんとしたランシューで走りたい。あのときのフルマラソンのせいで、僕の膝はちょっと長距離を走るとすぐ痛くなるからだ。そして、走ることにより、もしかしたら、4個目の結石が剥がれ落ちるという危険性もある。なんのはなしですか。
痛いという言葉の裏にはドラマがあるんだ。
88.世の中のブームの立役者だった私の記憶を呼び覚ますには、彼女の薬が必要だった。
めちゃくちゃ気になる。なんせ画像が見えないからだ。今までは画像なしでも何となくいけた。でも今回は、なんのことか全くわからず、なんのはなしですかと、聞きたくても聞けない。本当になんのはなしかわからないからだ。僕は、なんのはなしか分かった上で、なんのはなしですかと聞きたい派なのかもしれないことがわかった。いやでも、やっぱり聞かざるをえない。これは、なんのはなしですか。
存在することで愛という存在を立証しているのである。
89.KONISHIKIを「好きだからお祝いしたい」と気付けたプレゼンに成功を占う。
いやぁ、いいですね。大関のはなしのぶっ混むタイミングが好きです。コニシさんの人柄が溢れているからでしょうか。イケメン会社員は皆、パワポの作成技術が高いです。ここに来てたまたま画像が見えたのもよかった。新聞記事でフルネームを認識しました。初期の記事でも見てたはずなのに、ちゃんと読んでなかったことに気づけました。「もと2」も16人もいたんですね。想像より多かった。僕は全く関係ない人間ですが、noteを読んだり書いたりして、コニシさんとは勝手につながっているものだと思っています。会ったこともないですが、気持ちはすでに、仲良しです。相撲も見てないですが、大関が好きになりました。
自分の繋がりは小さくとも、誰かがどこかで繋がっている。
90.「憧れの人」になった自分は、恋愛対象外と知った夏の日
やはり、コニシさんはiPhoneユーザーではない。
そして、右利きだ。もしかして、左手に嵌めている時計は、G-SHO…
それは聞かない事にする。
91.久しぶりの谷崎潤一郎に、再び女性が好きだと告白してみた
論争というと、私の中でもある。御座候問題だ。これは白黒ならぬ、赤白問題である。結論を急ぐのが嫌いな私は、結局「赤2個白2個」と注文してしまう。最近は、買った時についてくる御座候ユーザーのほっこりエピソードが書かれた紙を収集する癖が発動している。いつか、お気に入りのエピソードをnoteで紹介してみようかな。結局のところ、私とコニシさんの揺るぎない共通点は、
「女性が好きだ」ということになる。
92.残り3ヶ月になり、考えること。不思議な空間にいる自覚を書いておけ。
noteに何かを残すこと。これは、note株式会社が存続する限り、大丈夫だ。もしもこのまま一生赤字続きだとして、どこか吸収合併されるようなことがあっても、とりあえず記事だけは残して欲しい。それを合併契約に盛り込むことを条件にしてください。お願いします。そのほかに私が思うことは、以下、コニシさんと同じです。
もしかしたら、自分の子供がいつかこれを発見するかも知れないと思って書いているし、自分の文体の変化を知りたいので今出来る精一杯の表現を残そうとしている。
93.生活を丁寧に感じる事は、時代を経過しても時が戻る事を向田邦子から学んだ。
よく「適当に書いてみた」と綴られたnoteを見かける。僕もどっかに書いたかもしれん。しかし、適当とはいえど、それなりの適当である。ちゃんとした人から見れば適当かもしれないし、ちゃらんぽらんな人から見れば適当じゃないかもしれない。適当といえど、適当にもいろいろあるのだ。
さて、私はというとしっかりあなたに影響されて自分の気持ちの動きを丁寧に落とす事を今している。
94.ミステリーを読んだら自分がミステリーだと気付き、さらなるミステリーを呼び込んだ事件
コニシさんへのオススメのミステリー小説は道尾秀介の「向日葵の咲かない夏」でございます。なぜオススメかは言えませんが、面白いと思うからです。すでに読んでたらすみません。いや、やっぱり読まなくてもいいです。僕が好きなミステリーは、高野和明の「13階段」と宮部みゆきの「火車」です。何かを探し求める系の話が好きなのかもしれません。あぁ、
人の良いところばかりが目につく。
95.トニ・モリスンから知ることは、上っ面で生きてることを認識させてくれる出来事だった。
本との出会いは、本当の出会いだ。みたいなことをコニシさんが言っていた気がする。この記事を無事に書き終えることが出来たら、コニシさんオススメの本を読むかもしれないし、読まないかもしれない。約束はできないけど、読みたいと思っていることを残しておく。自分であとで読み返して、思い出すかもしれないから。そのときに思うだろう。
読書家。読書冥利に尽きる場面に出くわしたと知る。
96.伊勢原で物語が始まる店の物語を始める男は11月に新たな物語をつくる。
昔、シチュエーションは全く違うけど、居酒屋で私がトイレに行っていた隙に、私のタバコの葉っぱを全て七味唐辛子に入れ替えるというささやかな嫌がらせをされたことを思い出した。私は知らずに吸ってしまい、喉が火傷するほどの痛みを感じ、2分ぐらいむせ続け、周りは大爆笑。これはやめた方がいい。今では、借家だった実家は取り壊され、地元に帰ることはほとんどなくなってしまった。あぁ、地元に帰れることが羨ましい。
地元に根付く。簡単に言うが実践はなかなか難しい。
97.人の日常に、本が重なる時、何を自分に受け入れるかは、心が問われる。
難しいタイトルですね。考えさせられます。多くを書かない方がいいときもあるのかもしれない。そう思って、ちょっと短めの感想にチャレンジしてみる。
当たり前だと感じていた日々から警鐘され、改めてそれを幸せと感じるという自分の心に誰かの何か意図を感じてならない。
98.繋がりを大事に考える人と、伊勢原という場所で私達と出会ってしまったということ。
思えば、神奈川県は横浜しか行ったことがない。X JAPANのhideを愛しているので、いつか横須賀市に行ってみたいと思っていた。今は伊勢原市にも行ったついでに鎌倉と茅ヶ崎と横須賀に行こうという気に変わっている。これはすごい変化なのだ。hide<コニシさんなのだ。これを読んで、とりあえずnote続けようと思えた。
最初からうまくいくなんて事は何のカテゴリーでもほぼない。それでも、継続して発信し続ける。折れそうになってもなんでもだ。その中で繋がった人達を大事にする。その繰り返しだ。
99.低予算海賊団は、相田彦一氏を支持する。
クイズで思い出した。シャボンディ諸島で止まっている私のログが動き出したのか。昔、就職するために資格武装していた私は、生物分類技能検定なる意味不明なものを取得していた。ランクはもちろん、1番下の4級である。よくわからないがコニシさんやアサミさんは、1級レベルではなかろうか?もしかしてもう持ってたりして?
お父さん。それは要チェックや。
100.大工に導かれた読書の「旅」は、各駅停車が醍醐味である。
夜想曲で思い出した。夜想曲といえばノクターンである。中1のときバリチュー3重奏で「ノクターン」という曲でアンコンに出場した。私が下手すぎて県大会で予選落ちした。バリチューとは、ユーフォニアムとチューバによるアンサンブルであり、アンコンとは冬に行われる全国アンサンブルコンテストのことである。翌年は、金八(金管八重奏。通称キンパチ)で地方大会まで行き、あと1点で全国行きを逃すという苦い経験をした。吹奏楽という芸術世界は、まさかの点数制である。1点差で負けた相手はバリチュー4重奏だった。知らない人のために解説するが、バリチュー4重奏とは、野球に例えるとキャッチャー4人組、サッカーに例えるとキーパー4人組だ。そんなことしたら、どんな大所帯の有名校でも、他のチーム編成が組めなくなる。それぐらいの力を入れた学校だ。めちゃくちゃ上手かった。
なんのはなしですか。
101.伊勢原が映えるチョークアートは、私に降りた天使からの囁きだった。
チョークアートっていうのがあるのか。知らんかった。居酒屋とか雑貨屋でよく見かけるアレか。てっきり消えるものかと思っていた。昔、結婚式のウェルカムボードを自作するのに、ホワイトボードペンで黒板風の板に書いたことがある。あれよりもチョークアートの方が映えそうだわ。
消えないのはいいですね。
102.あの日の小錦と同じ現場にいた記者から学んだ。伝える事の素晴らしさと表現の在り方。
こんな風に書かれたら、気になるじゃないかとコラム記事のリンクへ飛んだが、リンク切れだった。そりゃそうだ。ときは2022年8月だからな。僕はコニシさんの文章が、単純に好きだ。そのようにしか表現できないことが申し訳ないが。僕は、文字からしかその人となりを想像できない。でも、それでいいと思っている。きっとそれはいいことだ。
文章の奥の人間を感じる。それが書き手としていいことなのか悪いことなのか。
103.僕達が探していたあの欠片は、一体なんだったのか。関西編
伊勢原はマジでヤンキーの巣窟だったのか。そして山ビルとはなんなのか。検索したら、とんでもねぇやつが一瞬みえたので、そっと閉じた。最近はUSJに行ってない。ハリーポッターが出来てすぐ以来だ。マリオのやつに行ってみたいな。
本場に来た実感と感動は、僕達をその気にさせる。
104.道徳アプリの道標
これはやばい。おすすめです。
105.伊勢原市民は、自分の事より誰かのためだと力が出るタイプ
自分にはこんなことできないけど、応援したい気持ちだけがどんどん溢れてきた。もう終了しているイベントなのに、どんな感じだったのか楽しみなのは、変な感じね。コニシさんのなんのはなしですかは、まさにこんな感じ。
人は、人をすぐに好きになったり近くに感じたりする事はまずない。その人に興味を持ち好感を抱かれている事に気付いてようやく半歩近付いてくれる。
106.伊勢原市の南国フェスでチケット先行販売する心構え
ここにきて、僕は一体何を伝えたくてこの記事を書いているのだろう、という疑問が沸いた。沸いたけど、すぐに消えた。ということは、もう伝え切っているのかもしれないし、特に伝えたいことはなかったのかもしれない。ただ何かを書きたかったはずなんだけど、それがなんのはなしだったのかを思い出せない。ただ僕も、
どれだけ多く語り、どれだけ多く露出しても本当の意味で伝わるのは1%いかないと思っている。
107.38枚の重さとクライマックスに向けて整った
僕はなぜか最後のチラシ一枚しか画像が見れなかったけど、ゾクゾクした。胸がゾワゾワした。人が合掌してる姿見ただけで、こんなことになったのは初めて!言葉だけでも感動ってするんですね!
108.想いを形にされると、何にも言葉を紡げない情けなさ。伊勢原っていいわ。
神奈川に行くなら、絶対このお店に行こうと誓った。多分、この誓いは忘れないと思う。
109.始まりと終わりの合図を同時に伊勢原で聞いた。
多分だけど、コニシさん、伊勢原市で選挙したら一発で通るんじゃない?それかポップ。
110.地元に根付く仲間の足跡は、伊勢原の魅力を引き上げる。
すごい数の応援!お店の数よ!おれんちあがれやが1番気になる!名前だけで判断したけど!
111.10.4の始まりに向けて
これ、リアルタイムで追っかけたかったわー。絶対楽しかったわ。行けなくても楽しかった。間違いない。こんなに楽しそうな人達、久々にみたわー。よく考えたら、このときってまだコロナ結構ひどかったよね。すごいわー。なんのはなしですかの威力とかのはなしじゃないよ!コニシさんとその周りのはなし!
112.人が動けば応えてくれる街で考える。
ティッシュ片手に、うわぁ…としか言えない自分には、一体なにができるのでしょうか。
113.順番に時を刻むということを、伊勢原で考えられた幸せ。
控えめに言って、日本屈指の良い街でしょう。かっこいい大人ばっかり。羨ましい!コニシさんがこんな良い街にしたのか、良い街だからコニシさんが生まれたのか。行きたくなる一方です!
114.託す。という感情は自然と生まれてくる感情だと初めて知った。
もう「頑張れ」しか書けない。
115.あと1ヶ月で想ふこと。やれることをやりきろう。
今電車。動画なんて見れるわけない。俺のせいで電車止まっちゃうかもしれない。体調不良と間違えられて。
116.読むたびに色変わりするもの
ここにきて本のはなし!えぇぇい!粋な演出ぅ!
117.チョークアートと伊勢原とKONISHIKI
あまりにも画像が見れないから、この記事を書き終えたらもう一度読み返そうと思いました!
チョークアート見たい欲やばい\(^o^)/
118.出し惜しみなく大事な事を寄り添って伝えてくれる大人に出会えてよかった。
なんか、僕の人生はいつもネガティブな感情が多かったけど、こういうのを見てると、世の中まだまだ捨てたもんじゃないなーと素直に思える。おじさんだけど、卑屈にならずに日々を楽しく生きようと思う。自分の中の、眠っていたわずかなポジティブマンが現れ始めた気がする今日この頃。
119.伊勢原に遅れてきたラストピース
伊勢原から何百キロと離れたところに住んでるけど、なんだかとっても身近に感じてきました。なぜだろう。
120.あとは、伊勢原でKONISHIKIを待つということ
あぶない。
121.残したメモから何をおもふか。伊勢原での三日間🌈
俺、そっと閉じる(不戦勝)。
あとでビデオ判定。負け確定。
122.チョークアートの御披露目と成長する司会者。伊勢原とKONISHIKI
この歳になると、子供の絡むエピソードが出てきただけで泣きそうになってしまう。結婚してからだろうか。涙腺がウルいことになってしまった。おじさんはすぐ泣くのだ。
123.私達の17年間を語るには40周年をお祝いする必要があったというだけ
おじさんの僕は何にもしてないけど、なんだか一緒に頑張った気持ちになりました。ありがとう。
124.読書を再開したら、中谷美紀に告白をしてInstagramにお別れを告げた日
そうそう。僕も読書を再開したい。傍観者のおじさんでさえ、ここ数日は許容範囲を越えそうな物語だったのだ。
読む文章からは、より「好き」になってしまう要素しかなかった。
これをつまり、二度目の恋と名付けよう。
125.サッカーと私の本気のはなし
多分、その気持ちは選手に届いているのではないでしょうか。私はスポーツ観戦に夢中になることが少ないのですが、なんだかとっても応援したくなるような、ビール飲みたくなるような気持ちはわかります。むしろ、みんなと同じようにスポーツ観戦で楽しみたいけど、どうやったら興味が出るのか教えてほしいぐらいです。なぜか、勝ち負けに全く反応できない。みんなプロとして頑張ってるんだから、プロじゃない人がヤジとかやめなよ!とは思います。そこは同じです。
126.未だに五里霧中の中に。私の安部公房の道程は大工の助けが必要だ。
文系か理系か。自分は大学に行ってないからか、よくわからない。ただ高校は理系の学科だった。でも、noteをやっている自分をフカンしてみると、文系かもしれない気もする。でも何が文系で何が理系かよくわかってないから、結局は好き嫌いなのか?いずれにせよ、興味がないことはなかなか調べる気が起こらず、今もどっちなのかわからない。大工はすごい。文章からなんとなく理系っぽいのがわからんでもない。しらんけど。
127.自分はいつでも取り戻せる。決意は下心からで良いと思う。
おっぱいとおなかは、一体いつになったらなくなるのでしょうか。胸の谷間には、白髪が生え始めました。眉毛も白髪、鼻毛も白髪、全身が白髪だらけであります。たしかに、イベント時の画像を見て感動してたのですが、ダイエット記事のわりには…なんのはなしですか。
128.プレゼントされた星野道夫は、私の指針を再び示すのに必要なことだった。
私も人に本をプレゼントしたことはないし、されたこともほとんどない。これは勇気がいることだ。以前は読書メーターをやっていたから、色んなオススメをしたり、されたりしながら、読んだり読まなかったりだった。なかなかオススメなんてできない。相手のことを知らないと、ただの独りよがりになりそうだからだ。ゴリ押しされたなら、その相手が誰か?による。後半は読書記事が多いので、コニシさんのオススメはどれか一つは必ず読んでみようと思っている。
129.青春の感触に行列する心理は、歳を重ねても分かち合える。
大関の話の次に好きなのは、バスト氏のはなしかもしれない。喫茶店のバスト氏の続きが気になります。
130.第二回伊勢原素人落語大会で感じる。じゃあこれを書いている俺はいってぇ誰なんだい。
そういえば落語って、一度も生で見たことない。エンターテイメントでいうと、僕はものまねを見るのが好きだ。新宿にあるそっくり館キサラにはもう5回以上行った。出張することがあれば、高確率で行ってしまう。そして泣いてしまう。面白すぎてではなく、すごすぎて。
131.室生犀星の私小説は、改めて自分に向き合う時間をくれたみたいだ。
もしも、自分自身が画像生成AIだとしたら、いかに美しい女性を表現した文章に出会うか、それ次第だと思った。どこにも存在しない、美しい女性が、自分の頭の中だけで作られたとき、それを外に表現する術がないことが、大変にもどかしい。頭の中がそのまま投影できる技術ができたら、とんでもなくそそられる、エモい画像を投影したい。
132.内面を上げるのに必要なのは、少しの負荷とテンションかもしれない。
大変だ!見落としてた!村上筋肉倶楽部!っていうか他にも大量にマガジン発見!しまった!マガジンから見ていけばよかった!気付くのが遅すぎたな!こんな1から150まで順番に見ていく意味は、あるのか?いや、ある!これが本当の順番だ!マガジンから読むのは、あとだ!投稿順にみるのがセオリーだ。そうだろ?
133.世代交代と統一戦。どれも同じ時間軸だが人それぞれだ。
なんだか、ずっと書き続けてほしい。
そう思ってしまった。
そして、50歳になったら文学少女と文学おじさんを集めたパーティを開いてほしい。それぞれの人にわずかな本棚スペースがあって、そこを覗きに行く変態スタイルで。
134.髙樹のぶ子の「ほとほと」に、受容でいいのだと教わった。
興味がある人の好きな本を読むことは、その人の一端を知る事にもなる。これかぁ。noteを読むのも、そういうことなのかぁ。ここまでくると、そう感じますなぁ。
135.長(オサ)との時間に振り返りを求める時間。
新キャラです。おれも隠居してネットサーフィンしたい。読書もしたい。朝からビール飲みたい。
136.横光利一に自分の嫌なところを炙られて約一世紀越しに本質を問われる。
秘密を守るのはそれなりに難しい。昔、何かの本で読んだけど、知ってしまった秘密を守るために1番重要なことは、秘密なんて知らない風を装うことらしい。本当は知ってるけど教えない、というスタイルが、人に秘密を話すリスクを発生させる。私みたいに最初からとぼけた顔をしていれば、暴かれるリスクはそもそもないのだ。
137.全てを手に入れるということは、それ相応のリスクを伴うことを忘れたりしてはならない。
やっと2022年12月の年末となりました。夏に年末の記事を読むと、季節感のない、なんとも言えない感じになります。夏にGLAYのウィンターアゲインを歌うようなものです。さて、ここまで来るのに、noteアプリが落ちてしまった回数は、リアルに100回を越えました。そもそも下書きが開くかどうかが、運に頼る感じになってきました。タイトルを手入力しようとすると、1文字打つのに4秒かかる謎現象が起きていますので、コピペで対応していますが、その都度、noteアプリが落ちるので大変です。今年もお世話になりました。
138.谷崎潤一郎の細部にまで達する表現の拘りを変わらず愛でたくなる。
追っかける著者がいるのは幸せですよね。noteでもそうかもしれない。クリエイターの追っかけって結構面白い。多分、周りの人と誰とも共感できないけど、一人、noteでひたすら面白い文章を読み、また書いていく。周りの人は誰も知らない中で、僕の文章は上達していく。気がする。
139.よき時間と思考の行方。生誕の躍年添えで一年が始まる。
友達の親と年末過ごすとか、めっちゃ仲良いじゃないですか!羨ましい!その友達抜きで一緒に飲めるぐらい仲良しなら、おれも行きたいわー。そんな人おらんけど!仲良しの同級生が数人だけいたけど、もう10年近く会ってない。友達のおじちゃんとおばちゃんにも会いたいなー。
140.第8回《ふるさとと文学2022》「開高健の茅ヶ崎」に行ってきた。
サイトマップの名前はここからきていたのか!ローとの横並びは、思いのほかカッコいいな。無駄なものかどうかは、わからない。私のこの記事を書くという行為も、全くもって無駄じゃないかもしれないし、無駄かもしれない。
141.贈られた「手作りカルタ」で僕は僕を知る。~自己紹介編~
この記事にいい感じでマガジンが紹介されていた。ていうかカルタ送られてくるとか、めっちゃファンいるやんけ!おれなんてまだ、タワワ〜歴数ヶ月と浅いからなー。これからだなー。
142.「まなざしの地獄」に「壁」を感じ、それに自分は関与していないと言い切れない。
今更ながら、大工は存在しているのか。マガジンは404美術館と化していた。そして、今更ながら無性に村上春樹を読みたくなっているのは僕だけか。いいえ、ちがうわ。あなたはあなたの思っているほど、あなたのことがわかっていないのよ。だってほら、さっきからあなた、全然わたしのこと、みてくれていないじゃない。これまでのあなたならきっと、わたしのことに夢中になってくれていたはずなのに。いや、コニシさんみたいに上手くかけん。まじめにふざけて書いてきた数が物を言う世界やな。
なんのはなしですか。
143.背景 安部公房様。どうか私を置いていかないで。
安倍晴明と勘違いしていた。文学文学といわれるので、聖徳太子とか紫式部とかあのあたりの古典みたいなのを書いてる歴史的な人物かと思ってた。なんだ、違うのか。リアルに恥ずかしいな。これまでも何度か登場してたのにな。とりあえず源氏物語レベルの古典じゃなければ僕にも読めるかもしれない。意味がわかるかどうかはわからんけども。
144.52時間しか会えない
初めてのこの感じは今しかない。てことは、初めて人のnoteを150記事も載せて、その全てになんのはなしかわからないはなしを添えるのも、今しかない。あまり推敲もせず、このうるおいある感じを残しておこうか、迷いに迷って推敲してしまう。そこをグッとこらえて推敲しない。
145.谷崎潤一郎と江戸川乱歩の関係に嫉妬を積み重ねる文学中年
noteなんて読んでる場合じゃない、読書しなきゃ!読みたい本が山ほどあるのだ!という気持ちと、読書なんてしてる場合じゃない!読みたいnoteが山ほどあるのだ!という気持ちと、さらに書きたかったり、書くのがだるかったり、様々な気持ちが渦巻いた結果、投稿を休んでみるという新たな選択肢が、書きたいと読みたいの狭間、さらなるカオスへといざなう。
146.僕達の矜持は翻弄される推し活。~中年の楽しみ方編~
なんのはなしですか。笑
いや、まじでかわいいけども。
コメント欄に伊藤 翼さんを発見してうれしくなる。それに対するコニシさんの返信をみて、さらにうれしくなる。同じ気持ちすぎて。
147.中野重治の「梨の花」を読了し、進む事に決めた。
本を読んだ系の記事は、なんとなく考察みたいなことを書かなければならないと気が張っていたが、こんな感じでラフに感じたことをありのままに書くのも全然アリだなと思った。私なんてアカウント名がそのまま考察ラボだけども、別に無理に考察する必要はないんだなと。ここにきてやっと、コニシさんが通信に書いてくれたu1はu1なのだから、そのままのu1でいいのだみたいな文章の意味が腑に落ちた。ありがとうございます。このあと500冊分は記事が書けそう。それはさすがに勘違いか。
148.「憧れの人」になった自分は、必死にあと19年を確保した冬の日
え!村上筋肉倶楽部の部長って、コニシさんじゃないの?だれ?せっかく入ろうと思ったのに。とりあえず今日から毎晩のスナック菓子やめる宣言だけしとこう。ムキムキになろう。ムキムキになって、オーダースーツを着るのだ。父の日にサングラス買ったから、あとは俺のカラダの仕上がりを待つのみ!なんのはなしですか。
149.一人の作家を通して、実際出会うまでに至る引力を知る。それが大江健三郎の凄さだ。
コニシさんという素晴らしき変態的探究者に出会えた私は幸せ者です。私もより一層、持ちうる変態性を高めていきたい。まるで虫になってしまったカフカのアレのようです。そして、終わりが来たことが寂しい。沢木耕太郎の深夜特急のラスト10ページぐらいの寂しさと同じです。旅はいつか終わるのですね。
150.吉行淳之介に出会った文学中年は、時の残酷さを知る生と性
いやぁ、終わっちゃった。
最後は、まさかのエロで終わりました。
感動すると思って用意したティッシュは、違うことに使うハメになりそうです。ある意味、賢者モードというか、大変清々しいです。嘘です。
これぞ、なんのはなしですか。
HEY\(^o^)/
約1週間という長い旅路でした。
コニシさんは毎週こんなことを約3ヶ月にわたって本気でやっていたんですね。脱帽です。
そして感謝です。取り上げてくれてありがとうございます。すごいです。なんのはなしですかってマジで魔法の言葉ですね。創作意欲を掻き立てるのは本当のようです。
読後感は、一言ではうまく言い表わせませんが、あえていうと、森見登美彦の「熱帯」のそれと同じです。自分が今、一体どこにいるのかわからなくなります。なのに、熱い。
最近は、なんのはなしですかの数が増え過ぎて、通信を書くコニシさんの右手、やばいんちゃうかな?と思って投稿を意図的にやめていましたが、どうやら取り越し苦労だったようです。だってコニシさん、きっとパソコンで書いてるでしょう。相手は私と違って両手なんだから、何も気にせずにバンバン書いてやろう!どうだ!なんなら回収漏れになったら嬉しいな!と思っています。
たちまち、冒頭に戻って創作大賞感想を書いてきます。
目下、私の心配事は、この過去最長のぶち重たい記事をちゃんと公開できるのか?ということです。さっき、ためしにハッシュタグつけようと思って右上の「公開設定」のボタンを押したら、2分待たされた挙句、アプリが落ちたので。投稿できて初めて、私も一段落といえそうです。
そのあとは、コニシさんの151記事目以降の路地裏探検を再開するとともに、通信員の方々の記事をゆっくり読んで、なんのはなしですか?とコメントできたらなと思っています。といいつつ、一旦シャバに戻ります。
さて。
コニシさん以外に、私のようなおじさんのよくわからないはなし(?)に最後までお付き合いいただいた奇特な方がいらっしゃいましたら、なんと申し上げたらよいか、いや正直、何も思いつきません。コニシさんを愛するついでに、私のことを好きになってもらえたらこれ以上の悦びはありませんと言いたいです。下心満載のわたしは、そう。楽しかった。これが本当の自己満足です。
ただ、読んでいただいた方々には
大変申し訳ありませんが、
ここまで書いた内容は全部嘘です。
あしからず。
路地裏探検隊
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