権利
通勤ラッシュで電車を待っている時
何気ない顔をした女性が私の前に割り込んできた。
並ぶ場所が狭くて寄ってるのかなと思ったが
乗車する際人を押し除けて進んでいった。
その女性はいの一番に座り、鞄にはヘルプマークを付けていた。
『席をお譲りください』
知ってるし、分かっている。
普段から年配の方や不自由そうな方には、自ら席を譲る方だとは思う。
ただ、心が狭いかもしれないが、人を押し除けて不快な気持ちにさせて
許される権利なんて無いと思ってしまった。
もちろん、ヘルプマークを付けていてくれることで一見気づきにくい不自由に気づくことができて、歩みよりやすくなることは、お互いにとって大切なことで、必要なものだと思う。
だけど、ヘルプマークを付けてない、渡されない人にも人権があって、人それぞれその場合と時で何かを抱えている可能性がある。
歩き疲れて足が痛いかもしれない
生理痛が重くて辛いかもしれない
失恋して心が疲れているかもしれない
友人関係で傷ついているかもしれない
そんな誰かに見せれない、常時ではない
人それぞれのヘルプがある中でも、思いやりを持って接するからこそ
接することができる人間が多いからこそ、日本は温かいはずだ。
ヘルプマークは何でも優遇される権利ではない。
人からの思いやりや優しさを常時必要とするという表示と願いだ。
あくまで振り翳していいものでは無い。
5体満足でヘルプマークを必要としない私が
この言葉を吐き出し、どのくらいの批判があるだろう。貴方にはわからない、どうせ健常者だから。そんな言葉もあるだろう。
だから私も健常者として何かを振りかざすことは、絶対にしない。
素直に、思いやりと常識を持って人と接する以外なにもできないのだから。
それは障がい者も健常者もお互いに持ち合わせないといけない
いや、持ち合わせる努力をしなければいけないのだと思う。
こいれからもヘルプマークの認識が根付き、思いやりを伝えやすい時代に
なってほしいとも願っている。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?