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教科書単元オープンバッジ(名前がヒドイのでネーミング募集)

今回も前回に引き続き、デジタル教科書のこと。
と言ってもいわゆるデジタル教科書そのものではなく、教科書単元とオープンバッジについてのアイデアを書いてみます。
なお、このアイデア自体はデジタル庁で一緒に仕事している後藤さんの発案。もし「いいね」と思ったら、11/30に東京・中野でやっている以下の演奏会にご参加ください(入場無料!!)。
※後藤さん、EdTech企業の社長やりつつ、デジタル庁にも所属していて、プロの指揮者という変人なのです。

教科書単元オープンバッジ(ネーミング募集)

普段は背景から説明しがちですが、今回は最初にアイデアから。テキストだと分かり辛いので最初に図を。

どんなアイデアかと言うと

  • 児童生徒が多種多様なコンテンツで学ぶ状況になってくると想定

  • 多種多様なEdTechが教科書単元を共通範囲として達成度合いを評価

  • 評価はバッジにして児童生徒自らが管理・活用できるものに

  • 先生もコンテンツ横断で状況が確認できるようになる

みたいなことです。
上記を「学びのデジタル証明書」として国際規格になっている「オープンバッジ」という方式でやってみてはどうか、というアイデアです。

どんな方式なのか、どんな意味があるのか、などなど補足してみます。

オープンバッジってなに?

そもそも「オープンバッジ」が聞きなれない人も多いかも。

オープンバッジは、世界共通の技術標準規格に沿って発行されるデジタル証明・認証です。物ではなく、データとして授与され、自分専用の「オープンバッジウォレット」で一元管理されます。授与されたオープンバッジは、SNSでの共有ができるほか、後述する資格に対するオープンバッジであれば、その内容証明としても使用されます。

デジタル庁「オープンバッジについて
マナパスより

要は、資格や学習歴などをデジタルで証明する手段のこと。
国内での普及はまだまだこれからって感じですが、企業や大学などで資格・講座等の修了証明としての活用されつつあります。

一般社団法人オープンバッジ・ネットワークから抜粋

つい先日も、先生方の教員免許状に関する証明書発行の試みもあったかと。

この技術を活用して、多種多様なデジタル教材・ツールでの学習成果を、教科書単元ごとで表示してみては、と。

履修主義から習得主義への導線

上記のオープンバッジも「学歴から学習歴へ」のキャッチコピーが使われることがよくあります。
現行の学校教育は主として履修主義。(習得を見ていない訳ではない)
履修主義が必ずしも悪ではないのですが、今後、より習得状況を確認し、その結果を残す=習得主義の色味を強くしていくことは、不可逆の流れなのだと思います。

note書き始めた初期、4年前ぐらいにも似たようなこと書いています。

上記のなかでも「習得主義の最大の課題は「評価」のはず。」と書いていましたが、その達成や取り組み状況の材料として、このバッジが使えるのでは、と。

ましてや、今後は児童生徒が様々な学習財(リソース)から、自ら適したものを選択して学ぶ時代になってくる。
※詳細は以下の「"環境を通した教育"とデジタル」をご覧いただけたらと

そうなってくると、児童生徒自身に対し、さらには支援・指導する先生に対しても、多種多様な教材・ツールの状況を横断的にフィードバックしていく必要が出てきます。

教科書単元という共通言語


その際に、児童生徒にも、先生にも、そして保護者にも馴染み深い「教科書単元」という括りが活きてくるのでは、と感じています。
学びを振り返り・支援するには、「何を学んでいるか」の「住所」に相当するような共通言語があると、とてもコミュニケーションや理解が進みやすいためです。

不登校の成績評価にも

例えば、不登校の評価などの活用も考えられます。
今年の8月29日に、文部科学省は「不登校児童生徒が欠席中に行った学習の成果に係る成績評価について」という通知を出しています。

この法改正・通知の背景には、不登校の状況だと自宅で学習していても評価されずらい実態があるのだと考えられます。

取組例には

〇1人1台端末を活用して、教育支援センター等から学校の授業にオン ラインで参加している不登校児童生徒の学習成果を成績に反映
(中略)
〇民間のeラーニング教材を活用して学習を行っている不登校児童生徒 について、教育支援センターの職員が保護者と連携しつつ、学習状況 等を把握し、学校に情報共有することで、その学習成果を成績に反映

など書いてありますが、これってちゃんとやろうとすると結構大変
思想や制度は正しいと思いますが、学校側で対応すべきこと・質を担保しないといけないタスクが増えた、とも捉えられます。

でも、やるべきことというのも分かるので、例えばこの「教科書単元オープンバッジ(ネーミングがイケていないので募集)」を活用できると、学校としても評価の材料になるのでは、と。

個人的には、まずはここからやっても良いのでは、実証事業とかやってみたらどうか、とか思ったりしちゃっています。

やろうと思うと課題もいろいろ

当然、いざやろうとすると課題もたくさんあります。
各EdTech事業者が達成度や取り組み状況を評価できるのか、それってそれぞれで基準が違うのでは、などは最初に思いつく課題。

解決策の1つは、まずは的を揃えること。達成や取り組み状況って、まずは目標が揃わないと横並びで見ることができません。
例えば、教科書発行者が公表している年間指導計画・評価計画を的にしてみる、などはどうでしょうか。
以下は教育出版さんが発行する小学校4年生・算数の年間指導計画・評価計画(案)。

教育出版:令和6年度版『小学算数』 年間指導計画・評価計画(案)、単元配当表/4年・算数

知識・技能、思考・判断・表現での観点別評価規順の例示がなされています。各EdTechも的としてはこれの達成・取組状況で評価する、というのがあるのかな、と。(教科書発行者の了解を得て、という前提)
既存の紙教材・テストは同様のことをやっていると理解しており、実は新しいことでも無いのだと思っています。

そのうえで、同一の精度で評価ができるのか。
これは多分無理。なので最初は諦める。でも、既存の紙の教材・テストも各社間の横通しの評価方式がある訳ではずで、ここも本質的には新しいことでもないはず。
ただ、デジタルの場合は後追いで基準の調整も可能です。複数の教材・ツールが横断で利用されバッジが発行された場合、それを統計的に分析することで、どの教材・ツールのどういうバッジが、他のバッジとの水準の違いや関連性などを見つけることができます。

ある意味で、データが貯まれば水準合わせもできる。それはもう枯れた技術でできます。
そこまでくると、水準合わせだけでなく教育データの本質的な活用もできるようになっている、とも言えたりします。

ちなみになんでオープンバッジ?

ちなみになんでオープンバッジなのか。
主な理由は3つあります。

正しさを証明・確認できる

バッジは単に表示されるだけではなく「誰がいつ発行したのか」を正確に確認することができます。
バッジに関わるデータは改ざんが不可能なうえに、その正しさを誰もが検証できるため、偽造がほぼできない証明書となっています。

詳しい仕組みを知りたい(かつ英語でも可)という方は以下を。
※字幕を出して日本語化で英語なしでもOK。IT系の知識ないと取っつきにくいですが、、

国際規格でオープン、特定の誰か依存にならない

オープンバッジは、元はFirefoxなどブラウザを開発したMozillaがつくった技術規格ですが、2016年に教育分野のIT技術標準を運営する公益的な団体:IMS Global(現1EdTech)に移管されています。

そのため技術仕様はオープンになっており、オープンバッジそのものの技術は誰かにライセンスを払うものでもなく(規格を用いた商用サービスはありますが)、かつ今も世界の様々な組織が関わりアップデートがなされています。

特定の誰かに依らず、かつ仕組みがアップデートされていることは、ロックインが起きにくく、運用コストがトータルで低くなるはず。

バッジが学習者のものになる

そして一番の理由はこれ。
前々回には「学びのデータは誰のもの?」というnoteを書き、法的には所有権は存在せず、オーナーシップ(データ利用の権利)は契約に依存する、と書きました。

オープンバッジの場合は、技術の面でオーナーシップが明確。バッジのオーナーシップは学習者=児童生徒になります。
そもそもそういう規格なので、これに異を唱える場合は仕組みに乗っかれません。技術で答えが出ているので明確です。

この仕組みの延長線には

オープンバッジは改ざんされず、誰が発行したのか、それが正当なのかを確認することもできる仕組み。
つまりは、小学校や中学校の卒業証明や、語学試験や資格試験の結果証明、部活の大会での好成績の証明、ボランティアでの活動歴など、誰か証明してくれる確かな人や組織があれば、それをデジタルで証明することができます。

勿論、バッジのオーナーシップは本人にあるので、見せたくないときは見せなければ良いだけ。見せたときに、それが正当なものかは誰でも確認できます。こういうのあると、受験とかでも便利ですし、バイトや就職などでも便利(=嘘つけないし、確認コストもほぼゼロにできる)。

最初は民間・就職市場からってのもありますが、本当は学校教育の方が相性良いのかも、とか思っています。
学校が変わることで、そこから本当の意味で社会を履修主義から習得主義に、より抽象的には建前から事実に変えていくことに繋がるのでは、と思ったりしています。

個人的にやりたいのですよね。2重飛び10回でバッジ付与、とか。

おわりに…

ということで、教科書単元オープンバッジ(ダサいのでネーミング募集)のアイデアの話でした。
教科書の話から結構逸れていますが、実は「教科書のデジタル化する」ということの本質ってこの辺りなんじゃないかと思ったりしています。
その辺りは次回、デジタル教科書のことをここ数回書いていますが、次回を最後として書いてみたいと思います。

ちなみに今回のアイデアは、未来の話っぽいですが、既に技術は確立しているので、やろうと思えばすぐでも可能。
でも一番難しいのは、関係者の合意形成。
デジタルで社会は変え得るのですが、本当に難しいのは技術じゃなくて、目的の合意や利害の調整。

この件は、教育関係者だけでなく、実現にはWeb3の技術を社会基盤にしていくことの合意形成が必要。つまりは社会の仕組みを本質的に民主化することだったりするので、今、集中した権力を持つ人にとっては利がない(どころか不利益がある)
つまりは、1人1人が当事者として意見表面することで前に進む問題なのですが、、、それには仕組みがないと、、と鶏と卵の問題に。

と、訳分からないこと書き始めてしまったので今回はこの辺で。
ではまたー。

P.S. 

冒頭の繰り返しになりますが、このアイデア自体はデジタル庁で一緒に仕事している後藤さんの発案。もし「いいね」と思ったら11/30に東京・中野でやっている以下の演奏会にご参加ください(入場無料!!)。
※後藤さん、EdTech企業の社長やりつつ、デジタル庁にも所属していて、プロの指揮者という変人なのです(2回目)

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