見出し画像

選挙結果見て考える「SNS禁止」ではない根治療法

どうもバタバタが続いており、また2週間空いてしまいました…。
本当は先週に書かないと鮮度が合わないネタなのですが、、、直近あった選挙のことなど、珍しく一般時事ネタ書いてみます。
このnoteは「教育」がテーマなのですが、今回はあえて「教育」ではない観点での課題解決を書いてみます。

民主主義の危機と言われていること

兵庫県知事選、色んな意味で話題になりました(今もなっています)。

この選挙ではオールドメディア vs SNSみたいな報じられ方も多かったです。

SNSに対しては、不確かな情報の氾濫やフィルターバブルによる思い込み、あたりが改めて指摘され、アメリカ大統領選挙とも重ね合わせて「民主主義の危機だ」みたいな声も多かった印象です。

個人的には「民主主義の危機」って政治への無関心だと思っているので、15ポイントぐらい投票率が上昇した今回の選挙は、エンタメ化したことが要因なのかもですが、投票率の観点のみではむしろ状態が良くなった、とも言えると感じています。
「流言まみれで正しい情報で投票ができていない」と、「所属する組織から頼まれて良く分からず投票する組織票」て、どちらの方が民主主義の危機の要因なのでしょうね。
まあどっちもダメだけど、前者の方が有権者が判断している分、マシなんじゃないかと思うぐらいです。

フェイクとフィルタバブル

そのなかで、今回の件でのSNSへの警鐘としては

  • 真偽不確かな流言(フェイク)が大量にバラかれている

  • 同じような情報にまみれ(フィルターバブル)信じ込まされる

という2点の特徴が指摘されています。

この特徴から「偽の情報でも信じ込まされて投票してしまう」という事象が起きるのでは(今回はそれが起きたのではないか)という危機意識が、SNSの危険性や「民主主義の危機」という言葉に繋がっているのだと感じています。

フィルターバブルについては以下とかで。ウチの会社がこんな感じで減と解説やっているの始めて知りました。

ファクトチェックとメディアリテラシ

ではフェイクとフィルターバブルにどう対抗するのか。
フェイク(偽情報)には、真偽を確かめる行動(ファクトチェック)を。
同じような情報にまみれている(フィルターバブル)には、SNSにそのような特徴があることを知ったうえで自身の状況を客観的に把握:メタ認知し、多様な意見を聞けるよう行動する力(メディアリテラシ)を養うこと。

そういった行動が定着するよう教育を、というのが対抗策として世の大勢意見のように見えました。(ファクトチェックはメディアリテラシの部分概念だと思うので横並びは微妙な書き方ですが)
学校教育で言えば以下のような上記にあたるのかと。

上記、本当にその通りだと思っています。メディアリテラシ、マジで大事。

一方で、それって対処療法じゃないの?とも思います。
対処療法を否定している訳ではなく超必要なのですが、根治療法も同じぐらい力をかけなくて良いの?と。

そもそも、偽情報(フェイク)が大量にまかれ、それを信じ込ませるようにしている構造を変えるチャレンジをするべきでは、と。
「教育」に力を入れるぐらい、そういう事象の「構造」を転換する手段を考え・動かなくて良いのか、ということです。

ちなみに自分もフェイクに振り回され、フィルタバブルの只中にいる自覚があります。全ての情報を確認できるほど時間も能力もないし、同じような情報がスマホにまみれている。
自覚あるので対処するよう努力していますが、どう考えても限界があり、それなりに考えが歪んでいると自覚しています。
正直、絶たない限り影響下からは出られない、と自覚して使っています。

SNS禁止は選択肢の1つだけど…

そんななか、ちょうど今週、オーストラリアで16歳未満のSNS禁止の法案が可決されていました。

すかさずイーロン・マスクは「言論の自由への国家による統制だ」と反発したりしていますが。

今回は16歳未満の子どもが対象ですが、政府が言論や権利を統制・抑制している面はあるので、最後の最後の手段であるべきだと個人的には思っています。
そしてそれを行使する機会が訪れないよう、考え・行動していくことこそ政府や私たち考えるべきことなんだと思っています。

「中毒にして広告」で儲けるビジネス

禁止が構造対処の最後の手段だとして、それ以外の方法は何か。そうなると、対象のSNS自体の構造を理解する必要があります。
ざっくりと現状の大規模SNSは

  • 人々の色んな感情(好き・楽しい・怒り・哀しい・寂しい等々)を刺激するコンテンツを提供

  • さらに個々の嗜好に合わせて提供し続けることで中毒にする

  • それによって滞在時間を延ばし、その間で広告を見せて送客をする

というのビジネスモデルなのだと個人的には解釈しています。
「刺激的なコンテンツで中毒にして広告で儲ける」ってヒドイ言いようでざっくり書きすぎで、SNSサービスを運用している方々、ごめんなさい。

上記から、刺激的であれば良いので真偽は不明でも可(ぶっちゃけ怪しい情報のほうが刺激的ですらある)、同じような意見の方が気持ち良くなって滞在するのでどんどん意見が偏っていく。

これがSNSのビジネスモデルが生み出す課題の「構造」なのだと思います。

社会システムと新たなビジネスで

これが「構造」であるならば

  • フェイクの価値を低くする(=確かな情報を価値を高める)

  • 注意を引いて中毒にする方法以外のビジネスを流行らせる

の2点ができれば、この問題を構造から解決できるのだと考えています。

方法としては

  • デジタルの世界のなかで、情報の発信者がどんな人か、発信された情報の確かか、を確認することができる
    ⇒ デジタルでの本人確認・デジタル署名を社会基盤にする

  • 注目を集められると儲かるビジネス環境から、自らの情報を制御しより良い価値が得られるビジネス環境にする
    ⇒ アテンションエコノミーからインテンションエコノミーへ

なのかな、と。
うぅ、と書いておきつつ文字数多くなったので、上記の詳細は次回かどこかで解説させてもらえたらと。

でも触りだけ

とはいえ、こういうも生成AIでサッと調べられるのですよね。1点目をサクッと聞いてみると以下のような感じです。

プロンプト(質問)
SNSでは流言が多いことが問題視されています。ファクトチェックが必要になってきているのですが、その前提としてデジタルでの本人認証やデジタル署名が重要だと聞きましたが、本当でしょうか? もし本当の場合、どうして重要になってくるのか、分かりやすく説明してください。

答えは以下で確認いただけたらと。

インテンション・エコノミーについては以下とかで(あまり流行った言葉でないので良い解説ページがない)

インテンション・エコノミーは20年ぐらい前に提唱されたビジネス(経済)モデルの概念なのですが、当時は実現するための技術要素が乏しく、まだちゃんと社会実装されていません。
が、今は技術的にも要素が揃いつつあり、これをどう社会実装するのか、がデジタルでは後進の我々の逆転チャンスなんじゃないかと前々から思っています。なのでどこかで詳細書きたい。
※自分は大学では経済学をやっていたので教育より経済が強いはず?

おわりに…

いつもの教育×デジタルとは違う内容になりましたが、こういうパターンはどうでしょうか?
今回は「教育だけでなくテクノロジやビジネスで解決を」と書いたのですが、その理由は「なんでも教育に頼る風潮」があまり好きではないから、だったりします。

確かに「教育」って何にでも作用するので万能薬感あるのですよね。
でも、リソースは限られている。特に学校は。

メディアリテラシ自体は重要で、学校教育の範囲と言えるとは思いますが、もう少し仕組みで解決したうえで「教育」としたい。
何でも広く深く学べるほど、子どもは余裕も余力もないはず。
なので大人としては社会をもっと効率的にすることをちゃんとやりたい。行動していく。
そんな思いで今回は書いてみましたー

次は最後の部分をより詳細に書くのか、または別のことを書くか。
全く見通し立っていなく、仕事もバタバタですが、来週も書けるようにしておきたい。
ではまたー。


いいなと思ったら応援しよう!