アガ
天下分け目の戦から幾日か過ぎた日。 旅の坊主が古びた小さな社で一夜の宿をとっていると、そこへ怪我をした若い侍が転がり込んでくる。名を康介と名のり『落ち武者』と身を明かした。 それから一時、外に新たな気配。坊主はその者を取り押さえる。 取り押さえられたものは、意外にも若い娘だった。 そのご小さな社で起こる血生臭さ。 争いの相手は自分たちの思う相手ではなく、お互いの利害と物事の基盤の違いから生まれてきた敵だった。 敵を知り動揺する坊主。心に願うことと違う結果をうむ。 血を流すだけで結果は何も変わらず、ただ不幸になるものが増えるだけだった。
弟子の驚きとともに師も腰を上げる、斜め前に座る体格良き男も当然気配に目を向け素早く腰を浮かす。 「はっ」 「チッ」 闇を背に、揺れる火を浴び、ニヤリと微笑する黄ばんだ白い般若。洞穴をじつと伺う。 空かさず数珠を握りしめ、尊き修行を積んだ僧は、 「こどもかっ」すぐに思う。 尻を地面に着いたまま数珠を握りしめ、般若へと突き出している。 「失せてなくなれ」と叫び恥をかく前に「子どもかっ、ボウかっ」と小さい声だが強く言葉にする。 とうのモノノ怪は、驚きひっくり返る弟子と僧よりも、
灯りが漏れている。 洞穴は大きな岩をくりぬいたような穴。大人でも五人六人と休めるような広さがあった。 「居るな。」 洞穴に近づくと漏れる灯りが地面と木々を幽かに照らしている。 さらに近づけば、ボソボソと話し声も聞こえてくる。 「見つけたぞ。」 ボウは躊躇いなく洞穴の前に立つ。そこから視えるのは三人の大人。 入口に背を向けて斜に座るのが二人、入口に向かい一人が胡座をくみ火にあたっている。 皆が何気にボウの気配に気づき「んっ」と顔を上げる。 顔を上げた瞬間、皆が素早く腰を浮かし中
山と境内の境界。 月の力の及ぶ世界から、山の夜との境目。 見通しは全くなくなるが、 「提灯だ」 灯りがゆらゆら見えかくれしている。 「・・・よし。」 意を決したように踵を返し、納所に引き返す。 勝手にあつかえば怒られるであろうが、お構い無く提灯を手に取り灯をともす。 「おいらも行く。」 提灯を持ち。近くにある鎌と杖を刀の大小よろしく腰に指す。 「よしっ。・・・お姉ももって行こう。」 納所の二階にある鏡を取りに二階へと駆け上がる。 「鏡は貴重だから怒られるかな。」 手に持ち悩む
2 ボウは「和尚様ー。」叫びながらふと思う。 足を止め振りかえる。 「あの旅の和尚の名前知らないや、一月近くも寺にいるのに・・名前を知らない。」 旅の坊主は立ち止まるボウに気づかず、腕組み顎を擦りながら、ぶつぶつと呟き歩いている。 「別のときに聞くかな。」 ボウは踵を返し。 「和尚様ー。」と叫びながら、和尚の寝床部屋へと駆けていった。 布団の上に静座する和尚に報告すると、 「うむ。儂も行ってみよう。ボウは部屋にいって寝なさい。」 ついてゆくと駄々をこねてみたが聞き入れられ
もちろん大丈夫のつもりで走り始めたが。 月がつくる木の陰草の陰。 そこには人影が見える気もする。妖しい影も見えてくる。 辺りに何か音がする。 それは自らがたてる足音。 それが自身を追いかけてくるような、待ち伏せているような。 「ううっ。鬼が出たらどうしよう。」 寺に向かう足は速くなる。 「みえたっ。」 ボウの目に寺の階段がみえる。 寺の長い階段がいつもよりも長く見える。 元気の固まりは勢い落とさず駆け上がる。 「よしっあと十段ぐらいだ。」 ボウが階段を上りきり、敷地へと目を向
納所を駆けおり、坊主たちのもとへと走り追いかける。 坊主たちに近付くと走るのをやめ、はや歩きで近づき声をどう掛けるかしばし考えた。 ここは素直に、 「提灯持ちましょうか。」 ボソリと声をかけてみた。 すると「わーっ」三人の坊主は驚き飛び上がる。 「なっなんだボウか。いきなり声をかけるな。」 明るい夜道。木々の陰は暗いが提灯がなくても歩けるような月明かり。 三人は間合いを開けて歩いていたが、驚きと同時に片寄せボウをみている。 ボウは提灯を手に持ち、三人の前を歩きながら思った。
面白い話しも、事実として鶏の数が減れば恐ろしい話となり、今では夜中に出歩く者はいなくなり、村の話し合いと云う呑みごとも取り止めて、もちろん酒の席での喧嘩もなくなっていた。 何故無いと解るのかは、喧嘩の仲裁はこの寺の和尚が経を読む次に得意とすることだからだ。 しかも、只の仲裁和尚ではない。 和尚は「怪力」と呼ばれる和尚だ。 だから村の嫁たちは、男たちが始めると寺へと和尚を呼びに来た。 よばれた和尚は「いつものこと」と立ち上がり、男たちをなだめにゆく。 酒の力を得た「おお
1 月あかり 天下分け目の関ケ原から幾年の月日が流れて今。 関東では湿った土地が開発され少しずつ乾いた土地へとかわり、賑やかに人々が集まり過ごしているという。 そのにぎやかな土地をはなれ、いくつもの山や谷をこえ、川を渡りたどり着く山村は木々の緑濃く豊かに栄えていた。 その山村は治めるものが出来ているのか飢饉への蓄えもしっかりとし、治水の土木作業も農繁期の合間でも休みなく進められていた。 その山村の寺の納所に一人の童子が住んでいる。 幼き頃に両親を亡くし、ものご
起き上がろうと手足を動かすと身体がきしむ。 腰と脚に激痛が走った。 動くに動けない。痛みのためか疲れのためか、次に目を明けると幾日かたっているのだろう。来ているものは、さらりと乾きよりボロ着れになっていた。 助けられていた。坊主は村人に助けられていた。 「助けられたのか…。」 誰もなにも話してくれないので何も解らなかった。 沼に浮いているところを見て不憫だと助けられたか。 村人たちはなにも話してくれない。と、言うより坊主をさけているようだった。 生きているのか生かされてい
「くっ・・気味の悪いやつらだ」 口から出る言葉は投げ槍になる。 なんとか身体を起こそうとするが、右腕と首だけが動いて、それ以上動くことが出来ない。 「おまえたち、娘を沼に引きづりこみ溺れさせたな。」 坊主は気味の悪い河童どもの這う姿をみながら呟いた。 坊主は成り行きに任せるように目を閉じ、河童たちの近付く気配と音に耳を傾けた。 「眠ろう。眠りについて溺れ死のう。次に目覚めれば地獄か極楽。・・・楽しみにしておこう」 冷たい水が顔を覆い、河童たちが近付く音が、チャプチャプと耳によ
康介は足音に首を向け、目を細めて足音の主を確かめる。 幾人かの百姓女のようだ。 「何ごと」虚ろな頭で考え、人だと思い安心して目を閉じる。 近づいてくる気配を感じ、心配の声を投げてくれるかと、わずかな安心感で目を閉じて待つ。 「グフッ」胸に衝撃が走り中の空気が口から走り出る。 「うううっ」 衝撃で身体はくの字に跳ねて丸くなりもがくしかない。 何が起こったのか。 痛い。 苦しい。 女たち助けてくれ。 思い目を開けてみる。青い空と小さな流れる雲がみえ、空と自分の間に・・・なにか見え
落ち着いて首を右手で触れる。それがきっかけで生首の目玉が動いた気がする。 「ウッ」 少し驚き払い除けた首は、水面に綺麗に座り坊主をみる。 「くっ」 気味が悪くなり後ずさる。 が、首は諦めることなく坊主についてくる。 空を見上げる生首。 「うっ、」 恐ろしさがあるわけではない。生首と縁の切れない、そんな我が身の有り様から逃れたい。 喉の乾きを癒したく、水面に這い近づく。 今度は首が転がり邪魔しないように、ゆるりと首を引きづり、水面に顔を近づけた。 水面には血が漂う。 「こ
「うっっ」 だからと言って、眼から目を離せずにいる。 ぶら下がる首へと、語りかけたいが言葉はなにも出てこない。 なんだか恐ろしさが沸き上がってくる。 絡み付く髪の毛を引き離そうとするが、右手で左手を広げようともするが、その指は動かない。 絡み付く髪の毛を切ればよいが、疲れと混乱のなかの坊主には、そんな単純な知恵も浮かんでこなかった。 なぜだろう。 坊主の指は震え始め、足も震え、唇も震え出した。 首から離れたく、しりもちのまま後ずさる。 が、首は間合いを離すことはない。腕に力は
引きずる亡骸が重いのか、体は傾き歩いている。 若く愛らしかった娘の姿も、河童の亡骸のような気味の悪さを全体から惜しみ無く滲ませている。 坊主の方へと一歩一歩と近づいてくる。 愛らしくあるならば、静かに見守るが、近付く姿に一歩二歩と間合いをとりたくなる。 心の中は、「こちらに来るな。儂をたよるなっ。」 願ってしまう。 一歩、また一歩。引きづり歩く姿が不気味。 不気味姿の娘とは目が合わないのに気づく。 「ああっ塞いでいるのか。」 どうやら娘は坊主にむかい歩いているのではなく、坊
「人・・・ひと。儂が必死になり・・・人だったか。」 自分が必死にやったことを想像して思考が止まる。 ふと自分の左腕に痛みと、重さを感じ、しかも動かないのに気づき目を腕にむける。 腕は切口がいくつかと、そこから滴る血が見える。 その流れる腕先には黒い髪の毛と・・・。 「なんだ・・・。」首を傾け動かぬ腕の先をみる。 「くび・・。」 生首だった。 「うわっ」 坊主は驚き、振り払おうと腕を振るが思うように動かない。 神経をやられたのか筋をやられたのか眉間に伝わる痛みが増す。 昨夜は
グサッ、グサッと娘が腕を振り下ろす度に音がする。 先程まで昆虫のように苦しみもがいていた生き物は、事が切れ、ただ、生臭い物になっていた。 それでもまだ、その頭を押さえつけ腕を下ろす。 下ろす腕は勢いは消え、カラクリで動いているだけのように、淡々と打ちおろしている。 地獄絵図 大きな蛙を無造作に解体しているように見える。 生き物への恐怖より、娘の行いの気持ち悪さに、康介は吐くものがなくなった胃の腑から、その奥の贓物を喉につまらせる。 もう、動く気になれない目も開けたくない。