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イスラエル軍医療部隊同行記 【第2話】
~東日本大震災、日本初となる海外からの医療援助受け入れ事例となったイスラエル国防軍医療部隊派遣。とにかく紛れ込んで同行したカメラマンの記録~
先遣隊一行のバスは支援先である宮城県南三陸町の隣り、栗原市くりこま高原のホテルエポカに到着、ここが支援の拠点となった。
海外医師による国内での医療行為は医療法の壁がある。しかし、未曾有の被害と思える今回の津波では厚生労働省が特別許可を出し、日本で初となる海外医師団による医療行為を認めた。
しかし、これを適応するためには支援側の申し出だけではなく受け入れ側の自治体による申請も必要だった。
写真:当時、ガソリンを求めて高速にならぶ車の列
南三陸町をはじめとして自治体の機能、人員自体が被災していた場合、その仕組みすら知る術も持たなかった。
しかし隣の栗原市、佐藤市長がイスラエルに留学経験があり大使館ともつながりがあったため、今回のイスラエルの申し出を医療施設すべてが流された南三陸町に繋げる形で受け入れ、栗原市も全面的に協力してプロジェクトが実現した。
そんな細かい説明をバスの中で聞きながらホテルにつくとすでにイスラエルからの隊員たちは到着しておりロビーにごった返していた。
あちこちから懐かしいヘブライ語の汚いスラングが聞こえてくる。
写真:ホテルに到着したイスラエル軍医療チーム、総勢60名
東京から一緒だった将校のダニエルに呼ばれた。
「俺たちは兵隊で今は非常時だ。だからホテルとはいえ部屋は使わずユニットごとにホールで寝泊まりする。医者と将校は部屋を使うし、君も兵隊ではないから部屋を用意することはできるが?」
「俺はどのユニットに入るのかな、通訳ももちろんするけど撮影をメインにしたい」
「ならドベル(軍広報)の連中と一緒に動いてくれ、ムービーはいるがスチールがいなかったんだ」
「じゃあ俺の寝床は彼らと一緒でいいよ」
そんなやり取りをするとダニエルはニッと笑って広報チームと引き合わせてくれた。広報の彼らもまた軍人だ。
「明日からは現場入り、ハードになるからイスラエル直輸入のサンドイッチを好きなだけ食べて休んでくれ」
イスラム教のハラールよりも厳格なユダヤ教徒の食事規定、カシュルートを守る彼らは食事もすべて自分たちで賄う準備をしてきていた。
10年ぶりにイスラエルのパサついたツナサンドを頬張りながら、広報部の連中とロビーに敷き詰めた寝袋の上に機材を広げ、翌日に備えた。
ー続くー
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