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【自己紹介】フリーフォトグラファー&ライター、災害ボランティア時々ヘブライ語通訳家

フリーフォトグラファー&ライターになり20年。
色んなことを共有できればと思います。
とりあえず私の略歴と何やってるのかを。

■イスラエルとかユダヤとか

いろいろあって20代をイスラエルですごす

ユダヤ人帰還者に混じりキブツ(集団農場)で働きながらヘブライ語を学ぶ。
途中イスラエル国防軍体験入隊など体験しながらイスラエル政府公認ガイド資格を取得。

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写真:キブツにて、働いていた鶏舎の仲間たちと

ツアーガイド、メディアコーディネーター、カメラマン、ヘブライ語通翻訳などに従事した。
ゴラン高原PKO部隊やJICA、JETROなどの地上手配、パレスチナODA事業のアテンド、日本からの各種テレビ番組や雑誌取材のコーディネートを手掛ける。

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写真:ガザ地区にて

2001年、第二次インティファーダ(民族蜂起)発生。
    情勢悪化により日本帰国。
    以降フリーランスとして活動。

■日本帰国後

2003~2011年まではパレスチナとイスラエル、日本の青少年による共同生活プログラムを行うNPO(認定NPO ピース・フィールド・ジャパン)の立ち上げ、運営に参加。

2011年東日本大震災発災。
イスラエル軍医療部隊が宮城県南三陸町へ救援派遣。
日本初の海外医療機関受入れに際し取材撮影および通訳ボランティアとして同行。
イスラエル軍広報部嘱託カメラマンとして本国メディアへの写真提供なども行う。

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写真:南三陸町でのイスラエル医療部隊

■災害ボランティアとしての活動

南三陸町から帰京後、1ボランティアとして復興に携わりたいと思い、特定非営利活動法人 JENを通じて石巻にて災害ボランティアを開始。同団体石巻事務所が閉鎖する2015年まで通算750日石巻に滞在、災害から生業支援となる漁業ボランティアなどの活動を継続、以降は個人的に牡鹿半島狐崎浜に通うようになる。

並行して各地の災害へボランティアおよび撮影をかねて訪れる。

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写真:令和二年七月豪雨、球磨村茶屋地区にて

2014年・埼玉県越谷市竜巻被害、2015年・宮城県大崎市水害、2016年・熊本地震などを経て2017年・九州北部豪雨災害から災害支援団体「一般社団法人オープンジャパン」と活動を共にし、記録広報ボランティアとして2018年・西日本豪雨愛媛県西予市、同年・北海道胆振東部地震厚真町、2019年・北部九州豪雨佐賀県大町町、2019年・台風19号宮城県丸森町、2020年・令和2年7月豪雨熊本県球磨村と長期に渡りボランティアと撮影をつづけている。

■プロボノとしての活動

災害に関しては「オルタナS」にてWeb記事を執筆、Yahooニュースへと配信。
オープンジャパン他連携団体、活動支援企業や日本財団などの支援団体、テレビや新聞、雑誌等各種メディアへ写真提供を行う。⇒e.g. KEEN blog

また被災した自治体に記録写真として撮影した全期間の写真を提供している。

これら災害関連、防災啓発の写真はプロボノとして基本的に無償提供を行っている。

災害も数週間たてばニュースには流れなくなり、現地で生活を建て直している人たちがいることもタイムラインに埋もれていく。
それは如実に支援の遅れにも反映される。
記録と記憶。
この活動の記録がいつか被災した人々の復興の記憶となることを願いながらシャッターを切り続けている。

■基本はフリーフォトグラファー&ライター

撮影、執筆は本業としても、もちろん継続中。

著者: 旅の指さし会話帳 イスラエル
監修書: ユダヤの力が世界を変える

他林野庁、住宅金融支援機構、環境省広報誌
企業CSR専門誌オルタナ、モータースポーツ各紙など紙媒体およびWeb媒体にて撮影、記事執筆も手がける。

個人Webサイト

OPEN JAPANホームページ

ちなみに、日本人ですが名前のパウロ(波宇郎)は本名です。


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Paulo 写真家 時々 ヘブライ語通訳
災害支援の活動費(交通費、資機材費、機材メンテナンス費等)に充当いたします。ほんとうにありがとうございます。

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