まさかの8月。 前編
初めてnoteというものを書いてみる。
今までの自分なら絶対に触れることのなかったブログといった分野だ。なぜ触れてみることにしたのか。それは自分の直近の出来事をまとめてみたいと思ったからだ。
大学を卒業し、社会人として2年目の年。1年目のがむしゃら時代を抜け、順風満帆な2年目といきたいところだった。そうなるはずだった。
だったと書いたところでお察しだが、全く上手く行かなかった。むしろ1年目からなんかずーっとしんどかった。会社って仕事ってこういうものだ、1年目は痛みや辛さを伴うものだとずっと我慢していた。(もちろん辛い事を乗り越えることは大事だが)
会社へ入社する前と入社後のギャップ。
上司との軋轢
新入社員関係なく即戦力としての現場。
尊敬していた先輩社員の退職や休職
会社に入ってからというもの、自分の個性や学生時代の経験が全く生きなかった。そして殺していた。それはきっと会社の環境もあるが、それ以上に自分が自分の殻に閉じこもり、なりたくなかった無難で会社に従順な社会人になろうとしていたからといっていい。
去年の10月に退職をされた先輩の後を引き継いだ。その後からずっと背中に重荷を抱えていた状態だった。一気に業務量が増え、なおかつ自分の苦手分野であったIT分野の仕事が増えた。お客様とのやりとり、仕入れ先メーカーや販売店さんとのやり取りなど経験したことのないことが多く、またお客様とのやりとりは主にコピー機の単価(モノクロコピー1枚あたり1.8円とか、カラー10円とかそういったもの)を0.3円下げます、安くなりますよとかそういったことだったし、(1番主の販売がコピー機の卸)見積もりの掛け率などはお客様によって大体決まっており、自分の仕事が価値のある仕事だと思えなかった。
でも業務量は多くとにかく必死だった、目の前のコピー機単価、目の前の利益を確保しないといけないとプレッシャー。
本来やりたかったこととの乖離、自分が自分でない。
去年12月に1度体調を崩した。めまいや立ちくらみを度々経験した。ずっとおかしかった。そして3月に一度弾けた(人知れずひとりで号泣した)そして7月に2度弾けた。気づいたら7月の弾けで、仕事が手につかず、行けなくなった。
自分でも相当びっくりした。一応小中9年間野球をしていて、自分にノルマを課すことやプレッシャーをかけることには耐えられると思っていたし、仕事をしんどくて苦痛で耐えられなくなるなんて思っても見なかった。
ここまで書いて1つ言いたいのは、もちろん環境もしんどかった。でもそのせいだけにはしたくない。それ以上に自分で自分のモチベーションやしんどさをコントロールできなかったほうが悔しかった。たしかに社内に同期はいないし、立場をわかってもらえる存在は居なかったのかもしれない。それでも周りには支えてくれる大学の仲間や大切な人がいたはずである。そこを頼れなかった自分が何より悔しかった。
7月末倒れ、そして気づいたら、淡路島に居た。大学時代の友人に勧められたことと、学生時代にお世話になった市役所の職員さんが京都まで迎えに来てくれたことがきっかけだった。
※長くなりすぎるので、淡路島編は次に書くことにする。慣れないnote、普段書かない長文で読みづらくてすみません。
この内容だけを書くと、現状潰れているヤツ。にしか写らないと思うが、徐々に回復している。虎視眈々と次は考えている。回復してきたからこそ、自分の7.8月を振り返ろうと思った。
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