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2021は結果いい年だった。

その年の暮れに近づくと、みんな今年はどうだったかと考える。昨日、今日、明日が続いていく日々で、人間はとても区切りを大事にするように思う。

僕も例外なく、その1人だと思う。

今年はどうだったか?はじめに立てた目標は達成できたのか、できなかったのか。目標に関わらず、どんな出来事が起こったか。何が楽しかったか、何がしんどかったか。

でも僕にとって今年ほど、振り返りたくない一年はない。

上半期はずっと仕事に思い悩み、下半期はひたすら休職制度を活用した。ある意味実績や活動といった意味では皆無に等しい一年だった。

周りの友達や、先輩後輩の今年振り返りを聞いたり、見たりすることで自分がとても情けない存在に思えてきたことばかりだった。

でもここ数日、改めて考え直したことがある。大好きな淡路島で知り合った、大好きな方のお話だ。思い悩んだ一年、何もできなかった一年は誰にでもあるわけではない。それはまず財産だ。そしてその一年は人生という観点から見ると誤差でしかない。だから気にする必要はない。でもその誤差の期間をどう過ごしどんな経験としたかは大切。といった話だった。

誤差の期間に何を見るか、何を考えるか、どんな行動をするのか、何を振り返り、反省するのか。

うまくまとめきれないが、端的に9月以降をまとめてみた。

9月はひたすら旅に出た。九州に約1週間半滞在し、お金がギリギリで野宿も一度経験した。日本のあらゆる地域の方とzoomでお話をした。とにかく飛び回った月。

10月も旅は継続した。青森に、岡山児島。あらゆる人に会い、中身がある話もそうでない話も出来た。岡山では星野道夫氏の作品展を訪問し、旅が持つ偶然性と、多様性を肌で実感した。大阪の大好きな飲み屋さんにも挨拶が出来た。

そして10月は旅だけではなく、お手伝いといった形でも再スタートを切った。京都で焼き芋を移動販売している方の補助に入り、焼き芋を売り子として販売した。学生時代の友人と、担当教員と、再会するきっかけにもなった。視野が広がったしたことないことを沢山した月。

11月は、とにかく淡路島に行った。これに関しては9月も10月もそうだが。別記事で書いたが、僕にとって心を支えてくれるおおきなまち、おおきな存在が淡路島だ。何がいいって聞かれると難しいが、とにかく淡路島のコアな部分を垣間見ることで、人生観が変わってくる。だから周りにも広げていきたくて、友達にも来てもらったりした月だった。

お世話になっている農家さんで、しめ縄作ったり。たまねぎの植え付けをしたり。夜はまちのみんなでお酒飲んだり。やっぱりノビノビとできた。人の愛と、人のつながりの大きさを再認識した月。

12月は、京都の住まいを引き払った。再スタートを切り、徐々に加速させていく中で京都ではなく大阪から、といった思いが強くなったからだ。正直まだ1年しか住んでいない物件。勿体なかったがようやく決断ができた。2022に向けて、エンジンをかけるための月。

各月事に、日々していたこと、日々考えていたことが違いすぎて言葉にならないし、ただ遊んでいただけ、気持ちのままに行動していただけと言われればその通り。ただとにかく言えるのは社会人として働いた1年半とも、学生4年間とも違う、特別な半年だった。こんな経験、大半の人はしないだろう。

僕が思うのは、経験は必ず裏切らないということだ。この9月から12月までにした経験、仕事で思い悩んだ経験、誰かを傷つけてしまった経験。

周りで辛いできことが起こったとき、経験したことがある人は、その人に寄り添うことができる。周りで仕事を悩んでいる人がいたら、経験した人はその人の気持ちを少しでも理解することができる。だから優しくなれる、まっすぐになれる。

だからなんなんだ。って話だが、とにかく今年の自分の経験は、出来事は、大事にしたい。

そしてその経験があったからこそ、飛躍することができるし、人間的に豊かになれる、強くなれる。

そう信じたい。だから今年はいい一年だった。


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