見出し画像

まさかの8月。 後編

仕事で潰れた僕を救ってくれたのは、淡路島。淡路島とは龍谷大学在学時代の域学連携に遡る。

※域学連携・・大学生と大学教員が地域の現場に入り、地域の住民やNPO等とともに、地域の課題解決又は地域づくりに継続的に取り組み、地域の活性化及び地域の人材育成に資する活動。

龍谷大学と淡路島洲本市が、域学連携協定を結んでおりプロジェクト科目として存在。友人や先輩から「1番活発で楽しいで。」と誘われ履修し始めたことを今でも覚えている。龍谷大学で洲本プロジェクトを履修できるのは2年。2年の履修期間の中で、地域との濃厚な関わりや市役所職員のTさんの存在が大きくどんどん洲本という地域に惹かれていった。僕は洲本市の中でも竹原集落という4世帯8人の集落にがっつり入って将来ビジョンを作るという活動に参加。

竹原地域の住民の方々、また洲本市の住民の方々企業等の方には本当に良くしてもらい、授業外のプライベートでもキャンプしたり、農業のお手伝いしたりといった関係性を構築できた。何よりあったかく迎え入れてくれる環境に喜び以上のモノを感じていた。

そして無くてはならない僕にとって、第3の故郷になっていた。(出身大阪、大学京都)


前編では、仕事での悩みを一方的に吐露する中身になった。

今回はその後の淡路島生活を書こうと思う。

仕事に行けず倒れたその後、友人が市役所職員のTさんに連絡を取ってくれていたようで翌日Tさんがわざわざ京都まで車で来てくれた。Tさんは開口一番、「京都でぶらぶらするけ、淡路行くけ?」と聞いてくれた。それがはじまりだった。

僕は京都から離れたかったし、何より洲本の暖かさに触れたいと思っていた。

車での移動中Tさんに悩みを打ち開けている時は、ずっと涙を流して居たことと、変な安心感があったことを覚えている。持ち物はスマホとiPadそして充電器のみだった。(今からすると本当よく行った。笑)

淡路島に行ってからは本当にその日暮らしだった。予定や過ごすプランは全くなし。結果的に1ヶ月の滞在になったが、最初は3日間くらいで帰ろうと思っていた。お世話になっていた企業の皆さんにお話を聞いてもらったり、色んなところに泊めてもらった。(ワーケーション拠点、民宿、お好み焼き屋と色々)とにかくお世話になっている人に会いまくって、自分の悩みを話した。一般企業の人もいれば、行政関係、農家さん、地域おこし協力隊、NPO法人の方々など様々だ。

前述の通り、スマホとiPadだけやってきた洲本。近くにあったイオンでとりあえず1週間分の服を購入した(上下で1200円程度だ)そして1週間が終わると近くのコインランドリーで洗濯をした。食事は8月16日までは基本外食(淡路島の飲食営業がコロナの関係で21時まで、20時まではアルコールオッケー)、17日以降(20時まで営業、アルコールだめ)は基本作って食べた。

最初の頃は食べれなかった、寝れなかったを思い出す。

画像3

そんなこんなで生活をしていたが、僕は本当にどうしようもない人間で、色んな人に聞いてもらう。その人のアドバイスを聞いて、自分の考えを整理していく。何はともあれ、聞いてもらうことが一番の薬だった。

「まずは自分に矢印を向けないこと、自分の事を客観的にみるのは良いが、責めない事。」

「ゆっくりで大丈夫、いつでもお前の味方だ。」

「落ち着くまでいつまで居ても大丈夫」


どんな言葉も涙が出るくらい嬉しかったし、何よりこれだけ頼っていいんだ、これだけ話していいんだ。と思える環境がそこにあった。

画像2

(宿などを工面してくれ、ずっとサポートしてくれたNさん)

聞いてもらう、相談乗ってもらう以外の1人の時間は海を見たり、山をみる時間に当てた。淡路島は皆さんご存知の通り、海には恵まれているし、山も比較的緩やかでアクセスしやすい場所が多い。とにかくぼっとする事に努めた。時には市役所職員Tさん達に色んな場所に連れて行ってもらった。時には立ち飲み屋の店主に料理を教えてもらい、慣れない料理も気晴らしにやってみた。そして料理にはハマった。だし巻き卵を筆頭に淡路島の特産品で料理を作る事を日課にしていた時期もあった。

特に立ち飲み屋「淡路島ブルース」では店主のUさんを始め、それぞれの立場で活躍される社会人と交流した。悩みや複雑な背景は持ちながらも、イキイキと活躍する社会人の先輩方を見て泣くほど笑ったことはとてもいい思い出だ。

画像1

(特に練習しただし巻き、最初に比べれば上手くなった)

淡路島への愛を強める一方で、大学のゼミ同期、友人また京都でシェアハウスをしていた時の友人などあらゆる人にもお世話になった。電話での会話や、直接会いに来てくれる友人も多々居てくれた。近くにある大切な存在に気づく事ができた。

画像4


短文短文伝える内容が伝わっているか、わからないがそんなこんなで1か月が経とうとしていた。1日が長いのか、短いのか。全くわからない。でも日々が過ぎて行った。全くといって寝れなかった時期もあった。よくなったり悪くなったりの繰り返し。でも一歩一歩進めた?そんな1か月だったと思う。

改めて僕は生きるのが下手くそな人間で、不器用だ。些細な何気ない一言でも傷つくし深く考えこんでしまうダメ人間だ。今回の仕事の件も、結局は耐えれなかった自分。声をあげれなかった自分を必要以上に攻めていたのかもしれない。そんな苦しい時期に淡路島に来た、そんな苦しい時期に改めて友人の大切さを感じることができた。

今まで精神面を頼るということが、苦手だった。人それぞれ性格は違うし、持っている背景も違う。その中でどう頼っていいのかわからなかったのだ。また頼りすぎて迷惑は絶対にかけたくなかった。だから今まで変にカッコつけて仕事の本当の悩みを打ち明けられなかった。打ち明けれたのは一度あったか、くらいだと思う。特に仕事は同期がいない、環境が違う。だからわかってもらえないし、わかってもらえたとしても。といったことはあったのかも知れない。

でも今回立ち止まったことによって、ぼろぼろの自分を受け入れてくれる人や大丈夫や、と言ってくれる人が淡路島にも近くにも居た。そのおかげで、ちょっとずつ今の自分は、いい転換期を迎えれてるのでは?と考える事ができている。

9月に入ったが、まだ今の仕事をどうするか。これからどうするのか。明確ではない。ただ気持ちが前を向けていることは凄く大事な事だと思う。

一度きりの自分の人生。仕事も生き方ももっとわがままであっていい。それは今回思えたことである。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?