「自分の思考が振り子のように揺れると自分の軸が出来ていく」料理人・木村(川本)真理さんの話
聞き手:豊泉元歌
話し手:川本真理さん
※聞き手はー○○で記載
>川本真理さんのプロフィール
地域で多様な繋がりの場をつくる料理人。千葉県出身。木曽町開田高原に暮らし、「はらぺこ」という屋号で料理のケータリングを行う料理人。木曽町へ来る前は3年間イタリアで料理を学ぶ。木曽町でマーケットや音楽のイベント企画などもしている。
ー現在のお仕事について教えてください。
木曽町を中心に「はらぺこ」という屋号で料理のケータリングをしています。店舗は持っていないので、営業許可のあるキッチンをお借りしてお弁当の配達をしたり、イタリアンコース料理を提供したりしています。他にも、月に一回、木曽町にある「ふらっと木曽」という施設で地域の無農薬野菜や作家さんの作品、生活雑貨などを販売する「きそだにマーケット」や、訪れた人が誰でもピアノを弾いたり聴いたりして音楽に親しむことのできる「街角ピアノ」を企画しています。
ーコース料理も提供されているそうですが、準備が大変ですよね。
そうですね。でも、季節の食材を使ってお皿に盛り付けるときの表現を工夫することが楽しいんです。
ー盛り付けについて、この間、真理さんと一緒にパスタを作らせて頂いたときに、料理と一緒に庭で採れたお花を乗せていたのが印象に残っているのですが。
庭で採れるものは時期物なので、季節の趣を感じてもらいたいと思っています。料理は味だけではなく、見た目から伝わるおいしさも大事なんです。イタリアにいたときは料理が運ばれてきた瞬間から感動することが多かったので、自分の料理でもそんな感動を伝えたいなと思っています。
ーイタリアで料理が運ばれてきたときに感動したのはどのような場面でしょうか。
料理が運ばれてきたときもですが、出来上がった料理をシェフと一緒に盛り付けるときでしょうか。薔薇の桃色を活かしてパスタを作ったり、白いお皿の上にワインのソースでお花の絵を描いたり、遊び心を持って表現することが面白いなと思っていました。
ー誰かが楽しそうにしている様子を見ていると、自然と自分も楽しくなってきますよね。素敵だなと思います。
【自分の興味を追求した中高生生活と中退】
ー中学生の頃からどのような学校生活を送って来られて、どのように進路選択されていったのかについて教えてください。
学校の勉強を真面目にする中学生で、そのまま高校へ進学しました。絵を描くことが好きだったのと、ジャーナリズム*に興味があって、ジャーナリズムの雑誌をよく読んでいました。
ジャーナリズム*(journalism):新聞・雑誌・放送などで、時事問題の報道・解説・批評などを行う活動。また、その事業。
ーへぇ~。ジャーナリズムに。
決して成績がよかったわけでないんですが、高校生になると学校の勉強では飽き足らなくなって、学校で学ぶことが出来ない社会のことや本当のことを知りたい気持ちが強くなっていきました。自分でジャーナリズムの雑誌を取り寄せて読むこともしていましたね。学校をさぼって舞台芸術を見に行ったり、気になっているジャーナリストの講演会に参加したりするようなちょっと変わった生徒だったと思います。(笑)
ー知的好奇心旺盛な生徒だったんですね。放課後もさまざまな活動をされていたそうですが。
放課後は、「親子劇場」という、親子が様々な舞台を鑑賞できる団体に入っていて、その活動の一環として高校生や大学生が地域で子どもキャンプを企画する活動を毎夏行っていました。活動は大変だけど、みんなで話し合って一つのものを作り上げていく過程がとても楽しかったです。そのキャンプにはいろいろな子どもや大人がいて、年齢が違ってもため口で対等に意見をぶつけ合っていました。ときにはけんかをすることもあったんですが、そうやって遠慮せずに相手と向き合う体験があったから、人と関わる楽しさを知ることができたんだと思います。多様な意見に触れることのできる場が面白かったし、さまざまな人が自分の意見を言えることが当たり前の社会になったらいいなと思い始めて、どうすればそんな場を作ることができるのかについて興味を持つようになりました。
ー自分がいいなと思う人や場所に出会い、さらにその場所を作ることに興味を持たれたのが面白いですね。その後は...
学校に行かない子どもたちに寄り添えるような仕事がしたいと思って、フリースクールに興味を持ち始めました。自分でフリースクールを調べて見学をしていく過程で「私も中退しよう」と思って、高校3年の春に高校を中退しました。
ー高校を中退されたんですか!!真理さんご自身は高校生活に違和感を感じていらっしゃった?
高校自体が嫌だったからじゃないんです。当時は千葉の進学校に通っていたんですが、授業を受けることを退屈に思いながら、今自分が学びたいことを学ばず、ただ受験勉強だけをして過ごす一年間を送ることに違和感があって、それが自分に嘘をついているように感じて嫌だったからなんです。自分が学びたいと思っている社会問題などを学ぼうと、さまざまな授業を選択できる、東京のフリースクールへ行きました。
ー自分に嘘をついているようで嫌だった...ここに真理さんの価値観が表れているように感じます。
【みんなと違う道を歩むとき】
ー高校3年生の春にフリースクールへ行く決断をしたとのことだったんですが、自分のいる環境に違和感を感じ、その違和感と向き合って、高校を中退するという決断をすることはとても勇気のいることだと思います。反対されることもあったのでは。
高校の担任の先生には、「みんなと違う道へ行くのは大変だぞ」って言われました。でも、そのとき私は、その先生自身はみんなと違う道を自分の意志で選択した経験があるんだろうかと疑問に思ったんです。その後、先生は「自分も教師になりたての頃はすごく情熱を持っていたけれど、長年教員生活をしていたら、いつの間にか忘れてしまったんだ」と言っていて、私が本音を話したことで先生も私に本音を伝えてくれたんだと感じました。先生も本当はもっと正直に生きていきたいと思っていたけれど、私と同じように学校のなかで苦しさを抱えていて、私に対しては単純に反対をしているわけではないんだと感じました。
ー結果論ですが、先生のことを、自分の意見に反対している人として会話を終わらせず、対話の過程で真理さんの高校の先生の意見の根拠、想いについて知ることができたんですね。それでも、真理さんが自分の意志で中退を決断するときは、不安や怖さも感じられていたんじゃないでしょうか。
高校を辞めるときは、自分が「逃げているんじゃないか」と思うことはありました。でも、尊敬している高校の部活動の顧問の先生が「失敗してもいいじゃない。失敗してもまた戻ってくればいいだけだから。」と言って背中を押してくれました。当時は「自分に噓を付きたくない」という衝動の方が強かったように思います。
ーなるほど。自分が逃げているのか、そうでないのかについては、どのように判断されたんでしょうか。
この言葉は今もよく覚えているんですが、背中を押してくれた高校の先生が「自分が変わらないとどこへ行っても一緒だからね」とも言ってくださったんです。だから、私が今の環境を変えたいと思ったとき、自分が変わればどうにかなることだったら、その場所で頑張ろうと思って意識してきました。
ーまずは自分が行動することでどうにかなるならその場所で頑張ることが大事であるということですね。自分に嘘をつかないと決めて通われたフリースクールではどのようなことを学ばれたんでしょうか。
フリースクールは大検予備校でもあったので、高校で学習する勉強内容に加えて、沖縄の米軍基地問題や、普段の食事と環境問題とのつながりについて、裁判所での傍聴体験を通じた日本でのハンセン病の歴史と差別問題などさまざまなことについて学びました。自分の学びたいことを学べるフリースクールでの毎日がとにかく楽しかったです。
ー自分が知りたいことを調べて、知って、自分を主語にして考えることは楽しいですよね。
はい、とても。(笑)他にも「働くとは何か」や「性別って何だろう?」などをテーマに生徒や先生、スタッフ同士とディスカッションする授業もありました。他の人の考えや人生を知ることができて、授業を通して自分が今まで持っていた偏見が剥がれ落ちていくことを何度も経験し、出会いや学びによって自分が変化し、世界の見方が広がりました。
ー他の人の人生を知ったり、自分がどんな風に世界を見ているのかについて気がついたりして世界の見方が変わると、「自分」が変化するんですね。具体的にどのような人々と出会い、どのようなことに気づかれたのでしょうか。
フリースクールという環境に自分の身を置くことで、様々な理由で生きることに難しさを抱えている人たちや帰国子女と呼ばれる人たち、これから大学に入りたくて勉強しているご年輩の方々など、そのまま高校へ通っていたら出会わなかった多様な人々に出会えました。スタッフもプロのミュージシャンや劇役者など、自分のやりたいことを仕事にしてフリースクールのスタッフと兼業している人が多くて、私もこういう大人になりたいとか、生き方をしたいなと思いました。
ーそのように多様な年齢や経験値を持っている人々に出会ったとき、真理さんが憧れた大人や生き方は、具体的にどのような人やものだったんでしょうか。
私が憧れた大人だけではなく、フリースクールで出会った一人一人の大人がそれぞれの生徒を尊重していて、わからないことは隠さずに「わからない」と言って一緒に考えようという対等な姿勢を持っていたり、時にはには自分の弱さをみせてくれたりしたんです。常識や世間の人が思うことを上から目線で言うんじゃなくて自分や相手の個性や思っていることを大事にしていたんですよね。周りの人がどうこうではなくて、自分はどのように思うかと「自分を主語」にして話す姿がかっこいいなと思っていました。でも、遊ぶときは、子どもみたいに遊ぶんですよ。子どもの素直さと大人の洞察力、そして、多様な人へを理解しようとする姿勢を併せ持つ姿がまた、いいなぁ~って。
ー自分を主語にして話すことで、そこに自分が発言する責任が伴うから、なんだかかっこいいと感じるんでしょうかね。
そうかもしれませんね。自分を主語にして話す姿に触れていたから、みんなと自分の意見が異なっていても、自分はこう思うと言うことができるようになったのではないかとも思います。
ー高校を中退し、フリースクールへ通った後はどうされたんでしょうか。
大学入学資格検定を経て、大学は社会問題について学問しようと社会学科へ進みました。
【考え方の違いと人格とを区別するイタリア人】
ー真理さんは自分の意見を伝えることを前向きに捉えられていたと思ったのですが、それは高校やフリースクールでの経験に加えて、イタリアへ行かれたことにも関係がありますか。
あると思います。イタリアでは、50歳程のシェフに対して、20歳程の見習いコックが「それは違うんじゃないか」と自分の意見を言っていてとても驚きました。シェフは「あなたの話を聞きましょう」と言って見習いコックと話をするんです。そこで大喧嘩することもあるんですが、話が終わると冗談を言い会うほど仲良くなっていて。自分の意見を言わなければ、相手は私が納得していると思ってしまうから、自分の意見があるなら言わなければ伝わらないんです。イタリアでは自分の意見を持っていることは当たり前だし、相手と意見が違って当たり前なんだと思いました。また、音楽なども、その音楽家の有名無名に関わらず、みんなと感じ方が違っても自分の感性がいいと思ったら、いいと言えるのが素敵だなと思いました。
ーイタリア人も日本人も人間という括りでは同じなので、相手が傷つかないかと想像しながら自分の意見を言っていると思うのですが、イタリアへ行って、日本人との違いについて何か感じることはありましたか。
日本では、仕事の出来や意見の相違と、その人の人格とを混同してしまうことが多いかと思いますが、イタリアではそれらは完全に別なんです。仕事の失敗や過ち、意見の相違についてはお互いの意見をはっきり示しますが、その人自身の人格は攻撃しません。人権がとても大事にされているように思いました。職場でも私の考えや気持ちを聞いて私という一人の人間を大事にしてくれていることを感じていたので、相手に強い口調で意見を言われても、私が自己否定をするくらい傷つくようなことはありませんでした。また、日本では仕事や学校などの組織が個人の生活よりも優先される傾向があると感じていたんですが、イタリアでは個人の人生が仕事や組織よりも尊重されていると感じる場面がよくありました。
ーイタリアにいた人たちが個人を大事にしていると感じた具体的な場面などはありますか。
お客さんが多くてレストランがとても忙しくなる日曜日でも、スタッフの男性が「マンマ(お母さん)の誕生日でお祝いをするから、仕事を休むんだ」と言ったときに、他のスタッフのみんなが嫌な顔もせず当然のことのようにその男性のお母さんの誕生日を祝福していました。
ー仕事や休暇についての認識の差もあるかもしれませんが、そうやって個人の生き方を尊重してくれると気持ちよいですね。
そうですよね。大袈裟かもしれませんが、組織や仕事よりも自分や家族の暮らしや人生を大事にできるということが憲法に書かれている「基本的人権」を実践することなんだと実感しましたし、ヨーロッパの個人主義がすべてよいとは思いませんが、民主主義の長い歴史のなかで人権を守り大事にしてきたことについて、日本も見習うことが多いように感じました。
ーなるほど。確かに、日本国憲法で基本的人権については学びますが、その言葉を知っていることと、実感としてわかることはやっぱり別ですね。もちろん、知っていることが前提として大事ではありますが。
ー最後に、中高生に伝えたいことはありますか。
自分が感じていることや考えていることを大事にして欲しいと思います。それが自分を大事にすることだし、自分を大事にすることができると、他の人の考えも大事にすることもできるから。
ーなるほど。自分を大事にするから、他人も大事にできるのですね。ちなみに、自分が感じていることや考えていることを大事にするとは、具体的な行動ではどのようなものでしょうか。
日々自分が感じていることをそのまま受け止めることや、自分の好きなものを見つけたり、自分の興味のあることをやってみたりすることなのではないかと思います。私の子供の頃を思い出すと周りの顔色を伺ってしまうことが多々あったなと思うのですが、もっと自分の軸を持ってみると自分を大事にできるのかなと思います。
ー自分の軸を持つということは難しいと思うのですが、真理さんは高校生時代のキャンプ活動に代表されるようなさまざまな経験を経て自然と軸が作られていったのだと思いますか。
一人では難しく、多様な人との交流やお互いを大切にできる経験があって出来てくるのではないかと思います。多様な人や考えに触れて自分の思考が振り子のように揺れると自分の軸が出来ていくと思うので。
ーなるほど。軸というと不動で、いつも不変でなくてはならないように思ってしまいますが、振り子のように揺れて自分の軸が作られていくという捉え方もできるんですね。しなやかな軸、みたいな感じなんでしょうかね。そうやってしなやかな軸を作るためには、どのようなことをされるとよいと思われますか。
いろいろな経験をして、これが好きだとか嫌だとかを感じていくことが大事だと思います。コロナ禍の現在は、やりたいことが制限されてしまうことが多いですが、本を読んだりラジオを聞いたり、手を動かして何かを作ったり、表現をしたり、興味のあることをやっていって欲しいなと思います。身近な人とお互いの気持ちや考えを話すだけでもよいと思います。
ーいろいろな経験をして、自分はどう感じるか、を大事にするんですね。確かに、同じことをしても、楽しいと感じる人もいればつまらなかったと感じる人もいますもんね。しかもその楽しいやつまらないにもいろいろな種類や程度がありますし。
ー真理さんは料理人ですから、現在、料理に興味があり、将来は料理に関係する仕事をしてみたいと思っている若者たちにはどのようなことを伝えたいですか。
まずは、家族や友達などに料理を作ってあげてください。私は小学生のときに、アメリカ人の母の友達に料理本を見ながら料理を作りました。いろいろな野菜と自家製ドレッシングで和えたサラダをトマトに詰めて出したら、とても喜んでもらったことを今でも覚えています。人のために作ると、次への試行錯誤が楽しくなるんですよね。ぜひ、自分で作った料理を誰かに出して食べてもらってください。きっと料理がより楽しくなると思います。
ー食べてもらう人のことを想像することで、わくわくすることが料理作りのモチベーションにもなりますよね。なんだか私も大好物のパスタを作りたくなってきました。
---料理人・真理さんの活動についてもっと知りたい方へ---
木曽福島のkissoの家で月に一度開いている街角ピアノ
▶https://m.youtube.com/watch?v=aJd5qU-c_Sc&feature=share
ふらっと木曽のリンク
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