ヤマザキマリ著「立ち止まって考える」読了。日本人の思想、戦後の映画の奥深さ、今の日本人に必要なこととか盛りだくさんだった‼︎
長年連れ添った妻の願いをかなえるため、豪華客船で長旅に出ることになり、その船内での時間を持て余した養老孟司先生が書いた本が「遺言」だったけど、ヤマザキマリさんがコロナでイタリアに帰れなくなって日本に足止め中に書いた本が今回のこの本でした。
なんでこの本を手に取ったかというと
「地球、この複雑なる惑星に暮らすこと」
これは養老先生とヤマザキマリ先生(今の今から先生と呼ばせていただく)の対談本を読んで、えらく胸に響いたので、この本を読んでみたわけです、はい。
そしてなぜこの対談本に出会ったかというと、私が最近ハマっている安住紳一郎の日曜天国にヤマザキマリさんがゲスト出演しており、ヤマザキマリさんの深い知識と高い経験値な話をカラッと話されており、話もうまく、感性が私好みであり、そしてあの安住紳一郎が、あの安住紳一郎が楽しそうに笑っていたので、
この人はなんかある!
と私のアンテナが激しく反応したのです。そして養老先生との対談本の中で、かなりの映画を見てこられた方だと分かり、ガチでハートを掴まれてしまい…(私のアンテナってすごい!)その見てきた映画のセンスに尊敬の気持ちをもってしまったのデス。
そして、AMラジオに出ないシンガーソングライター山下達郎が、久々に出たAMラジオが安住紳一郎の日曜天国で、そして彼が発売するアルバムのジャケットで山下達郎の肖像画?を書いたのがヤマザキマリさんなわけで。そんでもって、その山下達郎さんも、音にこだわりがすごくありすぎて、こんなに大スターなのに大きい会場ではライブをやらないとのこと。しかもこだわりの音は音楽に限らず、落語のレコードなどもたくさんお持ちで、ツアーに出るときに持っていくレコードは落語なんだとか。そしてきれいな言葉と話を聞きながら眠りにつくのがおすすめだとか。(なんて素敵な方なんだ!)そんな方がジャケットを書いてと頼む方なのだから間違いないと言うことで、ヤマザキマリさんの著者に出会ったわけです。また、そのヤマザキマリさんの肖像画はニッチな年代のものに特化した作風らしく(絵に詳しくない私ですが、レンブラント的な影がある感じ?)、それでは食っていけないのと、お風呂に入りたくて仕方ない要望がコラボしたのが「テルマエロマエ」であって、そんな方が描いた山下達郎様の肖像画を「ベトナム土産みたいな」とブチ込んだ安住もなかなかなもんであるが…
前置きがかなり長くなりましたが…
そんなこんなでこの本に出会ったのです。
コロナと日本人
曖昧なまま 具体的な対策があやふや、たとえば「東京アラート」って何?ぼんやりとした言葉だけ投げかけて、具体的な規制はなく、毎日発表される感染者数は、分母もわからないまま報道されて、なんのどんな数字なのか、自分で調べなければわからなかったと ヤマザキマリ談。
不要不急って何?
まあ文化的な活動のことだろうけど。文化で食ってる人はどうすんだ?憲法第25条は?
確かにそうだった。感染者が増えても、結局オリンピックをやったし、子供たちにあんなに我慢させて、使い道のないマスクをゆっくり配り…などなどなど。
かといって 怒りにまみれた文章にならないのがヤマザキマリさんのかっこいいところ。
そして、世の中、コロナを「チャイナウィルス」を読んだ大国のお偉いさんもいたけれど、中国を悪者に扱いつつある傾向も無きにしも非ずだったけれど、イタリアは、コロナパンデミックで医師団を送ってくれた中国に感謝していること、なにより、中国の次に感染爆発が起こり、たくさんの死者が出たイタリアではあるが、中国なしにはイタリアの経済は成り立たないらしく、中国に対して敵対心的なものを抱くものはいなかったらしい。つまり、ビジネスでたくさんの中国人がイタリアに入国していたからコロナが運ばれてきた。けれどそれは仕方のないことだったし、政治の失敗?で医者が不足していてそこを医師団を派遣して補ってくれたのが中国だったのだから感謝なのだという!
うーん日本とは大違い!まぁ、隣国と距離がある国とでまた違うのかもしれないけれど。
おそらくその推測として、イタリアは四方八方から攻められた過去の歴史があるんじゃないかと推測しその隣国から攻め込まれた歴史を踏まえての国民の現在のふるまいを成熟とヤマザキマリ先生は表現していました。
成熟
まさにそう、この国 日本は熟すことができない。私もそう思っています。大人になれない国。それはそもそも、国民性としてピュアすぎる側面があり、すぐ人を信じることなど、素質としてなかなか成熟しにくいものがあるのでは?と。信長にほれ込んだ黒人奴隷?(詳しいこと忘れた)も日本の国民性のピュアさについて驚かれたと言っていた。(著書の中で記載アリ)たしかに、日本人は黙って信じすぎてしまうかもしれない。そしてまっしぐらに忠臣蔵。神風特攻隊を美談と受け取る日本と、真逆の意見を持つ外国と。出来事の視点は1つではありません。子供のようにまっすぐに頑張ることを推奨されやすい文化・学校教育があるのは否めないかなと。
ある意味、白黒思考なだけで曖昧さがなく、揺れない。まるで子供のように!
固すぎる思考は 未熟さの表れだったりするのに。
中身の熟成はほっといて、いつまでも若い子と同じように見えること振る舞うことを美しさとするような風潮は、強烈に感じます。おばさんが(日常的に)若い子と同じことをしていたら、やっぱりイタイです。個人的には、中年のツケマツゲが痛々しくて仕方ありません。年相応の健康さと、若い子には出せない出汁、色気、雰囲気を狙えばいいのに、生きざまが出るのに、どうしてこの国のSNSも他国同様、若い子と同じことをすることがイケているの方程式に当てはめた自分を自撮りしたものであふれているのか不思議です。それはやはり、西洋に比べてチープなアジアの一面のような気がします。アジアの良さってなんでしょうね…
その点 ピークで引退して 普通のおばさんに見える山口百恵がかっこよく見えます。
余談ですが、エドシーランはこう言いました「僕は自撮りはしない。自撮りって今が幸せじゃないから自分で撮って知らない誰かからイイねをもらいたいんだろう?だから自撮りしている人を見ると心配になるんだ、心が大丈夫かなって」(要約してます)
と。まさしく御意。見られたい自分を演出したショットを公開して、何かあっても助けてもくれない人からの多大なイイねをもらって、はて?なんになるのか?
話しは戻りまして、会話というコミュニケーションについても、イタリア人はまるで喧嘩しているような勢いで、もしくはいつも喧嘩するくらい「熱い」議論を交わしているようです。しかもソーシャルディスタンスが日本より短くて、マスクに対する拒否反応も日本より強いらしい。マスクを取ってハグをしてたくさんのことを熱く話したい人種らしいと。
日本人は反対意見を言うとすぐ炎上。私もそうですが、反対というよりも思慮深い人に限って「自分の意見を言うのが苦手」な人が多く、「自分と違う意見を言う人を認められない」人が多いと思います。同意ではなくて自分とは違う意見が存在することを認めるってこと。私も、かつては違う意見を言われると強烈にさみしくなったり、この人は私と意見が違う=もう遊ばない くらいに思っていましたが、最近は「意見が合う方がおかしいよね」と思うようになってきました。かといって私のポリシーに触れてしまうような意見の相違がある人とは合わせようとは思いませんが、意見の相違をある程度は認められて距離をとれるようにはなってきたような気もします。
が、もちろん「事なかれ主義」は私の中に存在して「村社会」で生きていくには慎むべきメッセージが多々あるのもわかっていたりします。
私の夫は外国人ですが、初めて彼の実家に帰ったとき、「ねぇみんな喧嘩してるの?」と聞きました。それくらい勢いもすごくて声も大きく会話を続けているからです。夫はいいました「普通だよ。骨付き肉じゃなくて普通の肉でよかったらしいよ」と ほんとうに どうでもいいことで かなりのボリュームで話していたのを聞いたとき私はバカなのかなこの人たち?と思いましたけれど、そのくらい体力とコミュニケーション能力がないと、夫の国ではいつも騙されたりなんだりして、生きていけないのかなと思いますが、かといって夫の国は日本よりも貧乏?ではありますが、めちゃめちゃパワフルであり、人の上下があるにはありますが、対等に話すということが日本より平等に思えます。
ひれ伏す、へりくだる そんな やすっぽい謙遜は夫の国では見当たりません。空港職員でさえ「あーちっとだりぃ」って感じでやってますけども、業務は行われるので問題はありません。
会話を慎むことや、場を丸く収めることが「大人」と評価されがちな日本でもありますが、本当の大人は、自分の意見をどうにか表現できることなのではないかと最近思っています。
それと、中国に対するイタリアの感謝の心の持ち方は、それこそ日本の「お・も・て・な・し」なんじゃないかと思っていて。日本の親切ってほとんど 恩着せがましいか、相手をかわいそうとおもう見下しとか、やってあげる私ってすごい、小さなことに気づく私ってすごい、という自画自賛とかもうほんと品がない行為をほめる傾向にある気がして。
日本なんかの感動ポルノより、イタリアのほうが、夫の国のほうが、キラキラと健康的に優しいんじゃない?なんて思ってしまって。
でもここでまた 自分はだめで外国は素晴らしいという 明治維新後 失敗した論が 私のこのブログでさえ当てはまってしまうという苦しさ。
だがしかし最近私は、珍しく緑茶を入れて、濁っていたのです。その「にごり」をみて子供は言いました
息子 きたねぇーよ このお茶
私 ほんとうのお茶の色はこの色なの あんたたち知らないでしょう
息子 (飲んで)うわっ うまい このお茶 もっと作って
とそんなエピソードがあり、ペットボトルに入った緑茶に慣れてしまった息子たちは日本の濁っているお茶の存在を知らず、また、そのおいしさも知らずにここまで育ってきてしまったのです。私はその緑茶の濁りを見たときに「これぞ日本の色だ。にごりこそ日本らしさじゃん」と思いまして、たまたま別日に読んだ本で「九相図」なるものを知り、その絵の色味を見て「日本らしいな」なんて思ったばかりだったのです。
私も若いころは日本ぽいものが嫌いで、かたっぱしから否定していたような気もしますが、いやいや、くすんだ色、濁った色こそが日本の色なんだと思うんです。だからそれは、無理やりでも胸を張って次の世代へつながなければとも思うんです。浅草で外国人向けにレンタル着物なるものがたくさんあり、夫の友人が来日した際は私も便乗してそのお店に行きましたが、パッと着物たちを見た瞬間「これは日本の色じゃない」と思ったのです。もちろんダイバーシティ、多様性、何がどうあってもいいと思いますが、日本の伝統だったり文化の色濃く出るあの「にほんの色の着物はなくならないでほしい」と思いました。そして、この浅草の色鮮やかな着物は日本人には、もしかしたら似合わないというセンスを私は持っているんだなと思いました。
養老先生の「死の壁」という本にも書いてありましたが。宇宙開発に乗り出した中国に対して、「中国はそんなことする必要がない。歴史と遺産があるので、それをデーンとして見せておけばいいのに、どうして宇宙開発という、何も持たない国がやるような土俵に降りてくる必要があるのか。中国はそのままでいい」とおっしゃっていました。それに似ていて、日本もすでに持っているのだから、デーンと構えていればいいのにと思うのです。
そういった歴史教育を受けてこなかったのか、私が授業を聞いてなかったのか、今一度「明治維新」について勉強したいと思ったこの頃です。
息子の読書感想の本を借りるついでに、子供向けの本棚から明治維新の本を1冊とオードリータンの本を借りてきました。
息子は5教科の中で一番社会(歴史)が得意です。●●は暗殺、●●は裏切られて自殺など、センセーショナルな歴史ストーリーのデータベースは豊富で、今までいろいろと私に語り掛けてきても、実際私がわからなくて、へーへーと聞き流していましたが、今一度勉強して、息子に教えてもらおうと思っています。
かーちゃん大久保利通が暗殺された年齢になるよーと そんな話を息子としましたら
あのころはね やっちゃうほうもね なんかいいよやっちゃったあと 御命ごめん っていったんだってさ。なんかね いいよね。
と 歴史好き講じてマニアックになっていく息子なのでした。
そんな息子には、逆玉を推奨。家事のできる男に育ってほしいなと思っております。ちょっとおむつ変えたくらいでイクメンヅラするなんてぇ 論外。子供を寝かせたあと ネトフリでドラマにハマるような 完璧なパパに!できれば華僑のとんでもねぇ金持ち!
話がそれてまとまらなくなったので、今日はこれまで。
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